事件簿⑨禁止楽曲編
その日は、所長によるトラブルに巻き込まれ休憩時間を潰してしまい、遅めの昼食を取っていた。
今日はもう帰っていいとは言われたが、体力を使い果たし空腹も限界に達していた俺は、食堂で弁当を食べることにしたのだ。
ヘトヘトの身体でやっとのことでご飯にありつけたと言うのに、食堂のスピーカーからは突如、ラボの禁止楽曲が流れる。
ゆったりとしたイントロが終わり、激しいリズムのサビに入った瞬間、勢いよく食堂の扉が開かれた。
(まさか……)
「さあ!踊るぞ!」
声の主は、目をギラギラと輝かせた所長だった。
「もう勘弁してくれ〜〜〜〜〜!!!!」
所長は真っ直ぐに駆け寄ってきて、俺の腕を掴んで立たせ、食堂の真ん中へと連れ出した。途中で箸を落としてしまい、カラカラと虚しい音が響く。
所長はテーブルの上に登るとパーテーションを蹴り飛ばし、俺を引っ張りあげる。
「だっ、ダメですよ所長!テーブルはマズいです!」
所長は体を弾ませながら、楽しそうに禁止楽曲を口ずさんでサビを待っている。
膝立ちの姿勢で所長をテーブルから下ろそうと促すが、所長は逆に俺の手を取り立たせると、肩に腕を回してマイク代わりのペンを差し出された。
「ほら、君もサビくらいは知っているだろう?」
「いや、ここ食堂ですよ?!」
「だからなんだ!」
所長の肩越しに、食堂のおばちゃん達がメラメラと怒りに燃え上がっているのが見える。
今にも飛びかかってきそうなおばちゃんを、すんでのところで副所長が羽交い締めにして食い止めた。
所長を追ってきたのだろうか。
「ダメです、今は所長を止めないでください!止める方が危険です!」
止める方が危険って何?!
「さあサビが来るぞ!」
所長はそのまま、腕を振り上げテーブルの上でピョンピョン飛び跳ねた。
バランスを崩した俺は、テーブルにしがみつくことに精一杯だった。
「俺が危険です!所長も!せめて!テーブル降りて!」
所長はテーブルから飛び降りて俺を立たせようと白衣の裾を引っ張り始めた。言葉は届いているものの、止まる気はないということか。
俺は一度床に降りると、椅子が倒れるのもお構い無しにとにかくテーブルを押して空間を作り、所長が踊るためのスペースを確保する。
広い場が用意され更に機嫌のよくなった所長は、テーブルに手を付き息切れしていた俺の白衣の襟を掴んだ。
無理矢理引き寄せられたと思ったら、今度は俺の手を取って飛び跳ねながら回転を始め、俺はほとんど振り回されるように所長の周りを飛び跳ね走り回る。
「さぁ!遠心力を感じて!」
「あのっ、ほんとにもうっ、勘弁しあ゛ッ!」
言いながら舌を噛んでしまい、反射的に手で抑えようと腕が動いたが、所長の握力がそれを許さない。
ヒリヒリと痛む舌の側面に気を取られ、足が縺れかけてもやはり、所長にとっては取るに足らないことのようだ。
ギターの残響と共に曲を完走すると、所長は大きく息を切らしながら、やり切ったような笑顔を浮かべていた。
「最高だ……」
一言そう呟いて、所長はバタリとその場に倒れた。
介抱しなきゃとも思ったが、副所長が駆けつけているのを思い出し、俺もその場に力なく倒れた。
「もうやだ……何この職場……意味わかんない……」
副所長が駆け寄ってきて、所長の安否確認を始めた。
息があることを確認すると、気を失った所長を起こそうと揺すり始める。
「所長!所長!起きてください、こんなところで至らないで!」
「あの、俺の心配もしてくれませんか……」
俺が声をかけると、ハッとした顔ですみませんと謝られる。
「すみません、度々巻き込んでしまって……」
「今日これで二回目なんですけど……」
どうしようもなく胸が痛い。どうして俺ばかりがこんな目に逢い続けるんだろう。
決して誇張するわけでなく、現在のラボでこんなに振り回されている人間が他にいるだろうか。少なくとも、俺はそんな一般職員は一度も見た事がない。
「うるさいぞ……」
