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聖女の加護は永遠ではありません  作者: 章槻雅希


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第三話 加護にすがる者たち

 加護の終わりが公表されたのは、それから3週間後のことだった。


 大神官セラフィムは、王宮の大広間に王族と貴族を集め、建国以来の記録を公開した。


 女神の約定。歴代国王の政策。中止された農業改革。修繕されなかった国境の砦。削減された魔物討伐隊の予算。そして、退位まで残り5か月となった三代目国王の治世。


 それらの事実が明らかになると、広間は騒然となった。


「待て! このような話、今まで聞いたことがないぞ!」


 ヴァルデック侯爵が声を荒らげた。


「なぜ、今になって公表するのだ!」


「今になって、漸く公表することが出来たのです」


 大神官は答えた。


「私たちは長年、女神の加護が終わるという記録を封じてきました。その責任は、神殿にもございます」


「責任だと? 神殿が勝手に不安を煽れば、民が混乱するではないか!」


「真実を知らなければ、備えることも出来ません」


 王太子アルベルトが口を挟んだ。


「父上。今すぐ国境の砦を修繕し、備蓄を確保する必要があります。王都だけでなく、地方にも対策を命じなければなりません」


 国王レオナルト三世は、険しい表情で息子を睨んだ。


「お前は、王家が長年怠慢であったと認めるつもりか」


「事実であるならば、認めるべきです」


「王太子!」


「認めなければ、同じ過ちを繰り返すだけです」


 アルベルトの声には、震えがあった。


 彼自身も、無関係ではなかった。王宮で豊かな食事をとり、盛大な祭典を楽しみ、軍備の削減を疑問に思わずに暮らしてきた。国の仕組みを学んでいながら、加護がなくなった後のことを真剣に考えたことはなかった。


 だからこそ、今、認めなければならない。自分もまた、守られることを当然としてきた側の人間なのだ。


「父上。私は、王家の過ちをなかったことにはしません。ですが、これ以上、過ちを重ねることもいたしません」


 国王は、息子を見つめた。


 その顔には、怒りだけでなく、恐怖が浮かんでいた。自分の息子が、自分の治世を否定している。自分が築いたと思っていた繁栄が、実は女神の力に支えられたものだったと認めている。それは国王にとって、王としての自分自身を否定されることと同じだった。


