第七話 蜘蛛の巣は少しづつ
数日後。バラド卿の屋敷には、見たこともないような活気が満ちていた。
カイルから持ちかけられた「冷晶石」の再開発計画。バラドは半信半疑ながらも、調査費用として金貨五百枚をカイルに預けていた。それは彼にとって、着服した公金の一部に過ぎず、万が一失敗しても「授業料」で済む程度の額だった。
だが、その日の夕刻。カイルが持参した「結果」が、バラドの理性を吹き飛ばした。
「……信じられん。これが、わずか三日での配当だと申すのか?」
バラドの目の前には、眩いばかりの金貨が二千枚、袋に詰められて置かれていた。
五百枚が二千枚に。わずか数日で資産が四倍に膨れ上がった計算だ。
「はい。帝国の極秘ルートを通じて、試験的に採掘した原石を精錬所に回したところ、予想を上回る純度だったようです。バラド卿の迅速なご決断のおかげです」
カイルは、いかにも「商売のことはよく分からないが、上手くいったようだ」という無垢な笑顔を浮かべている。
もちろん、その二千枚の金貨は、カイルが帝国から持ち帰った慰撫金(公金)から密かに「融通」したものだ。自分の懐から出した金を、利益だと偽ってバラドに渡す――詐欺師がカモを信じ込ませるための、古典的な手口だった。
「素晴らしい……! やはり私の目に狂いはなかった。帝国軍の奴らめ、こんな宝の山を隠し持っていたとはな」
バラドは金貨を指に絡め、その重みを確かめる。
カイルはその恍惚とした表情を冷徹に見つめ、さらなる「毒」を注ぎ込んだ。
「ですが、バラド卿。問題が一つ……。帝国の採掘機材を密輸するには、今の資金では足りません。本格的な採掘が始まれば、一回の利益は金貨三万枚を下らないでしょうが、初期投資に少なくとも一万枚は必要かと」
「三万……! 一回で、三万枚だと?」
バラドの瞳に、どす黒い欲望が渦巻いた。
一万枚出せば、三万枚、いやそれ以上の富が手に入る。名門の誇りを守るための屋敷も、地位も、女も、すべてが手に入る。
「……一万枚。すぐには用意できん額ではない。だが、少し時間がかかる」
「左様ですか。残念ですが、機を逃せば、帝国軍の残党が機材を他国へ売り払ってしまうかもしれません。……他に、この価値を理解してくださる貴族がいれば良いのですが」
カイルが席を立とうとする。
「待て!」とバラドが叫んだ。
「他の奴らなどに関わらせるな! ……分かった。三日だ。三日待て。必ず用意する」
カイルは背中を向けたまま、静かに口角を上げた。
獲物が、自ら網の奥へと潜り込んだ瞬間だった。
帰り道。城の長い回廊を歩くカイルの数歩後ろを、セドリックが歩いていた。
周囲に人気がないことを確認し、セドリックが低く、だが鋭い声で口を開いた。
「……カイル様。一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「なんだ、セドリック」
「あなたがバラド卿に渡したあの金貨。あれは、国庫に納めるはずだった帝国からの慰撫金……つまり、国民の血税ですね?」
セドリックの視線は、カイルの背中を射抜くように冷たい。
王の監視役として、彼はカイルが「横領」に手を染めた現場を目撃したのだ。報告すれば、カイルの首は飛ぶ。
だが、カイルは足を止めず、愉しげに笑った。
「ああ、そうだ。公金を盗んで、悪党にプレゼントした。……お前の『主人』への報告書には、そう記すのか?」
「……。あなたが何を企んでいるのか、私には分かりかねます。バラド卿を太らせて、どうするおつもりですか?」
カイルは不意に立ち止まり、振り返った。
窓から差し込む月光が、彼の横顔を半分だけ白く照らし出す。
「セドリック。詐欺師……失礼、商売人には二種類いる。『目の前の小銭を盗む奴』と、『未来の富を創る奴』だ。俺は後者だ」
カイルはセドリックに歩み寄り、その耳元で囁いた。
「バラドが一万枚をどこから工面するか、想像がつくか? 奴は自分の財産だけでは足りず、さらに公金を使い込む。……そして三日後、奴が全賭け(オールイン)した瞬間に、その一万枚ごと、バラドの首を陛下へ献上する。……浮いた金は、この国の軍備と、お前のような優秀な男の給料に化けるわけだ」
セドリックの瞳が、驚愕に大きく見開かれた。
単なる汚職ではない。カイルは、自らを「悪」に染めることで、この国の膿を、その資産ごと根こそぎ摘出しようとしている。
「……私を、共犯にするおつもりですか」
「共犯? 心外だな。俺はただ、掃除を手伝ってくれと言っただけだ。……お前が陛下に報告するのは、『カイルはバラド卿と親交を深め、内政を学んでいる』。それで十分だ」
カイルはセドリックの肩を軽く叩き、再び歩き出した。
セドリックはその場に立ち尽くし、遠ざかる「英雄」の背中を眺めていた。
正義か、悪か。そんな物差しでは測れない、底知れぬ深淵がそこにはあった。
「……。毒をもって毒を制す、か。……あまりに危うい賭けだ、カイル様」
独り言は夜霧に消えた。
三日後。この小国を揺るがす「史上最大の破滅」が幕を開けようとしていた。




