事件簿⑥予言者編
体調が悪い時はお休みしようね……
「38.2℃、完全に発熱してますね」
産業医のトンは体温計を確認すると、すぐに消毒を始めた。
「すみません、朝は元気だったんですけど……」
「昼からじわじわ上がることもあるんですよ。連絡書を書きますから早退して、かかりつけのお医者さんに行ってくださいね」
「はい……」
ラボの救護室は、文書管理室の目の前だった。
建物の最上階、それも階段から少し離れた端に近い場所だ。
随分と不便な場所にあるので、この部屋を訪れる人はとても少ないらしい。
救護室では、簡単な診察や怪我の手当が行われる。
処置が済むと、仕事が継続出来るかどうかを判断してもらい、連絡書を書いてもらうことになっている。
「社会人にもなって情けないです……」
「そんな事ないですよ。風邪なんて誰だって引きますから」
トンの背は低いが体は大きく、長い前髪をブタのモチーフがついたピンで留めている。
全体的にもちもちした印象を受け、声や表情も柔らかい人だった。
ラボの産業医は二人いるのだが、トンはいつでも優しくて安心感がある。
もう一人の産業医は、三白眼で乱暴で、タバコ臭い、とても医者とは思えない初老の男性だった。
以前、紙で指を切ってしまい、絆創膏を貰いに行った時は「そんなモン唾でも付けときゃ治る!」と追い出されてしまった。
因みに彼のラボネームは自称『お医者さん』である。社員証を見た事がないので、本当のラボネームなのかは不明だ。
「あ、ごめんちょっと待って」
連絡書を書いていたトンの手が止まる。
トンは目をキュッと閉じながら、コメカミの辺りに手を添えた。
「今、所長がサーバールームを出た気がする」
「え?」
トンはPC画面を操作し、誰かのバイタルデータを表示した。
「やっぱり、体温が0.2℃上がってるね。さすがに寒くなったのかなぁ……」
体温は35.8℃と表示されていた。
サーバールームと言えば、ラボ全体のネットワークを管理する部屋で、事務所付近にあるはずだ。研修で一度入室した事があったが、確かに長時間あの部屋にいれば寒さに凍える事になるだろう。
しかし、あの部屋に所長が出入りしているとは聞いたことがない。
と言うか、所長が普段どこでどんな仕事をしているのかすら、聞いたことがなかった。
「サーバールームって、一階の……?」
「いや、それとは別かな」
トンの言葉で、ある噂話を思い出した。
幻のメインサーバールーム……もとい、ラボ製のアンドロイド達の情報が保管された部屋があるらしい。
と言っても、その部屋の入口や存在を確かめた職員は誰もいないという、ラボ版七不思議の一つだ。
「所長〜」
トンは席を立ち、医務室の扉を開けた。
扉の向こうに、白衣と灰色の髪が揺れるのが見える。
「お疲れ様です。ココアは要りますか?アンに連絡しますよ」
「あぁ、頼む。ちょうど向かうところだったんだ」
「承知です。いつもの部屋に届けてもらいますね」
トンは扉を閉めて、デスクに戻ってくる。
所長が歩いてきた方向には、文書管理室しかない。
一応、文書管理の先にも通路は続いているのだが、扉や部屋のようなものは無く、突き当たりに資材を運搬するためのエレベーターが設置されているだけだった。
「ごめんね、先にこれだけ連絡させてね」
トンは一言そう断って電話をかけ始めた。
「もしもし、アン?今所長がいつものとこ向かってるからココア用意してくれる?……うん、うん。ありがとう、よろしくね」
電話を切ると、トンは再びペンを取り連絡書を書き進めた。
……先程より少し、走り書きになっている。
「はい、これ司書さんに渡してね」
「あ……はい」
連絡書を受け取り、立ち上がる。
俺はまた何か、見てはいけないものを見てしまった気がする。
トンは俺と同じタイミングで退室し、救護室に「外出中」の札をかけた。
「それじゃお大事にね」
トンは、所長が向かったと思われる方向に小走りで駆けて行った。