「……好きにするがよい」


 国王は吐き捨てるように言った。


「但し、加護を延長する方法が見つかれば、全ては元どおりだ。その可能性を捨てるつもりはない」


 そう言い残し、彼は広間を出ていった。


 宰相ヴァルデック侯爵もまた、国王の後を追った。彼らの背中を見ながら、アルベルトは拳を握りしめた。


 残された時間は、あまりにも短かった。








 王都では、混乱が広がっていた。


 加護の終わりを聞いた人々は、最初こそ信じようとしなかった。


「女神様が、我らをお見捨てになるはずがない」


「聖女様が祈ってくだされば、何とかなるだろう」


「そもそも、聖女様がいるからこそ、この国は豊かなのだ」


 そうした声は、やがて別の形に変わっていった。


「聖女様は、まだ祈れるのではないか」


「今まで守ってくださったのだから、これからも守ってくださればよい」


「聖女が祈るのをやめるから、国が滅びるのではないか」


 王宮前の広場には、聖女を求める人々が集まった。


 彼らは怒っていた。恐れていた。そして、自分たちが何を失おうとしているのか、理解できていなかった。


 エレノアは神殿の窓から、その様子を見つめていた。かつて、彼女に花を差し出し、感謝の言葉をかけてくれた人々。豊穣祭で笑顔を見せていた人々。


 その人々が今、自分に向かって祈れと叫んでいる。彼らを責めることは出来なかった。彼らもまた、何も知らされていなかったのだから。


 だが、だからといって、彼らの要求に応じることも出来ない。


「エレノア」


 部屋を訪れたのは、幼なじみのミリアだった。


 農村出身の彼女は、今は神殿の薬草園で働いている。聖女に選ばれる前のエレノアを知る、数少ない友人だった。


「顔色が悪いわ。今日はもう休んで」


「大丈夫よ」


「その言葉、何度聞いたと思っているの」


 ミリアは、エレノアの手を取った。


「あなた、昨日も祈りの後に倒れたでしょう」


「……見ていたの?」


「見ていなくてもわかるわ。あなたはいつも、苦しいときほど大丈夫だと言うもの」


 エレノアは苦笑した。


「みんな、私が祈れば国は守られると思っているのね」


「そうね」


「でも、私が祈り続けても、砦は修繕されない。兵士は増えない。食料も蓄えられない。私がどれほど頑張っても、出来ないことはあるのよ」


「ええ」


 ミリアは迷わず答えた。


「だから、もう無理をしないで」


 エレノアは友人を見つめた。


「国が危なくなるのよ」


「解っているわ」


「たくさんの人が、苦しむかもしれない」


「それも解っている」


 ミリアは、エレノアの手を強く握った。


「でも、あなたが死んだら、国が助かるの? あなたが倒れるまで祈れば、砦が直るの? 備蓄が増えるの? 兵士たちが強くなるの?」


 エレノアは答えられなかった。


「あなたは聖女になる前、村の畑で泥だらけになって笑っていた。川で魚を捕まえて、失敗して、私と一緒に怒られた。私は、あの頃のあなたにも戻ってほしいの」


 ミリアの声が震えた。


「国のために生きることと、国のために死ぬことは違うでしょう」


 エレノアの目から、涙が零れた。


 彼女は、長い間、国を守るために生きてきた。だが、自分が何のために生きていたのかを、いつの間にか忘れていたのかもしれない。


「……ありがとう、ミリア」


「お礼なんていらないわ。約束して。もう、自分を壊すまで祈らないって」


 エレノアは、暫く考えた。そして、頷いた。


「約束するわ」








 その頃、王宮の地下では、秘密の儀式が準備されていた。


 宰相ヴァルデック侯爵は、古い神殿文書をもとに、加護を延長する方法を探していた。その結果、ひとつの記述が見つかった。女神の力を受け取る器となった聖女が、その身に宿す力を全て捧げれば、一時的に結界を強められる可能性がある。


 但し、その代償は大きい。聖女の生命力を急激に消耗させ、命を落とす危険がある。


 侯爵は、その記述を国王に示した。


「陛下。方法が見つかりました」


「何だと!」


 国王の顔が明るくなった。


「聖女の力を全て捧げることで、結界を延長できる可能性がございます」


「可能性、だと?」


「確実ではございません。しかし、試す価値はあります」


 国王は文書を読み、やがて顔を上げた。


「聖女は、国を守るために存在しているのだろう」


 侯爵は、僅かに目を伏せた。


「そのとおりでございます」


「ならば、本人に伝えよ。国を守るため、最後の務めを果たしてもらう」


 その言葉を、国王は疑いもしなかった。自分が聖女の命を犠牲にしようとしていることを、彼は理解していた。だが、理解することと、受け入れることは違った。彼は、自分の治世を失敗と認めたくなかった。王家の権威を失いたくなかった。


 何より、加護のない世界で王として生きることが恐ろしかった。だから、聖女の命を差し出すことが、彼にとっては合理的な選択に思えたのだ。








 翌日、エレノアは王宮に呼び出された。


 国王は、儀式の内容を説明した。


 聖女の力を全て捧げれば、結界を延長できるかもしれない。但し、命の保証はない。


 エレノアは黙って話を聞いていた。


「……陛下は、私に死ねと仰るのですか」


「そうは言っておらぬ。国を守るための方法だ。そなたなら、理解できるはずだ」


「もし私が命を落としたら、どうなさるおつもりですか」


「そのときは、次の聖女を探す」


 あまりにも簡単な答えだった。エレノアは、静かに息を吸った。


「陛下。女神様は、私に加護を延長しろとは仰いませんでした」


「女神の意思を、そなたが全て理解しているとは限らぬ」


「それでも、私はもう、自分の命を捧げることはいたしません」


 国王の顔から、表情が消えた。


「……何だと?」


「私は8年間、国を守るために祈り続けました。今も、出来る限りのことはいたします。ですが、私の命を犠牲にして加護を延長することには、同意できません」


「聖女としての務めを放棄するつもりか!」


「いいえ」


 エレノアは、まっすぐに国王を見つめた。


「私は、残された時間を国のために使いたいのです。ですが、それは私を犠牲にするためではありません」


 彼女は一歩も退かなかった。


「残された時間を、私を縛るために使わないでください。国を守るために使ってください」


 国王は立ち上がった。


「そなたは、誰のおかげで聖女として生きてこられたと思っている!」


「女神様のおかげです。そして、私を支えてくれた人々のおかげです」


「ならば、その恩に報いよ!」


「私は、恩に報いることと、命を差し出すことが同じだとは思いません」


 国王は言葉を失った。


 聖女が、自分の命を惜しむ。その当たり前の事実が、彼には理解できなかった。いや、理解したくなかったのだ。


 そのとき、玉座の間の扉が開いた。


「父上。もう、おやめください」


 王太子アルベルトだった。


「聖女殿は、すでに十分すぎるほど務めを果たしておられます。彼女の命を犠牲にする前に、私たちが為すべきことがあるはずです」


「お前まで、余に逆らうのか!」


「逆らっているのではありません。王族として、果たすべき責任を申し上げているのです」


 アルベルトは、父王の前に進み出た。


「私は、加護を延長する方法を探すことを否定しません。しかし、それだけに頼ることは出来ません。今すぐ軍を再編し、地方の領主に備蓄の提出を命じます。砦の修繕も始めます」