意識を取り戻した所長が腕を伸ばし、副所長の頬をぺしぺしと叩いていた。
表情を見る限り、迷惑をかけた側だとはこれっぽちも思っていないようだ。
「所長!これだから徹夜はするなとあれほど……」
副所長は安堵の表情を浮かべていたが、そのすぐ背後に鬼の形相をした食堂のおばちゃんが立っているのが見えた。
血の気が更に引いていく。
「全員そこに正座ァァ!!!」
爆音で流れていた禁止楽曲よりさらに大きな声で怒鳴られ、流石の所長も萎縮したように身体を震わせた。
正座した俺たちの三人の前に、厨房スペースからぞろぞろと出てきたおばちゃん達が並んで腕を組み、威圧的なオーラを放つ。
普段から元気で活発そうなおばちゃん達だったが、いつにも増して……まるでスクラムを組むラグビー選手のような逞しさが滲んでいた。
先程副所長に止められていた、リーダー格と思われるおばちゃんが一歩前に出て、俺達を問い詰める。
「アナタ達一体、ここをなんだと思ってるの!土足でテーブルに上がって、こんなにめちゃくちゃにして!」
「で、でも俺も巻き込まれて……」
「言い訳しない!止めなかったから同罪!」
「ひぃっ、ごめんなさいっっ」
「で、どうして食堂でやったの?」
おばちゃんに凄まれた所長は、責任転嫁するようにビシッと副所長を指さした。
その姿はまるで、喧嘩の責任を兄弟に押し付ける子供のようだった。
「……副所長が、ここなら広いから暴れてもいいって」
「そうなの?!」
「すみません、軽率でした……」
「アンタが原因か!!!」
リーダーの合図で食堂のおばちゃん達は連携して動き出した。
正座する副所長を一人が羽交い締めにして、もう一人がコメカミを両拳でグリグリし始める。
あまりの痛さに悶絶する副所長の表情はくしゃくしゃに歪んでいき、再びリーダーの合図で開放されると、両手を床について産まれたての子鹿のように震え出した。HPもMPも全て吸い取られた……そんな無惨な姿だった。
そしてリーダーは、次はお前たちだと言わんばかりに光る目を俺たちに向けた。
「か、片付けます!掃除も綺麗にやりますから!」
「わ、私もだ!原状回復はきちんとする……!」
俺に倣って、所長はピシッと背筋を伸ばして見せた。が、おばちゃんは首を横に振った。
「片付けたらイイってもんじゃないのよ。あのねぇ、ここは食事を取る場所なの。一度でも土足で上がったテーブルなんか使えるわけがないでしょう」
「こ、こちらで弁償します……」
顔をくしゃくしゃにした副所長がなんとか声を絞り出す。
片手を挙げているが、今にも崩れてしまいそうに見える。
「弁償は当然よ。今後繰り返さないようキッチリと覚えて帰ってもらいますからね……」
おばちゃんは所長の前にくるとしゃがんで視線を合わせようとする。
所長は怯えているのか、表情を強張らせたまま俯き、ダラダラと汗を流していた。
「所長。このラボの王様は確かにあなたかもしれません。が、この食堂では私たちが王様です。わかりますか」
「はい……」
「ウチにはウチのルールがあります。守れないなら、利用はお断りしますよ」
「はい……」
「次やったら、所長と言えど容赦しませんからね」
「はい……」
今にも消え入りそうな声で返事をする所長の姿に、不謹慎だがほんのちょっぴりスカッとしたような気持ちになった。今日、あれだけ振り回されたのだ。本来このくらい怒られるべきだろう。
「で、あなたも」
ギロッ、とおばちゃんが俺の方を睨む。
「はっハイ!」
「僕は巻き込まれた被害者です〜なんて顔してるけどね、止められなかったらあなたにも落ち度があるから。何時までも甘いこと言ってんじゃないわよ」
「はい……」
「所長なんて小学生みたいなもんなんだから。お兄ちゃんとしてきちんと面倒みなさい!」
「え?」
「え?」
「とにかく!二人とも、次に同じことやったら副所長と同じ目に遭うからね」
リーダーの後ろのおばちゃん達が、一斉に自慢の筋肉をもりもりと見せつけてきた。
