事件簿④到達編
田島から書類と司書への文句を幾つか受け取った帰り道、通路の奥に何か白い物体が落ちているのを見つけた。
よく見るとそれは何やら人のようで、うつ伏せになって倒れているようだった。
「だ、大丈夫ですかー?!」
俺は慌てて書類を投げ出し、駆け寄った。
幸い、救護室が近い。産業医を呼ぶのも、運び込むのもすぐに可能だろう。
しかし、ある程度近付いてから気が付いた。
灰色の髪とフェルトのネズミミ、倒れていたのは所長だった。
俺はそれに気がついた瞬間、急ブレーキをかけた。そして、柱を影に身を隠した。
耳を立てると、所長は何かぶつぶつと呟いている様子だった。
職員手帳、所長取り扱いマニュアルの一遍で読んだことがある。
もし、所長が落ちていたら適切な距離をとり、Lv5職員に連絡をとる。
この場合、救護室が近いため産業医が望ましいだろう。
俺は、急いで社内用の端末を操作し、登録されている番号に電話をかける。
『こちらは救護室です。どうされました?』
「トンさん!今廊下に所長が倒れていて……」
『なるほど、場所は?』
俺は今いる場所を連絡していたが、突如背後から両肩を掴まれた。
「ぎゃぁ!!!」
「やぁ、新入りくんまた会ったね……ふふ……」
それは青白い顔をした所長だった。
「しょ、所長!ああああの、顔色が……」
「いつもの事だから気にするな、それより話を聞いてくれ」
所長は気味の悪い笑顔を浮かべながら何かをつらつらと話し始めた。
両肩にはひんやりと冷たい所長の手の温度が伝わって来る。
「つまりだね、私が思うにこの時コペルニクスは決して恐怖に怯えていただけでは無かったんだ……」
所長は歴史上の人物……科学者達について熱く語っている様子だった。
俺はそこまで昔の人たちのことを知らないし、思いを馳せたこともない。
しかし目の前にいる所長は、顔色こそ悪いものの、その目はキラキラと輝いており、楽しくて仕方がないという気持ちだけは痛いほどにわかった。
「所長、楽しそうですね……」
「そりゃあ勿論だ!私たちは今、大いなる歴史の上に成り立っているのだよ!この事実が、面白くなければ何だと言うんだ!」
「は、はぁ……」
「鉄の歴史は戦争の歴史、医療の発展は倫理との戦い、そして今現在、真理とされているものは全て、膨大な死体の山の上に成り立っているんだよ。この意味が君にわかるか?」
「ええと……」
「私たちは決して孤独じゃないということさ……!」
俺は、暫し思案する。
所長の言っていることはあまりよくわからない、俺にはそこまでの知識も興味もほとんど無い。
けれど不思議と、少しその意味を考えてしまう。
「……つまり、全ては犠牲の上に今がある、と」
「そうだ」
ふと、ある人物が浮かんだ。
何度も宗教裁判にかけられ、有名な名言を残した科学者の名前だ。
「それでも地球は回っている……」
ガリレオやコペルニクスが提唱した地動説は、当時の定説であった天動説とは相反するものであり、特にガリレオは強い非難を受けていた。
今でこそ現実味は無いが、当時は科学的に正しいことであっても、口にすれば最悪、命に関わることもあったのかもしれない。
そして死ぬのはきっと、科学者達だけではない。
かつて定説とされていた天動説にも、それなりの根拠があったはずだが、今では間違った考え方として扱われている。
「所長の言う死体とは……科学者だけでなく、覆された仮説のことも含んでいるんでしょうか」
「そうだ。そして君は仮説を立てるのがとても上手い」
「え?」
「覚えておけ。科学の始まりは疑問を持つことだ。そして何より、科学とはモノをよく観ることだ」
所長はニコリと笑って見せた。
「君は疑問を口にすることができる。それは科学者としての素質だよ」
俺は咄嗟に、首を横に振った。
「そんな、大層なものじゃないですよ……」
きっと、所長は俺のことを評価してくれている。
これまでも何度か遭遇して来て、実際に言葉を交わすこともあった。
が、それは所長が問いかけてくれたり、何か話さなきゃと思って無理やり捻り出したようなものだ。
それなのに、所長が俺を見る目は、恐怖を感じるほどに真っ直ぐだった。
何か、確信を持っているような目だ。
まるで俺の全てを見透かしているぞと言われているような……
所長は何か言いたげに口を開いたが、その瞬間、力なく崩れ落ちるように膝をついた。
「所長?!」
俺は慌てて所長の身体を支える。
所長に意識は無く、力なく横たわっている。
「やあ、お待たせ。ごめんね、遅くなった」