「そんなことをして、間に合うと思うのか!」


「何もしなければ、絶対に間に合いません」


 国王は、息子を睨みつけた。だが、アルベルトは目を逸らさなかった。


「父上。私は、あなたの治世の全てを否定するつもりはありません。しかし、過ちがあったのなら、正さなければなりません。それが、次の王となる私の責任です」


 長い沈黙が流れた。国王は、何も答えなかった。


 エレノアは、王太子を見つめた。彼もまた、加護に守られてきた人間だ。だが、今、彼は自分が守られてきたことを認め、これからは自ら責任を負おうとしている。


 それが、女神の望んでいたことなのかもしれない。








 しかし、改革は簡単には進まなかった。


 貴族たちは、軍備の増強に反対した。領地の収入を防衛費に回せば、自分たちの暮らしが損なわれる。加護が失われるというのは神殿の解釈にすぎず、実際に何が起こるか判らない。そう主張して、命令に従わない領主もいた。一部の貴族は、食料や武器を私有地に囲い込んだ。


 国王は、加護を延長する儀式の研究に予算を集中させた。


 その間にも、国境の状況は悪化していた。北方の砦から、魔物の群れが集結しているという報告が届いた。結界の亀裂は広がり、夜には不気味な黒い光が空に走るようになった。


 エレノアは、連日、結界の維持に努めた。だが、彼女はもう、自分の命を削るような祈りはしなかった。必要な範囲に力を注ぎ、身体に限界が来れば休む。そのため、結界の弱まりは以前より目に見えて進んだ。


 民衆の不満は、再び聖女へ向かった。聖女が祈る時間を減らしたからだ。彼女が以前と同じように祈れば、もっと国を守れるはずだと、人々は言った。


 彼らは、エレノアがどれほど疲弊しているのかを知らなかった。知ろうともしなかった。


 そして、退位まで残り一か月となった夜。北方の結界が、大きく揺らいだ。








 最初の報告が届いたのは、深夜だった。


 北の砦が魔物の襲撃を受けた。兵士たちは応戦したものの、長年の訓練不足と装備の老朽化によって、次々と後退を余儀なくされた。結界の亀裂から侵入した魔物の群れは、国境の村へ向かっていた。


 王宮は騒然となった。


「聖女を呼べ!」


 国王が叫んだ。


「今すぐ結界を修復させよ!」


 エレノアは、神殿から王宮へ駆けつけた。


 窓の外には、北の空を染める黒い光が見えた。彼女は両手を組み、女神の力へ意識を伸ばす。


 痛みが走った。身体の奥から、何かが引き裂かれるような感覚。それでも、エレノアは祈った。


 北方の村々を守るために。逃げ遅れた人々を救うために。彼女は最後の力を振り絞り、結界の亀裂を押しとどめた。


 光が広がる。魔物の群れが足を止めた。だが、亀裂の一部は閉じなかった。結界は、完全には戻らなかった。


「……っ!」


 エレノアの膝が崩れた。床に手をつき、荒い息を繰り返す。


「聖女殿!」


 アルベルトが駆け寄った。彼女の顔は青白く、唇からは血の気が失われていた。


「もう、やめてください!」


「でも……まだ、北の村が……」


「兵を向かわせています。あなたは、もう十分です!」


 アルベルトは彼女を支えた。


 エレノアは、窓の外を見た。


 黒い空。遠くで上がる火の手。そして、微かに見える結界の光。それは、完全な守護ではなかった。


 人間が自ら対処しなければならない現実が、ついに目の前へ現れたのだ。


 国王は、呆然と立ち尽くしていた。彼が永遠だと信じていた加護は、確かに揺らいでいた。


 聖女の命を捧げれば、全てが元どおりになる。その希望さえ、もはや確かなものではなかった。


「……何故だ」


 国王は呟いた。


「何故、結界が戻らぬのだ」


 誰も答えなかった。


 その夜、王宮の者たちは初めて知った。女神の加護は、永遠ではない。


 そして、人間が備えを怠った年月は、祈りひとつで取り戻せるものではないのだと。


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