事件簿③お客様相談室編
いつも通り出社しただけだった。
ラボ本部に一本踏み込んだ瞬間、突然俺の視界は暗転した。
臓器がふわりと浮かぶような感覚がして、俺は落下している事に気が付いた。
落下……というより、何か滑り台のようなもので滑落しているらしかった。
体の裏面に摩擦を感じる。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁ……ぐぇっ!!!!」
突然視界が開け、明るい光の中に放り出される。
あまりの眩しさにギュッと目を閉じると、全身に衝撃が走る。
硬いマットのようなものに着地し、鞄を抱えたままゴロゴロと数回回転した。
心臓が有り得ないほど強く早く脈打っているが、とりあえず、命はあるようだ。
「痛い……ていうかここどこ……」
起き上がると、辺りをキョロキョロと見渡した。
背後には、たった今転がり落ちて来たと思われる螺旋状の滑り台が設置されており、さらに同様のものが何台も点在していることに気が付いた。
ラボには様々なトラップが仕掛けられているが、今回もそのひとつだろうか。
俺は、一緒に転がり落ちた通勤鞄の中から職員手帳を探す……が、見当たらない。どこかで落としたか、家に忘れてきたらしい。
まずい……あの手帳は必ず持ち歩くようにと言われているものだ。
仕事中に紛失すると、全作業を止めてでも捜索に当たらなければならないほどの物だった。
「あれー?新入り君じゃーん」
「ぎゃぁぁぁぁ!!!」
ふいに声を掛けられ、驚いて叫び上げてしまった。
が、その声には聞き覚えがある。
「え、サキコさん???」
白い髪に青色の瞳。
そこにいたのは、ラボのお手伝い型アンドロイド、サキコの姿だった。
「良い叫び声だねぇ」
サキコはけらけらと可笑しそうに笑っていた。
が、俺は正直ちょっぴり安堵した。
彼女はお手伝い型アンドロイドだ。きっとこの状況からも助けてくれるだろう。
「サキコさん、ここどこなんですか?」
「ここはお客様相談室だよ。こっちに来て!待機場所があるから!」
サキコに手を引かれるまま、俺は不思議な空間を進んでいく。
地面も壁も一面が真っ白で、そのまま歩くと足跡がくっきりと残る。
サキコからは靴を脱ぐなと言われたが、サキコは靴下だけで歩いている。
白い空間はまるで距離が無いように思え、光の反射が強く、サキコの白髪も余計に眩しく思えた。
足元を見ると、薄い影が多方向に短く伸びて重なり合っている。
少し進んだ先に、見るからに上質なテーブルセットと給湯器が現れた。
それ以上先には照明がなく、どういう仕組みか、光が吸い込まれているかのような暗闇となっていて、先が見えなかった。
このラボに入所して以来一番の恐怖を感じ、悪寒が走った。
テーブルには『ご自由にどうぞ』と書かれた札と茶菓子が置かれ、まるで応接室のように見える。
それにしても随分と広く、居心地も最悪だが。
「ここで待っててね〜」
サキコはテーブルに置かれた何かのボタンを押した。
『相談室でお客様がお待ちです。係の者は対応をお願いします』
ノイズ混じりにアナウンスが流れる。
「よぉし、あとはお菓子でも食べて待とう!」
そう言ってサキコは茶菓子の中からチョコレートを取り、包装を剥がし始めた。
「待っ、待ってサキコさん、アンドロイドってお菓子食べられるんですか?」
今にもチョコレートを放ろうとする手を止めると、サキコは怪訝そうに顔をしかめた。
「えっ……食べられるよ?そんな事も知らなかったの?」
うわぁ、とドン引きしたような声を発する姿に、心が傷んだ。
アンドロイドにさえ俺は……俺は……
「アハハ、冗談冗談。まあ普通はダメだから、その違和感は正解だよ」
「じゃあ、それは戻してください……!」
「普通は、って言ったでしょ?僕は物を食べても大丈夫なように作られてる特殊個体だからね」
サキコは俺の手を振り払うと、なんの躊躇もなくチョコレートを頬張った。
「あ……」
「美味しい〜〜!!」
サキコは両手で頬を包み、ニッコリと笑った。
「あれ?もしかしてこの反応もう古い?わざとらしい?」
「……人間はあんまりやらないかもですね」
「へー。まあ関係ないけど」
サキコは退屈そうに、座ったまま足をパタパタと動かして見せた。
異臭や異音は発生していない。今のところ、問題は無いみたいだった。
