事件簿①入所記念日編
「観測した。それじゃ、これからよろしく」
「へ?」
白衣から伸びる手は、明らかに俺に向かって差し出されていた。
おかしい。
俺はこの最終面接で、自分がどれだけ情けなくダメなやつかを説明したはずだった。
ネズミミ研究所は、世界最高峰を誇るアンドロイド技術を生み出し製造を続ける大企業なのだ。
そんな所にFラン卒業もギリギリの俺なんかが入ったところで何の役に立つというのだろう。
そもそも今回の採用試験だって、半ばヤケクソで申し込んだ、言わば記念受験のつもりだった。
「どうした?」
「あの、さっき話した通り、私の実力ではお役に立てないかと……」
目の前の存在……『所長』はこてん、と首を傾げた。
灰色の髪がサラサラと揺れる。
「君は何か勘違いをしているね?」
「勘違い、ですか?」
「君はとうに最終試験を突破している。私が君の話を聞いたのは、君のことを知るためだ」
「はぁ……」
所長は差し出した手を引っ込めると、反対側の手で俺が抱えたネズミのぬいぐるみを指さした。
建物の入口に落ちていたものだった。
「君はネズミを拾った。それが最終試験の内容だ」
俺は、今一度ネズミのぬいぐるみを見つめた。
酷く汚れており、あちこちの縫い目が解れ、目のボタンも取れかかっている。
このぬいぐるみを拾い上げた後の記憶は曖昧だが、気がつくと何故かこれを持っていて、最終面接に向かうようにと促されたのだった。
どうして持っているのかはわからない。だけど、捨てたり置いていく気にもならなくて、連れてきてしまった。
「君は、ネズミに関わることを自ら選択したんだ。もう逃げられないよ」
所長は不敵な笑みを浮かべると、再び握手を求めて手を差し出した。
胃がキリキリと痛むように感じた。
「わ、わかりました……」
その手を取ると、所長は満足そうに頷いた。
「おめでとう。今日は君の入所記念日だ」
こうして、俺の唯一の内定先が決まったのだった。
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「それではご確認ください。まず、こちらがあなたの社員証になります」
と、『毛繕い係』のアンが1枚のカードを差し出した。
普通、案内係とか何か別の言い方があると思うのだが、彼女は毛繕い係を名乗り、また社員証にもそのように記載されていた。
聞きなれない係名に疑問を抱きつつ、俺は自分の社員証を受け取った。
「ありがとうございま……?!」
俺は、社員証に印刷された顔写真を見て言葉を失った。
俺が、ぐるぐる巻きの状態で宙吊りにされていた。
メガネはずり落ち白目で泡をふいている。
情けないどころか、とてもじゃないが人に見せられるような写真ではない。
「こここ、これなんですか?!合成?!AI生成?!」
勢いよく立ち上がったせいで、パイプ椅子が大きな音を立てて倒れる。
小さな会議室に音が反響し、俺はハッと我に返る。
「落ち着いてください、本物の写真です」
最終面接のため指定された建物に入った先で、落ちていたぬいぐるみを拾い上げた瞬間、ラボの歓迎トラップ『人を安全に爆速で宙吊りにする機械』の餌食となったらしい。
ぬいぐるみはトリガーであり、新人を宙吊りにするのは恒例行事だそうだ。
そしてどうやら、俺は吊り上げられたショックで気を失ったらしい。
確かに、あの日の記憶は曖昧だし胃の中も妙に気持ちが悪いと思っていた。
体のあちこちが痛かったような気もするし……。
「新人は1年間その写真を使うことになるから、頑張ってね」
「え、いいんですかこれ……」
使用する写真もそうだが、まだ正式に入所していない学生を宙吊りとは、ブラック企業どころの話ではない。
「ドッキリみたいなものよ……それと、ラボには他にも色んなトラップがあるから気を付けてね……」
アンはそう言って、とても遠い目で虚空を見つめた。
多分、アンはもっと酷い目にあったことがあるか、そうなった人を知っているのだろう。
「……これが無理で辞めてく人もいるわ。無理もないわね」
「でしょうね……」
とんでもない危険地帯に足を踏み入れてしまったらしい。
とは言え俺は今、仕事を選べる立場にない。
事情が無ければ当然、こんな内定はさっさと蹴って、次の就職先を探していただろう。
「まあ、わかりました……じゃあ次なんですけど、これは?」
俺は、顔写真のすぐ隣の、『職員C』という文字列を指さした。
「あぁ、ラボネームです。あなたはこれから、ラボの中では『職員C』と呼ばれますし、そう名乗るようにしてください」
「どうして本名じゃないんですか?」
「ラボのルールだからよ。これは全員そう。もちろん私もね」
そう言ってアンは、ひとつの小さな手帳を机に置いた。
アンの爪はぴかぴかと光っていて、よく手入れされているようだった。
恐らくマニキュアではなく、爪磨きによるものだろう。妹が同じようにやって、生活指導になりかけたと怒っていたのを思い出す。
「これは職員手帳。3ページを開いてみて、職員心得のところね」
俺は指示された通り、手帳の3ページ目を開いた。