駆けて、と言っても擬音をつけるなら「もったもった」という感じではあるのだが……
ぽつんと取り残され、俺はしばらく連絡書を見つめていた。
司書の元に向かう前に、文書管理の先に続く通路の方を見る。
やはり、そこには何も無い。
ただ、少し遠くにエレベーターの扉が固く閉まっているだけであった。
もしかしたら、あのエレベーターに仕掛けがあるのかもしれない。
コマンドを入力するとサーバールームに移動出来るとか、所長にしか行けない秘密の通路に通じているだとか。
所長はそこからこの階に来て、わざと救護室の前を通る。するとトンが気付いて、先程のようなやり取りをして、ノータイムで温かいココアを受け取っている……とか。
……って、モバイルオーダーかよ。
「…ッ」
悪寒が走り、頭がズキズキと痛む。
体調も悪いのに、余計なことを考えるのは悪手だろう。
俺は、文書管理室へと戻ることにした。
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後日、すっかり元気になった俺は、数日ぶりに出社準備をしていた。
仕事用端末の通知音が鳴り、内容を確認する。
社内報が出ていた。
Unknown……例のイベント予報の送信者からだった。
『所長がステルスモードに移行しました。遭遇の可能性がありますのでご注意ください。』
「ステルスモード……」
職員手帳を開きページを捲ると、ラボ内用語集にそれらしき記載を見つけた。
『ステルス警報
Lv5職員の全員が所長を見失った際に発報される警報。
所長がどこに潜伏しているのか不明であり、遭遇の可能性が上がるため新人職員は特に注意すること。』
(行きたくねぇぇぇぇ!!)
数日間寝込んでいたおかげでせっかく束の間の平穏を手に入れたと言うのに、復帰早々、所長に巻き込まれてはたまったもんじゃない。
これまでは上手く切り抜けて来たものの、今度こそ地雷を踏むかもしれないのだ。
しかしその時、額が跳ね上がった給与明細と、手当として受け取った茶封筒の厚みが手に蘇った。
俺の財布はラボにガッツリと掴まれていることを思い出す。
「し、仕方ないか……行くしかないもんな……」
自分でもわざとらしく馬鹿馬鹿しいと思いながら、ソワソワと落ち着かない心持ちで玄関に向かった。
別に、巻き込まれたい訳では無いのだ。
ただ、上手くやれたらボーナスがつく。これは見方を変えればチャンスという事でもある。
一先ず、俺がやることは何も変わらない。
ラボに向かい、仕事をして、終わればバイトに向かう。いつもの日常に乗っかるだけだ。
「行ってきまーす」
いつも通り家族に声をかけ、家を出た。
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ラボは、小高い丘の上に建てられている。
そこまで高いとか、道がデコボコしているわけではないのだが、歩いて登るとなるとそれなりに大変だった。
穏やかな気候でも歩けばそれなりに汗をかくこの季節。病み上がりということもあって息を切らしながら登っていくと、木々の中にレンガ造りの小洒落た建物と、それを取り囲む塀が見えてくる。
あれが、ネズミミ研究所だ。
敷地内にはラボ本部や目的不明の小屋、工場、その他用途ごとに建てられた建物がいくつか並んでいる。
因みに、アンドロイドの量産は丘のふもとの工場地帯で行っているため、ここにあるのはあくまで開発用の工場だそうだ。
歩きながら時刻を確認すると、普段の通勤時間より少し早めの到着となった。
間に合ったことに安堵し、本部へ向かおうとしたその時。
「あ」
木々の中に、所長を抱えた副所長と、その後ろを歩くトンの姿を見つけた。
俺は反射的に彼らの死角になるよう、近くの木の後ろに隠れた。
普通に挨拶すればいいのかもしれないが、何となく今は見つからない方がいいような気がする。
持ち前のモブスキルが役立つ時である!……はずだ。
息を潜めていると、脇に抱えられた所長が何か呻いているのが聞こえてきた。