座るように促されるも、とてもじゃないが落ち着かず、立ったまま待つことにした。
が、時計の音一つしない空間化では、ただ助けを待つだけの時間があまりにも長く感じられる。
静かな機械音のような、サーッというノイズは恐らく、サキコのものだろう。
「あの、サキコさん……俺手帳を無くしたか家に置いて来ちゃったみたいで……」
たまらず、俺はサキコに話しかけた。
「んー、大丈夫大丈夫、すぐ確認とれるよ」
サキコは軽く受け流し、もう一つ、さらにもう一つとチョコレートを口に放った。
「食べないの?」
「うん……」
とてもじゃないが、ものを食べるという気分では無かった。
待っている間に、母に連絡して手帳を確認しようと思ったのだが、携帯電話は圏外になっており、確認できるのは現在時刻程度のものだった。
そして、表示される時刻は先程からちっとも進んでいないように感じられる。体感時間と表示される時刻の差が、釣り合わない。
もし何も無く、たった一人でここに来たら、俺は早々に狂っていたかもしれない。
気分が更に悪くなり、俺は大人しくソファに座った。
クッションは思ったより深く沈みこみ、俺の頭は余計に混乱しかける。
本能的に、ここには長居してはいけないような気がした。
数分待つと、どこからか機械音が響いた。
音が反響するため、どこから鳴っているのかわかりにくい。
暗闇の中から足音が近づいてくる。
「……貴方でしたか」
真っ暗な空間に、ぼうっと浮かんでいるかのような副所長の姿があった。
恐らく床があるはずなのだが、白と黒の対比のせいか、そのように見えるのだ。
副所長の輪郭は、見れば見るほど安定せず揺らいでいる。
「ふ、副所長……」
俺は慌てて立ち上がった。それを、副所長が制止する。
「すみません、ここから出る前に何点か確認させてください」
俺は再び着席し、向かいに副所長が座った。
手に持ったバインダーからペンを取り外す。
「まず、ここに落ちた理由に心当たりなどはありますか?」
「ええと……特に……」
ふと、職員手帳が思い浮かんだ。
しかし、どう考えてもただの紙束だ。あれがきっかけとは考えにくい。
「何でもいいです。普段と違うことは何かありますか?」
「……関係あるか分かりませんが、職員手帳を持っていません。多分、家にあると思うんですが……」
「そうですか……」
副所長は腕時計で時刻を確認する。
「……うん、まだ始業前ですね。少し確認してみましょう」
副所長はLv5職員用端末を取り出し、何か操作を始めた。
どうやら、彼らの端末はここでも使用可能らしい。
「……あぁ、確認取れました。ご自宅にあると思いますので、地上に戻ったら取りに行ってください」
「え?あの、どうしてわかるんです?」
「あれには小さいですが、電子チップを入れてあります。普段は当然アクセスしませんが、GPSも搭載されてますからね」
「えっ……」
知らなかった、ていうか気付かなかった。
何度も取り出して読み込んでいるのだが、触っただけではわからない位置にあるのかもしれない。
「原因もわかりましたし、脱出しましょうか」
「はい……あの、すみませんでした」
「いえ、まだ一回目ですしね。それなりの罰則はありますが、それはまた追々、アンの方から案内させます」
「うっ……そうですよね」
罰則、という言葉に気分が沈む。
「司書の方にも遅刻の連絡は入れてくださいね」
「わかりました……」
副所長に促され、俺はソファから立ち上がる。
暗闇の方向に向かって副所長が歩き出し、俺も恐る恐る、真っ黒な床へと足を踏み出した。
一瞬、落ちて行くような錯覚の後、硬い感触が感じられた。
きちんと足場があるのに、どこか不安定に感じられる。踏み外したら落ちてしまいそうだ。
「サキコさん、現状復帰しておくように」
副所長が振り返り、サキコに指示を出した。
俺も釣られて振り返ると、応接間はまるで光の島のように浮かんで見えた。
「あいあいさー」
サキコは間の抜けた返事をして、俺がつけた足跡の方へと向かって行った。
「ここは基本的には侵入者撃退トラップとして運用しています。が、時折社員証や職員手帳を紛失した職員や、ダミー部屋に侵入した職員も迷い込むことがあるんですよ」
「そ、そうなんですね……」
お客様相談室、と呼ばれているが、仕様としては相談室と言うより尋問室に近い気がする。
