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第八話:チェックメイト


 約束の三日目。

 バラド卿の隠れ家である郊外の別邸には、重厚な鉄の箱がいくつも並べられていた。箱の中身は、彼が王国の各部署から強引に「予算」として引き出し、私産を叩き売り、果ては高利貸しからかき集めた金貨一万二千枚。

 レギウム王国の年間予算の数分の一にも相当する、文字通りの「国家の血」である。

「……揃ったぞ、カイル殿。これですべてだ」

 バラドの顔は、寝不足と興奮で土気色に濁っていた。

 だが、その瞳だけは獲物を前にした獣のようにぎらついている。一万二千枚を投じれば、数倍の富が返ってくる。彼はすでに、自分が王をも凌ぐ権力者になる妄想に取り憑かれていた。

 カイルは、セドリックを伴って現れた。

 彼は無造作に箱を開け、金貨の山を指ですくい上げた。チャリン、と硬質な音が室内に響く。

「……素晴らしい。これだけの重みがあれば、帝国の精錬機材も、技術者も、すべて買い叩けますね」

「当然だ! 私を誰だと思っている。……さあ、早く『契約書』を。帝国のルートに、この金を流す段取りを済ませろ」

 カイルは懐から、一通の書類を取り出した。

 そこには、投資の条件と、バラド卿が「この資金を自らの責任で用意した」ことを証明する文言が、難解な法務用語でびっしりと並んでいる。バラドはろくに読みもせず、震える手で署名し、家紋の刻印を押した。

 その瞬間。

 カイルの口角が、これまで見せたことのない角度で吊り上がった。

「……終わりましたね。バラド卿」

 カイルの声から、先ほどまでの「若き武人」の初々しさが完全に消えた。

 低く、粘りつくような、深淵から響くような声。

「……え? ああ、契約完了だ。さあ、早く機材の手配を――」

「いいえ。終わったのは、あなたの人生です」

 カイルは署名された書類を、背後のセドリックへ放り投げた。

 バラドが呆然とする中、カイルは一歩、また一歩とバラドへ歩み寄る。その足取りは、もはや英雄のそれではない。獲物をいたぶる準備を終えた、冷酷な捕食者のものだ。

「な、何を言っている……? 冗談はやめろ、カイル殿」

「冗談? 貴族というのは、自分たちがつく『つまらない嘘』を基準に世界を見ているから困る。……俺がついたのは、もっと巨大で、美しい嘘ですよ」

 カイルはバラドの胸ぐらを掴み、無理やり至近距離で目を合わせた。

「冷晶石の鉱脈? 帝国の精錬技術? ……そんなもの、最初から存在しません。この書類は単なる『投資契約』じゃない。あなたが公金を横領し、敵国との不透明な取引に全財産を投じたという、完璧な『自供書』だ」

 バラドの顔から血の気が引いた。口がパクパクと金魚のように動く。

「嘘だ……。だって、あの配当金は……二千枚の金貨は本物だった!」

「ああ、あれな。……あれは、陛下から預かった帝国からの慰撫金ですよ。あんたを釣るための『撒き餌』に、あんたたちの税金を使った。最高に滑稽だと思いませんか?」

 カイルはバラドを突き飛ばした。

 高級な絨毯の上に無様に転がるバラド。カイルはその上に立ち、見下ろしながら鼻で笑った。

「あんたが必死にかき集めたこの一万二千枚。これは今この瞬間、俺が『不正を暴いて回収した公金』として、国庫……いや、俺の管理下に置かれる。あんたには、国家反逆罪と横領罪、それから……ああ、そういえば、あんたが以前殺した使用人の遺体も見つかりそうだ。セドリックが優秀でね、掃除のついでに見つけてくれたよ」

「……っ、お、お前……! 貴様、英雄などではない! 悪魔だ……詐欺師の類だ!」

「最高の褒め言葉だ」

 カイルは冷たく言い放つと、懐からハンカチを取り出し、バラドに触れた指を丁寧に拭った。

「英雄なんてものは、民衆に夢を見せるための『商品』に過ぎない。俺はその商品を演じながら、あんたのようなシロアリを駆除しているだけだ。……感謝してくださいよ。あんたの汚い金が、ようやくこの国のために正しく使われるんだから」

 カイルが合図を送ると、別邸の周囲を囲んでいた憲兵たちが一斉に踏み込んできた。

 引きずられていくバラドの絶叫が響く中、カイルはセドリックに向き直った。

「セドリック。報告書はどう書く?」

 セドリックは、手にした署名済みの書類を静かに見つめ、一礼した。

「……カイル様は、身の危険を顧みずバラド卿の懐へ飛び込み、王国最大の汚職を暴かれた。……回収された資金は、英雄カイル様の提案により、軍備の近代化と民の救済に充てられる。……そう、陛下へ奏上いたします」

「くくっ……。お前も、いい嘘をつくようになったじゃないか」

 カイルは金貨の詰まった箱を一つ蹴り開けた。

 溢れ出す黄金の光を浴びながら、彼は窓の外に広がる、何も知らない民たちの街を眺めた。

「さて。シロアリ一匹で一万枚。……この国を『買い取る』には、あとどれだけの首が必要かな」

 英雄の背中は、夜の闇よりも深く、黒い影を落としていた。


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