事件簿②飲み会編
職員Cは家計のためにバイトをかけ持ちしています。
大変ですね。
金曜日、三つ目のバイト先をクビになった俺は、放心状態で飲み屋のカウンターに座っていた。
ぼんやりと、厨房で焼かれていく焼き鳥を見ている。
じゅうじゅうと音を立て、吹き出た油が炭に落ちて火が上がる。すると店員が手際よく串を回していく。
洗練された一連の流れを見ながら、今日のミスを振り返る。
本職の研究所ではLvの確認を怠り、 Lv3以上しか読めない「所長安全対策マニュアル」の一部を読んで司書に怒られたこと、トラップを踏んでジェルを被り、髪の毛が今もパサついていること、ぎっちりと詰まっているファイルを無理に取ろうとして、一段まるまるファイルを落としてしまったこと……
バイト先でも皿を五枚、グラスを三つ落としたこと……アツアツのおしぼりにびっくりして転んだ拍子に、お客様の顔にぶん投げて……しまった……こと……
「死にたい……ッ!!」
ガン、と音を立ててカウンターに頭をぶつける。店員がチラッとこちらを見たが、特に何も言わずにいてくれる。
ありがたいことだ。
他の客達も自分たちの会話に熱中していて、俺のことなんか微塵も気にとめない。
ほんとありがたいな、放っておかれるって。
ふと、妹の笑顔が頭に過ぎる。ごめんな、こんな情けない兄ちゃんで、ごめんなぁ……
ふと冷たい空気を背中に感じた。誰かお客さんが来たようだ。
何となく振り返ると、そこにいたのは……
「やあやあ田島くん、今日は誘ってくれてありがとう!私はこういう場所初めてだから嬉しいよ!」
「いや別に誘ってませんて……」
灰色の髪、フェルトのつけ耳、丸いメガネとぴったりとした白衣……
「ぅえぇえ?!所長?!?!」
所長と田島、その後ろから副所長が入店して来た。
「ん?うちの職員か?」
「あぁ、確か司書んとこの…」
「文書管理室か!それはいい、ぜひ一緒に飲もうじゃないか!」
そうして俺の右側に所長、その向こうに副所長、反対側に田島という、奇妙な配列となりカウンターを占領してしまった。
(か、帰りたい……!!)
副所長はメニューを手に取り、所長に静かに声をかける。
「…所長、飲み物どうします?あと食べ物も。かなり種類がありますよ」
「飲み物は君が選べ。それか君と同じものを飲む!食べ物は……あぁ、これがいい!」
やり取りを終えると副所長は店員へと声をかけ、注文を始める。
カシスオレンジと、お任せ盛りを二つずつ。
副所長はこっそり、店員に何か伝えているのが見えた。
所長は、焼き鳥が焼かれる様が面白いらしく、厨房内をじっと見つめている。
「おい職員C、お前ちゃんと食ってんのか?」
ふと、田島が肩に手を回し話しかけてきた。
「え?!えっと、はい、そこそこ…?」
俺は縮み上がりながら答えたが、田島は、レモンサワーのグラスが水滴に覆われていること、焼き鳥どころかお通しすらほとんど手をつけていないのを見ると、大きくため息をついた。
「……食え」
「はい?」
「もっと食え!食ってのはなぁ、生きる力に直結してんだよ。お前はあまりにもなよなよしてる。このなよなよ野郎が。もっと食え!今日は奢ってやる!」
(えぇえええええええ?!?!?!)