恐らく、お客様へのアンケートとか何とか言って、拘束したりするのだろう。
「……実際、どのくらい捕まるんですか?」
「まあ……年に数人は。ほとんどが記者の方ですね」
「あぁ、なるほど……」
暗闇を進むと、副所長がぴたりと足を止めた。
壁があるらしく、手探りで何かを探し、ドアノブを回す音がした。
暗闇が押され、光が差し込んだ。
眩しさに目を細める。
光の中には、見慣れた仕様の空間と、エレベーター扉があった。
やっと現実が見えて来て、俺は心から安堵する。
このエレベーターに乗れば、地上に出られる。
副所長が呼び出しボタンを押すと、扉は直ぐに開いた。
エレベーターに乗り込み、扉の方に向き直る。
瞬間、目に飛び込む文字列に一瞬、ドキリとする。
『好奇心は猫をも殺す』
白い扉にそう、彫り込まれていた。
天井の照明によって照らされ、影が落ちている。
「趣味の悪いトラップでしょう」
「はは……」
もう疲れた。
正直このまま休みたい。
俺は扉に刻まれた文字を見つめながら地上に戻り、解放された。
エレベーターの出口はラボ敷地内の門付近にある小さな小屋のような建物で、すぐに外に出ることが出来た。
優しい太陽の光と外の空気に、目に涙が滲んだ。
「では、手帳を取ったら戻ってきてくださいね」
「はい……ありがとうございました……」
副所長に会釈をして別れた後、正直ヘトヘトになりながら、俺は職員手帳を取りに自宅へと向かった。
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手帳を持って出社し直すと、文書管理室にはアンが待ち受けていた。
「あ、お帰りなさい。待ってましたよ」
「……災難でしたね」
司書は俺を見るなり、柔和な笑顔を向けてくれた。
確かに大変な目にはあったが、遅刻は遅刻、それもガッツリ自分の過失。もっと怒られるかと身構えていたので拍子抜けだった。
「遅刻して申し訳ございません」
「いえ、手帳があって良かったです。次がないよう気をつけてくださいね」
「はい」
もう懲りた。正直あの空間に行くのは二度とごめんだ。
社員証と職員手帳、これらは職場以外では絶対に鞄から出さないことにする。うん。絶対に。
「さて、副所長から聞いているかと思いますが罰則について説明しますね」
「う、はい……」
俺は席に座るよう指示され、それに従う。
するとアンは俺の背後に立ち、頭に何かを取り付けた。
「えっ、あのこれは……」
俺が動くと、その何かはちりんと鈴の音を響かせた。
「ネコミミです」
「は?」
「ネコミミです」
言われて俺は手を伸ばす。もふもふとした毛足を感じる。
「今日は一日、退勤までそれを付けておくように。ラボ敷地内から出たら外してもいいですよ」
「まさかこれが罰則ですか?」
ちりん、ちりん。
「そうです。鏡見ます?」
アンはポケットから小さな手鏡を取り出し、渡してくれた。
カバーを外し、恐る恐る、頭の上に取り付けられたそれを写してみる。
白い毛並みとピンク色の耳、その付け根にはモフモフした球体のようなパーツと鈴が二つ取り付けられていた。
一言で言えば、とても可愛らしいデザインだった。
「こ、これ付けたままじゃないとダメですか?!」
「はい、罰則なので」
「そんな……」
俯くとまた、鈴がちりんちりんと音を立てた。
邪魔だし、うるさいし、成人男性がつけるには可愛すぎる。確かにこれは充分な罰則だ。
「ちなみに二回目は尻尾、三回目はネコのマスク、四回目はネコの手とスリッパが支給されますよ」
「絶対に嫌です!!」
その時、回転椅子が回る音がした。
見ると、司書が後ろを向いて顔を両手で抑えて肩を震わせている。
「なっ……」
「すみません……!想像したら、面白くて……!」
司書はそのままくつくつと笑いを堪えている様子だった。
きっと今頃、俺は耳まで真っ赤になっていることだろう。
「では、そういうことで。司書さん、監視をお願いしますね」
「はい、任せてください……」
司書はまだ僅かに笑いながらも体の向きを直し、アンを見送った。
アンが退室すると、司書は大きく咳払いをする。
「さて、それじゃあ仕事に戻りますよ」
司書の言葉で、俺もPCの画面に目を向けた。
仕事は仕事だ。遅れた分も、取り戻さないといけない。
俺は頭部のものを忘れるべく、仕事へと打ち込んだのだった……。