そこに、もったもったと汗だくのトンが駆け付けてくれた。
「トンさん、俺……」
「大丈夫、君のせいじゃない。睡眠不足が続いていてね、このまま少し休ませよう」
悪いけど運ぶのを手伝ってくれ、と頼まれ、俺は了承する。
二人で所長の腕を肩に回し、ほとんど引きずるような感じにはなるが、救護室のベッドへと運び込む。
「はい、これで大丈夫。相手してくれてありがとうね」
トンはふにゃりと笑ってくれたが、俺は内心、不安でたまらなかった。
「俺の対応が悪かったのかもしれません、それで所長が倒れたんじゃないかって……」
「うーん……ちょっと座ってくれる?」
トンは少し腕を組んでそう言って、俺は促されるままに丸椅子へと腰掛けた。
トンは柔らかい顔をキュッと顰めて少し考えた後、手を振りあげた。
「とうっ!」
「あでっ!!」
トンさんはもちもちの手で、俺の頭をチョップした。
チョップとかするんだこの人……
「君はもう少し、自分に自信を持たなきゃいけないね」
「……でも」
「でもじゃない。僕は全部を聞いてたわけじゃないけど、所長は君と話すのをとても楽しいと思っているんだよ。これまでも、よく対応してくれてたらしいじゃない?」
「う……」
同じくLv5職員のアンや、副所長からこれまでの事件についても聞いているのかもしれない。
確かにみんなが褒めてくれるけれど、それは全て偶然であって、所長の気に障る発言を今後もしないとは限らないのだ。
「……所長にも言われたと思うけど、まずはよく観る、そして観測結果には嘘を混ぜないことだよ。不純物を取り除く、というのも大事な事だね」
「嘘と不純物……」
「そう。自分の思い込みや感情が強いと、それは時に、事実をねじ曲げてしまうから。ラボでは『主観が強い』とも言うね」
頭の中で、言われたことを並べてみる。
疑問を持つ、モノをよく観る、そして観たものに嘘をつかない。
「疑問はキッカケとなるけど、事実とは切り分けて考える、ってことですか?」
「うん、近いね。人はどうしても、こうであって欲しいという希望的観測をしてしまうから」
「どれだけ主観を削れるか……」
「そう!」
ぱちん、と指を鳴らしてトンが頷いた。
この人指パッチンもできるんだ……
(あ、今の俺、トンさんのことをちょっと偏見みたいなもので考えていたかも)
あのもちもちの丸っこい手では鳴らないと思い込んでいた。
実は俺は指パッチンが出来ない。
逆上がりもできないし跳び箱も出来ない。
何故か俺はトンさんは俺と同じだと思い込んでいるのかもしれない。
「……あの、トンさんって逆上がり出来ます?」
「え?」
「あと跳び箱とか……」
「いや出来ない出来ない……どうして?」
「その、指パッチンとか俺出来なくて……もしかしてトンさんは俺が出来ないこと色々出来るんじゃないかって……」
するとトンさんはわはは、と大きく笑った。
俺は途端に恥ずかしくなった。
俺はただの平社員、一方トンさんはラボ内最高レベルで、医師免許も持ったお医者さんなのだ。
俺よりもずっと色々出来て当たり前だ。
「なるほど、今の間に色々思案していたんだね」
「すみません、とても失礼なことを……」
「いやいや大丈夫。うん、僕が指パッチンしてるのが意外だったんだね」
「はい……」
トンは一頻り笑ったあと、俺の顔を見て静かに微笑んだ。
「……実はね、成功率安定してなくて。さっきは綺麗にキマったから自分でもビックリしたんだよね」
ほら、とトンは何度か指パッチンをして見せた。が、確かに掠ったような音や、小さな音しか鳴らなかった。
「ほ、ホントだ……」
「ね?」
俺たちはなんだかおかしくなって、クスクスと笑ってしまった。
トンが、何か飲んで行く?と聞いてくれたが俺はそれを断った。
「仕事中だしさすがにもう戻らないといけなくて……」
言いかけながら、俺は両手に何か違和感を感じた。
俺はさっき、品質部門の田島から書類を受け取りに出かけていたのだ。その帰りに所長が倒れているのを見つけて、それで……
「あ……書類、ばら蒔いたままだ……」
さっと体温が下がっていくのを感じた。
背中に嫌な汗が滲む。
「トンさんすみませんッ!俺もう戻らないとです!」
「うん、そうだね。走って転ばないようにね」
「ハイ!ありがとうございました!!」
俺は笑顔で手を振るトンに頭を下げ、急いで救護室を飛び出した。
散乱した書類の束を集めなければならない。全部あるといいけれど……
「頼む〜〜〜誰も踏まないでいてくれ〜〜〜!」