驚いて固まっていると、田島は店員に次々と大量の焼き物と逸品、そして、メガサイズのビールを二つ注文した。待って、俺ビール飲めない……
そうこうしているうちに、所長と副所長の元にお通しと飲み物が提供される。
「こちらお通しと、カシスオレンジになります。薄い方はどちらに…」
「何?おい、また私の酒を勝手に薄めたな?」
所長が副所長を睨む。
「所長は酔うと手をつけられませんので。こちらの負担も考えてください」
「やだね。薄い方はあっちにやってくれ」
店員は、少し困った顔で所長に言われた通り色の濃いカシスオレンジを所長側に置いた。
そして副所長に、薄い方は作り直そうかと提案している。副所長はそれを断り、代わりに水を持って来るよう頼んでいる。
所長が、出されたカシスオレンジにさっそく手をつけようとすると、副所長がそれを制止した。
「飲み物が揃うまで待ってください、所長」
「何故だい?」
「こういう時は、皆で乾杯してから飲むのがマナーです」
「ふ、僕にそんな"まなあ"が通用するとでも?」
「してください。出来ないならもう外出許可は出せませんよ」
「チッ、けちんぼ」
所長は不服そうに顔を歪めるも、直ぐに厨房の方へと目を向け、そして笑いだした。
「ふふふ、面白い。素晴らしい。見てごらん、油が落ちて煙が上がっている。美しい変化の形だよ」
「あ、はい、そうですね」
マジで何考えてるんだこの人。
というかそもそも、俺はLv2職員で、本来所長と顔を合わせちゃダメなんじゃないのか?
「あの、俺……ボクはLv2なんですけど、ここにいてもいいんでしょうか?」
恐る恐る田島に尋ねる。田島はあっけらかんと、
「知らん」
とだけ答えた。
すかさず、副所長が補足に入る。
「大丈夫ですよ。Lvのルールはラボ内でのみ有効です。それに今ここにはLv4とLv5がいますから、緊急時も対応可能です。むしろ巻き込んでしまってすみません」
「い、いえ、それならいいんです……はは、は」
(よくねぇぇぇぇ!圧倒的によくねぇぇぇぇ!)
「お待たせしました!お通しとメガビール2つになります!こちらお下げしますね!」
と、店員は僕の卓からレモンサワーを下げてしまった。氷が融けたものだと判断されたらしい。
この焼き鳥屋は、頼んでから料理が運ばれるまで少し時間がかかる。ある程度技術の認められた店員が、一本一本じっくり丁寧に焼いているからである。
(終わった……)
僕はそう思いながら、大きくて重たいビールジョッキを持つ。
「それじゃ揃いましたんで、皆さんお疲れ様です。乾杯」
「「かんぱーい!」」
副所長の音頭により、地獄の飲み会が開催されてしまったのだった……
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「わかるかい田島くん!君にも聞こえるんだね、メスシリンダーの泣き声が!!」
「勿論です所長!所長にもわかるんですね、改ざんされていく生データの悲鳴が!!」
「田島くん!!」
「所長!!」
ぎゅむッッッ
と、僕を挟んで所長と田島が抱き合った。僕は二人に完全に挟まれ、身動きが取れない。
(どうしてこうなったんだ……)
俺は一人、バイトをクビにされた悲しみに浸っていただけなのに、いつの間にか職場の上司達に囲まれ、飲めないビールを飲まされ、カウンターに置ききれないほどの料理たちに囲まれている。
(もう、なんでもいいや……)
僕は心を無にすることに決めた。
「本当に最悪な事件だったよ、メスシリンダーをスポンジで洗うとか、加熱式乾燥機にかけようとするなんて……あんなの科学を扱う人間のすることじゃないッッッ」
所長は顔を真っ赤にしながら、カシスオレンジのグラスをカウンターへと叩きつけた。
氷が跳ねる音が響いた。
「司書の奴もそうだ!!文書管理なんて言いながら、実際やってることなんて……アイツは"変換"なんて都合のいい言葉使ってやがるがアレは……あぁクソ!!」
田島もいつも以上に大きな声で叫びながら、ビールのジョッキをカウンターへと叩きつけた。瞬間、食器が全て一瞬浮いたかのように見えた。
陶器が当たる音が響く。
「二人とも飲み過ぎです。田島、あなたも声が大きい。少し控えてください」
すかさず、副所長が止めに入ってくれた。
副所長は、二人に水を飲むよう促している。