そこには、『ラボ職員心得(初級)』と書かれている。
「初級心得はLv1から2の職員に適応されます。わからないところがあれば今のうちに何でも聞いてくださいね」
俺はじっくりと心得に目を通す。
こういうものは、きっと今後の生活での命綱になり得る。疑問は潰しておくべきだ。
『ラボ職員心得(初級)
1.社員証と職員手帳は必ず持ち歩くこと。
2.サキコの容姿に関して詳細な描写をしてはならない。
3.所長と一対一で会話してはならない。
4.ラボ内の記録物に西暦や年号は使用せず、ラボ歴(R年)を使用すること。
5.他職員に本名を聞いてはいけない。また、常にラボ名を名乗ること。筆記の際もラボ名を使用する。
6.他職員に誕生日を聞いてはならない。また、教えてはならない。
7.入所記念日の職員を見かけたらお祝いをすること。
8.人間の職員及びあらゆる生命体、稼働中のアンドロイド個体について言及する際、使用する三人称は生物学的性別・性自認を問わず「彼」「彼等」に統一すること。』
「本当は他にもルールはあるんだけど、新人の間はそれだけ守ってくれれば大丈夫よ」
「わかりました……」
反射で答えてしまったが、実際のところ俺は恐らく、内容の半分も理解出来ていなかった。
いや、書いてあること、守るべきことはわかるのだが、何故そうする必要があるのか、何を指しているのかがわからない。
何か質問は?と聞かれ、俺はもう一度心得を読み返す。
「あの、サキコさん?とは……」
「サキコはラボ内で稼働しているお手伝いアンドロイドね。人間と同じようにコミュニケーションをとれるし、荷物をたくさん運ぶとか、簡単な手伝いなら何でもこなしてくれるわ。困ったら使ってね」
「はぁ……」
お手伝いロボットとその容姿に、一体何の関係があると言うのだろうか。
本人がコンプレックスを抱えているとか?
まさか。相手は機械だ。
その他、ラボの基本ルールと思われるものは、個人情報を塗り替えるようなものばかりのようだった。
ラボから与えられた名前と入所日を使い、西暦でも年号でもなくラボ歴?というものを用いる。
どう考えても、普通の職場でこのような運用は有り得ない。
「どうしてこんな心得が?特にその、個人情報を隠すというか……まるで新しい身分みたいなものですよね」
「鋭いわね。理由としてはまあ、ここがラボだからってところかな」
アンは落ち着いた声でそう答えた。
が、答えになっていない。
「まあ、いずれわかるんじゃない?ラボの理念と一緒にね」
どうやら、詳しい事は教えてくれないようだ。
振る舞いに困ることがあれば聞いてもいいかもしれないが、意味や理由を問うのはやめておいた方が良いかもしれない。
「さて、他になければ次に行くけど?」
「大丈夫、だと思います」
アンは頷き、入社に必要な手続きを次々に進めて行く。
さすがに本名や生年月日などを記載した書類もあったが、ラボ内に登録するサインなどはやはり、ラボネームとやらを書くことになった。
職員C……まるで舞台の脇役のような名前だ。あるいはゲームや漫画のモブ。
もしかしたら、俺はそういう役割で入所が決まったのかもしれない。
「最後になりますが、面接前にも説明した通り、くれぐれも所長のことを『人間』として扱わないようにお願いします」
「正直、それが一番よくわからないんですよね……」
俺がそう言うと、アンは眉をひそめて口をキュッと結んだ。
困らせてしまったかもしれないが、俺自身も困惑している。
どこからどう見ても人間でしかないのに、人間扱いをやめる、というやり方がわからない。
もちろん、明確に差別しろとか、非難すれば良いというわけでもないだろう。
「所長は……自身を『ネズミ』と認識しています。種族としてではなく、在り方の話ではあるんですけどね」
「在り方、ですか……」
最終面接で対面した所長は、明らかに手作りだと思われるフェルト製のネズミの耳を頭部に取り付けていた。
付け耳はとても使い込まれているように見えて、特に触れないようにしていたのだ。
あれも、所長が言うネズミとしての在り方に含まれるのだろうか。
「詳しいことはお話出来ないけど……ま、新人のうちは所長と対面する機会はないから、心配することもないはずよ」
適当に流されてしまった。
が、詳細な説明もなく切り上げるということは、所長との接触は皆無に等しいのだろう。
「Lvが上がったら当然勉強はしてもらうわよ。それもまあ、勤め続けてくれたらの話だけどね」
「はは……他に行くところがあれば、ですけど……」
何社も受けては落ちての繰り返しで、俺は疲弊しているのかもしれない。
せっかく決まった唯一の内定を蹴ってまで、もう一度あの面接地獄に身を投じるのは御免こうむりたい。
俺がこんなに大きな企業に拾われるということも、今後絶対に有り得ない。
それに……家族にこれ以上、心配をかけるわけにはいかないのだ。
「やります……ここで頑張るしかないですから」
対するアンの返答は無く、小さく頷くのみであった。
こうして、俺は正式にネズミミ研究所へと入社したのだった。




