28番地 カラオケで浄化される程度の煩悩
遂に始まった夏休み。俺達はカラオケに来ていた。もちろん言い出しっぺは牛込である。
「リュンヌで歌う機会はほとんどない。新鮮」
「そもそも歌う場を商売にするという発想がないからねぇ。ああそうだ、これを渡しておこう」
シルヴィがクロエに渡したのは……どう見てもマイナンバーカードだ。名前も写真もしっかりクロエのものが印刷されている。
「待て待て待て、色々ツッコみどころがあるが……なんでシルヴィさんが持ってるんですか」
「これでも元・宮廷魔導士だ。このぐらいなら、参考資料さえあれば造作もないさ。想像以上にセキュリティが細かくて、少々骨が折れたけどねぇ」
「参考資料?」
「牛込君のカードさ。私の分もあるよ」
「……ニッポンでの私の存在証明。……ありがと」
「おや? クロエが素直に礼を言うとは、明日は雨でも降るのかい?」
「……余計なお世話」
気を取り直し、まずは牛込が1曲予約する。歌うのは……ベタに最近流行りのJポップである。
下手というほどでもないがすごく上手いわけでもない——点数でいえば80点台ぐらいか。
……ただ牛込、分からないからといって2番を適当に歌うベタまでやらなくていいだろ。
次は俺の番。選曲は、まあ定番の男性ボーカル曲だ。
……最初こそ気持ちよく歌えていたが、声が低めなのもあって、サビの高音が出ない。
「無理して原曲キーで歌うからだろ」
「ぐっ……言い返せねぇ」
続いてクロエの番。「これなら何回か聞いたことがある」と流行りの曲を入力してみるものの……。クロエは画面の歌詞を見つめながら、普段のローテンションなトーンのまま、棒読み気味に歌う。案の定、表示される音程は平坦そのものだ。
「音程の上下変動が小さすぎる……音痴?」
「いや音痴っていうか、普段の喋り方のまま歌ってるせいだろうが」
「いやぁ、聞くだけでも三者三様で面白いねぇ」
「大師匠様も何か歌ってみないっスか? てか、向こうの歌聞いてみたいっス!」
「リュンヌの歌かい? こっちの機械には入っていないだろうから、アカペラ……いや、少しこの部屋の響きを借りて歌ってみようか。曲目はそうだね……『星脈の巡礼歌』にするか」
牛込からマイクを受け取ったシルヴィがゆっくりと立ち上がり、軽く構える。スッと息を吸い、口を開いた瞬間、部屋の雰囲気が一変した。
天を仰ぎし 創世の地に
星の脈動は 静かに満ちる
旅路の果てに 散りゆく魂
巡る理の 輪に還らん
風よ語れ いにしえの誓いを
大地よ抱け あまたの喜びと嘆きを
悠久の刻を越え 光は紡がれ
静寂の彼方へ 永久に捧げん
ラ・アルカ シェラ・フェル アストラ・ノヴァ
我らはただ 星の瞬きが魅せる 刹那の夢
澄み渡るような声量と、遥かな歴史を感じさせる神聖な旋律が部屋を満たし、壁や床が僅かに振動するレベルの圧倒的音響に空間が支配される。
さっきまでタンバリンを叩いて「ヒューッ!」と盛り上がっていた牛込でさえ、途中でピタッと動きを止めて背筋をピンと伸ばし、半開きの目で天井の一点を見つめていた。
…………なんか悟りを開いたような顔をしているぞ?
まさかコイツ、上手すぎる歌で煩悩が全部洗い流されて解脱しかけてるのか!?
歌が終わると同時に、室内に満ちていた神聖な空気がスッと消える。
「ふぅ、なかなか響きの良い部屋だねぇ。……牛込君はさっきからどうしたんだい?」
「諸行無常……色即是空…………オレ、ちょっと出家してきます」
「戻ってこい牛込!! たかがカラオケで悟り開くな!!」
「特に何か仕込んだつもりはないんだけどねぇ……」
「……大師匠の『星脈の巡礼歌』には国家式典レベルの魔力波長が宿ってる。非合理的音響兵器」
そんなわけでクロエとシルヴィがしれっと身分証を手に入れました。
これでさらに動かしやすくなるぞ⋯⋯