しかし二人は依然、司書についてと、所長が以前勤めていたというラボの悪口を言い合っていた。
「大体ねぇ、教育という物がなってないんだよ。何故を追求しない、出来ないからこういうミスは生まれるんだ」
「そうだ!データを何故そのまま残さなくちゃいけないのか、司書の奴は考えてないんだ!」
「おい、あのラボはまだ生きてるのか?」
副所長は所長の呼び掛けに対し、端末を操作する。そして、
「はい。現在も続いています」
「ハッ、世も末だね」
と返した。
直属の上司の悪口と、よく知らないラボの悪口。
でも、よく考えてみれば、田島さんが怒っている司書さんや文書管理室の仕事を決めてるのって、所長なんじゃ……
いや、ダメだ俺、考えてはいけない。
これはきっと、触れたらとんでもない事になる。
俺は、黙ってビールに口をつけた。
口の中に広がる炭酸と苦味、そして喉を刺激する酒の辛さに涙目になりながら、ビールを胃に流し込んでいく。
(あ、なんか気持ちいい。癖になって来たかも……)
「おい!」
突然、田島に叫ばれ、俺の体は飛び跳ねた。
「はっはい!」
「いい飲みっぷりになって来たじゃないか!」
田島は嬉しそうに笑いながら俺の背中を強く叩き、肩に腕を回し、引き寄せ、コメカミをぐりぐりと拳で擦った。
「いだだだだ、いだいれす、たじまさん」
俺は泣きながら抵抗する。しかし田島は止めてくれない。
がはは、と豪快に笑いながらコメカミグリグリを続けている。「なんならうちに来るか、品質部門に異動しろよ!」と嬉しそうに勧誘が始まった。
所長も、いいぞーやれやれー!と、掛け声をかけている。
(し、しぬ……俺きっともう生きて帰れないんだ……)
そう思うと、脳裏に家族の笑顔が浮かんだ。
(母さん……本当にごめん……)
その時、ガン、と一際大きな音が響いた。
副所長が、グラスをカウンターに叩きつけたのだ。
「 いい加減にしなさい、二人とも。飲みすぎだと何度も忠告したはずです。田島、手を離しなさい。彼が死んでしまいます。それにこのようなさわぎ方はお店の方にも迷惑です」
副所長はきっぱりそう叱責すると、店員を呼び、会計を済ませた。
副所長には何か、ゆらゆらと揺れる炎のようなものがまとわりついて見えた。
「さ、帰りますよ所長。田島、あなたは明日の朝、必ず私のところに寄りなさい。いいですね」
「え、でも明日は土曜……」
「いいですね?」
「はい……」
そう言って、所長の白衣の首根っこを掴んだ。
信じられない光景に呆気にとられながら、所長が引き摺られ、退店して行くのを見た。
店員も、少し呆気にとられながら、ありがとうございました……と、控えめに挨拶を口にした。
「……すまん、少しやりすぎたらしい」
田島はすっかりしょぼくれた様子で、俺に頭を下げた。
「いやいやすみませんこちらこそ!ボクなんかじゃお話何もわかんなくて、何にも言えなくて……田島さんも大変なのに、状況がうまく、わかっていなくて……」
「いや、それは司書の方針もある。アイツは……はぁ、まあ、あいつなりにお前を守ってるのかもしれないな」
田島はそう言うと、店員を呼び、会計を済ませた。
外に出ると、もうすっかり夜は更けていて、先程までの喧騒が嘘のように静寂に包まれていた。
「今日は悪かったな。気をつけて帰れよ」
そう言うと、田島は俺を置いて歩いて行ってしまった。
俺は田島の後ろ姿にお辞儀をして、自宅の方向へと向き直り、歩き出した。
散々な一日だった。
だけど俺は、実はほんの少しだけ、今日の終わりが楽しく思えてしまったのだった。
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そんな事件があった翌月、振り込まれた給料を確認すると、とんでもない額が入金されていて目が飛び出した。
なんでも、所長珍事件見舞金だそうだ。
あまりの額に震えながら、副所長に連絡してしまった。
「あ、あの、入金額間違ってませんか……」
「いいえ、間違いではありませんよ。あの日のあなたは所長への対応も完璧でした。正直、助かります」
電話越しにお礼を言われ、なんでかわからないけど、涙が溢れた。
だけど俺はまだ知らなかった。
これから起こる事件の数々と、必然なのか偶然なのか、大きな渦の中へと巻き込まれていく残酷な運命を……