「何でわかったんだ……今回も本気だったのに……」
「勘ですよ。僕は所長が何処にいても必ず見つけます」
「厄介者め……」
「はは、何とでも言ってください」
少しだけ顔を出して見てみると、三人は門の前で立ち止まり会話を続けていた。
出勤してきた職員たちが、気まずそうに頭を下げたり、小さく挨拶をしながら横を通っていく。
……皆、抱えられた所長に気付くとスっと目を逸らしている。
「何してんの?」
「ひゃあ!!」
突然背後から声をかけられ、驚いて声が上がった。
直ぐに口を塞いだが、あの三人には聞かれていないだろうか。
振り向くと、タバコを咥えた『お医者さん』の姿があった。
手には何故か、動物用の捕獲網を持っている。
「……何してんの?」
黙っているからか、お医者さんはもう一度俺に尋ねた。
「えっと……なんか変なタイミングで遭遇しちゃって……思わず……」
「ふーん……」
お医者さんはこれ持ってろ、と捕獲網を俺に手渡し、クシャクシャの白衣のポケットから金属製の携帯灰皿を取り出した。
吸っていたタバコを片付けていると、もう一つ別の足音が近付いてきた。
「……あれ?Cくんもう大丈夫なの?」
やって来たのは毛繕い係のアンだった。
彼女は何故か、ピーナツバターの瓶とプラスチックのスプーンを両手に持っている。
「アンさん……ええと、はい」
「それは良かった。で、二人とも何してるの?」
「あー、彼が気まずくて動けなくなったらしく、そこに遭遇したってワケだな」
俺は頷いてみせると、アンはなるほどと頷いて返してくれた。
お医者さんは携帯灰皿をしまって軽くポケットの上から叩き、捕獲網を受け取る。
「ねぇ、どうでもいいけどその網危ないからやめてくれない?所長が怪我するでしょ」
アンが眉をひそめてお医者さんに噛み付いた。
「多少の怪我くらいすぐ治すわ。俺が。お前の方こそピーナツバターでどうにかなると思ってんのか?」
「ふふん、ネズミを捕まえるにはコレが一番なのよ!」
……もしかして、二人が持っているのは所長を捕まえるための装備なのだろうか。
「あの、二人とも所長を何だと思ってるんですか?」
「え?そりゃネズミでしょ」
「あぁ、当たり前だろ」
(えぇ……)
もしかして、所長って人型に見えてるだけで本当は、実物も習性もネズミだったりするのだろうか。それこそ有り得ないのだが……
「あ……なんかピーナツバターの匂いが……」
「そんな訳ないでしょう」
「いや、近くにアンが来てるのかも」
……所長達の会話が聞こえてしまった。
冗談かと思ったが、お医者さんもアンも本気のようだ。
やっぱり、所長は本当にネズミなのかもしれない。
「さ、私達もそろそろ合流しましょう」
アンは使用済みのスプーンをビニール袋にしまい、ピーナツバターを抱えたままアスファルトの上へと登って行った。
「よし、俺達も行くか。戻りがてら送ってやるよ」
「いえ、結構で…」
「休んでる間にトラップ配置変わってたぞ」
「お願いします先生!!」
俺は速攻で掌を返してお医者さんの後を追い、所長達の少し後ろで立ち止まった。
Lv5の職員は、副所長、アン、トン、お医者さんの全部で四人。つまり、ここには所長とLv5職員の全員が揃った状態である。
「おうおうおう、また騒がせたなコンチクショウ」
お医者さんは、抱えられて抵抗の出来ない所長に近付くと、大きな手で髪を掻き混ぜるように撫で回した。
「やめろ!ミミがとれる!」
「がはは、抵抗してみろ〜!」
所長は力が入らないのか、軽く手足を動かす事しか出来ないようだった。
背の高い副所長に抱えられているから、地面に足を着けることすら出来ないようだった。
一頻り撫でられると、所長は自分の頭に取り付けたフェルト製のミミを気にしてペタペタと触って確かめている。
「ほら所長、ピーナツバターですよ。あとでパンに塗って食べましょう」
「うん……」
すかさずアンが機嫌を取りに入った。
ピーナツバターを所長に持たせ、その間に付けミミの位置を調整し、手鏡で確認させている。
