5 【アイスバーグ侯爵視点】次女スターシアの娘
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アイスバーグ侯爵家の当主の執務室に、主人として入室した時のことは今でも鮮明に覚えている。
父に呼ばれてこの部屋に入っていた頃は、部屋の中のものが何もかも大きく見えた。
どっしりと構える父の威光が部屋中に充満しているように感じられた。
跡を継いだ私も、皆にそのように見られているのだろうか。
妻は息子を産むことなく早くに亡くなってしまった。
娘が二人いるが、結婚した娘たちが産んだ子も二人とも女児だった。
我が一門をやっかむ奴らが、「後継となる男児が生まれないのは、あくどい商売をやっているからだ」などと誹謗していることは知っている。
ライバルにもならない奴らのやっかみなど相手にする価値もない。
だがやはり、息子がいたらと思わない日はなかった。
せめて孫が男児なら、物心つく前から徹底的に商売のイロハを叩き込んでやったのだが。
娘婿は二人とも養子として迎えた。
才能がある方を後継にしようと考えていたが、長女アンジェリカの夫のパフィオに商売の才はなかった。
結婚前にパフィオの身辺調査をしたところ致命的な欠格自由はなかったが、後継たる資質に欠けていることは明らかだった。
アンジェリカが、「結婚を許してもらえないなら自害する」と泣き続けたため、仕方なく許したが。
男児を産めば、私が一から教育できると思い許可したのが間違っていた。甘い考えだった。
アンジェリカはパフィオが後継者だと信じて疑っていないようだが、長女だからと熱心に教育した私にも責任がある。
次女のスターシアの方は早くに夫を亡くし未亡人となった。
スターシアは幼い頃から家業には全く興味を示さず、自分の世界に閉じこもっている子だった。
取引先からの評判の良い男を私が結婚相手に決めたが、特段嫌がりもせずすんなり結婚した。
キシスは見込み通り優秀だった。
――それなのに事故で命を落としてしまった。
あれほどあっけなく逝くとは。
少しずつ仕事を任せていこうと考えていた矢先のことだったので、私も頭を抱えてしまった。
パフィオはキシスに比べるまでもない。
あと十年は引退するつもりはないと宣言しているので、誰も後継者の話題は出さないが、養子を取らなければ、パフィオが後継者だと見られかねない。
養子の当てはあるのだが――。
次期当主を誰にしたものか。
歴史ある偉大な一門を私の代で終わらせる訳にはいかない。
そんな折、昨夜見えた一筋の光……マリレーン。
女児であり、しかも母親が大人しいため、これまであの子に注目することはなかったが、ケーキを器用に切り分けながら分数の計算をしてみせた姿は、在りし日の私自身と重なって見えた。
私の血を受け継いだ子どもなのか?
商才があるのか?
期待し過ぎてはいけないと思いつつも、予感が当たっていてほしいという願望が私の中で大きくなっている。
思わずティーカップをガチャンと音を立てて置いてしまった。
やれやれと思っているところにノック音が聞こえた。
「ワーム・リドレイ様がお見えになりました」
「入れ」
ワームが入室するとランセが静かにドアを閉めた。
ワームはとっくに五十を過ぎているはずだが、まだまだ現役だと言わんばかりのオーラを放っている。
豊かな白髪をオールバックにして、後ろで一つに結んでいる。
「よく来てくれた」
「お呼びとあらばいつでも馳せ参じます」
「ははは。授業がある明日まで待てなかったのかと顔に書いてあるぞ」
「おお、私としたことが。当主様相手に腹芸は通じないと分かっていたはずですのに」
時候の挨拶の代わりに互いに他愛もないことを言い合うと、ワームがスッと真顔になった。
「――それで。何かございましたか?」
「ああ。孫娘の教育について相談があるのだ」
「……」
ワームが、「そのことなら何度も具申しましたが?」という眼差しで私を静かに見ている。
「違う違う。コラレットではなく、マリレーンの方だ」
「スターシア様のお子の?」
「そうだ。昨日初めて分数を習ったそうだが、たちどころに理解して、簡単な計算までできていた」
「は?」
「コラレットはまだ分数まで辿り着いていないようだが」
「ええ。そもそもコラレット様は勉強を嫌っておいでですので。せめてどれか一つでも興味を持って取り組んでいただけたら――あ。失礼いたしました」
「いや。いいのだ。生まれ持った資質というものがある。今更だが、明日からマリレーンにもコラレットと同じ授業を受けさせようと思う」
「それは――」
ワームが、「おやめになった方がよろしいかと」と続けるだろうことは分かっていたので、視線で黙らせた。
「コホン。子どもながらにコラレット様にもご一門を継ぐ者としての矜持がおありだと思います。マリレーン様と一緒に授業を受けることになれば、競わされていると思われるでしょう」
「うむ。それで癇癪でも起こすと?」
「いえ。そこまでは――」
言葉では否定していても、目を伏せているではないか。
「孫娘を利用して一門を発展させようなどとは考えておらぬ。相手が問題のない者ならば結婚は好きにさせる。もしかしたら成人して家業を手伝いたいと思うかもしれん。まあどちらでもよいが、結婚して家を離れることになろうとも、学んだことは役に立つだろうからな」
「承知いたしました。マリレーン様へも誠心誠意お仕えさせていただきます。ちなみに明日からとおっしゃいましたが、お二人一緒にという意味でしょうか?」
「ああ。問題があるか?」
「まだマリレーン様の実力も分かりませんし、授業を進めていけば理解度に差がつくでしょうから、どちらに合わせるか悩みますね。理解度の高い方か、あるいは低い方か」
「うむ」
「それよりもやはり……コラレット様がマリレーン様を受け入れられるか疑問です。授業に集中できないどころか、攻撃をやめない姿しか浮かばないのですが」
孫娘たちと顔を合わせることが滅多にないため、二人の仲がどのようなものか正確には把握していないが、両親の影響でコラレットがマリレーンを下に見ていることは分かる。
それを当のマリレーンも母親のスターシアもなんとも思っていないのだ。
ワームは矜持などと心にもない言葉で持ち上げていたが、まあ確かによくは思わんだろうな。
それで二人の学習が遅れてしまっては本末転倒だ。
「よかろう。既に習熟度に差があるだろうから個別で頼む」
「では先に予定通りコラレット様の授業を行い、その後でマリレーン様の授業をいたしましょう。コラレット様は私の授業の後も予定があるでしょうから、同じ部屋は使えませんね」
「ああ。マリレーンには図書室の横の部屋で勉強をさせているのだ。当面はそこを使ってくれ」
「かしこまりました。マリレーン様に関してもご報告はこれまで通り月初めでよろしいですか?」
「そうだな。そうしてくれ」
他の教師陣にも急ぎ手紙で知らせてあるが、果たしてマリレーンの実力はいかほどのものだろうか。
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