一部始終を見て、毛繕い係という役職名に初めて納得した。確かにアンは毛繕い係だ。
後ろに着いてきていた俺にトンが気付いたようで、もたもたと駆け寄ってくる。
「盗み聞きはもういいんですか?」
と、柔らかい笑顔で言われてドキリとする。
「ば、バレてたんですね……」
「まあね。普通に通ってくれて大丈夫だったのに」
クスクスと笑うトンは、どうやら怒ったりしているわけではないようだ。
「すみません……」
「いやいや……さすがにこのメンツだと気まずいよね、仕方ない仕方ない」
いつも通り笑っているように見えるトンだが、何処か声に元気が無いように感じた。
よく見ると、目元には青みがかったクマが出来ている。
「トンさん、もしかして徹夜明けですか?」
「あぁ、うん。ちょっと外に出ていてね。これから不在になることが増えそうなんだよね」
いや参ったなぁ、とトンは背伸びをした。
背伸びをしても、彼のシルエットはもちっとしているけれど。
「あ、いけないいけない、警報解除しなきゃ」
トンは伸びをやめて、ポケットから端末を取り出して何かを操作し始める。
「……よし、送信っと」
トンが何かを送信すると、一泊置いて俺の端末が通知音を鳴らした。
確認すると、unknownからステルス警報解除の通知が来ていた。
「……も、もしかしてトンさん」
トンは、俺の方を見て人差し指を立てた。
内緒にしてね、と言ったところだろうか。
「わ、わかりました……」
「うん、ありがとうね」
そろそろ帰るよ〜と、トンは所長達に挨拶しに戻って行った。
「すみません、しっかり休んでください」
「もちろん。所長のこと頼みますね」
それじゃ、とトンは駐車場の方へと向かって行った。最後に、俺の方にも手を振ってくれた。
トンを見送ると、副所長達も解散することにしたらしい。
所長を抱えた副所長と、アンがラボの本部に向かって行く。
「じゃ。俺達も戻るかぁ」
お医者さんは俺の方に近付いて来た。
正直一人でさっさと出勤したいのだが、トラップ配置が不明なままラボ内を歩くのは自殺行為だ。
Lv5職員の案内があるのは心強い。
「お願いしま……」
「…の前に、一服させてくれ」
お医者さんは俺を通り過ぎて門の外に出て、胸ポケットから慣れた手つきでタバコとライターを取り出した。
既に、出勤しに来る人は途切れている。夜勤と思われる職員が出ていくばかりであった。
嫌な予感がして、端末の画面を点けた。
時刻は始業五分前を指していた。
「先生ダメですもう仕事始まります!」
「大丈夫大丈夫、なんとかなるから」
なんとかなるってなんだ!?
「お願いだから急いでください!」
「あーあーうるせーなぁ、うるせーからもう一本吸うかぁ」
「じゃあせめて今日のパターン教えて下さい!」
「どうすっかな〜」
ダメだ、話にならない!
俺は、お医者さんを待つのはやめて、ラボ本部に向かって走り出した。
靴を履き変えて、白衣を着て、最上階を目指して階段を駆け上らなければならない。
「間に合ってくれぇぇぇ!!」
着替えを済ませ、白衣のボタンをしめながら階段に向かった。
階段にはトラップがないから、5階まで上がってしまえばあとは運次第だ。
トラップが何も無いことを祈りながら、全力で階段を駆け登る。
大きく息を切らしながら最後の一段を登り切り、踊り場に出る。
跳ね上がった心拍数に苦しみながら、力の入らない足で通路に一本踏み出した。
…踏み出してしまった。
……。
…………。
結果は言うまでもない。
俺は、まんまとトラップの餌食になってしまった。
足裏に嫌な感覚がある。
べり、と粘着が剥がれる音が聞こえる。
それが粘着シートのトラップだと、気付いた時には既に遅かった。
思ったように足が上がらず、バランスが崩れる。
次の瞬間、俺は床に貼り付いていた。
程なくして、始業を告げるチャイムが鳴った。
端末からも、通話の呼出音が鳴り始めた。
とても虚しい気持ちになった。