長年の家事育児に加え、仕事でも常に腕を酷使するおばちゃん達の腕は、俺なんかよりよっぽど筋肉が発達している。女性に対して非常に不適切な表現にはなるが、彼女たちの極太の二の腕にかかれば俺なんて雑巾を絞るようなものだろう……
「き、肝に銘じます」
「よろしい」
こうして、俺たち三人はようやく解放され、副所長は所長を仮眠室へと連れて行った。食べかけだった弁当箱も返ってきたし、床に落とした箸も、おばちゃん達が隙を見て洗ってくれていたらしい。
「あ、ありがとうございます……」
「新人さんは大変ね。片付けはしてもらうけど、まずはそれ食べちゃいな」
「はい……」
箸を受け取り、席に戻って食事を再開する。待たせたね、卵焼き……の最後の一口。
今度こそゆっくりと食事を味わっていると、副所長が戻ってきた。
彼はおばちゃん達に会釈をして、俺の向かい側に座った。
「所長が度々すみません……今回の見舞金も弾みますから、どうかこのまま辞めずにいてもらえると助かります」
「辞めても行くところ無いんですけどね……もう少しなんとかなりませんか?」
「所長もあなたのことを気に入ってますし、私たちとしてもあなたがいてくれると正直助かるというか……」
「その辺はLv5が監督するんじゃないんですか……」
薄々感じていたことだけど、ラボのレベル制度は年数や仕事の出来に加え、所長に対する扱いに慣れているかどうかの違いもあるのではないだろうか。
特に、最高レベルのLv5は所長に対する何らかの権限を持っているかのように思える。
「まあ、その通りなんですが……私たちも普段、彼に付きっきりになるわけにはいかず……監督出来ない隙を突いてこういうことをされるんですよね」
「俺が今日巻き込まれたトラップは何ですか……副所長、時々逃げますよね対応」
「……そうですね、あの場には司書さんもいましたので、緊急性は無いかと思って。所長の対応が可能な方にはお任せすることは多いです」
「せめて、所長が何をやろうとしているか把握してないんですか?」
「遅くまで何か作っている事には気付いていたんですが、まさかあんなものとは……」
「そうですか……」
気が付いたらローションまみれのトラップを開発しているような所長が、まともに業務をこなしているとは到底思えない。とすれば、その尻拭いをしているのは副所長だろう。
彼には副所長としての業務もあるだろうし、誰かに任せたくなるのも仕方がないのかもしれない。
……それに、テーブルの上で手を組む副所長の左薬指には指輪が嵌っている。家庭を持っている人だ。
「……大変ですね。ご家庭もあるみたいですし」
「え?……あぁ、そうでしたね」
副所長は言いながら、指輪にそっと触れた。
目を伏せながら失笑する副所長の様子から察するに、とても失礼なことを聞いてしまったようだ。
「ええと、何かすみません……」
「いえ……お気になさらず……相手は所長なので……」
「あぁ〜〜〜なるほど……」
………………え?
俺は大急ぎでスコップを持ち出し海馬を掘り返す。
所長の手にも指輪があっただろうか?
記憶の中の所長の手は、どうにもはっきりと見えてこない。まさか結婚しているなんて思ってもいなかったし、気にして見た事なんて無かったのだ。
人から聞いたこともなかったし、ニュースとか話題とか、疎いだけかもしれないが覚えがなかった。
それならば、と、さっき手を握られた時のことを思い返す。少し時間は経ったが、まだ彼の手の感触を鮮明に思い出せるはずだ。
小さくて柔らかい手のひら、細い指、それなのにやたらと強い握力……もう少し、左手薬指の付け根だ!
……。
…………。
ある。硬い、確かな異物感。
これまで巻き込まれた事件を振り返ってみれば、所長ある所に副所長アリというか、常に後ろに控えていたように思う。
焼き鳥屋で遭遇した時なんかも、仕事を終えてプライベートの時間のはずだ。
所長がトラップを暴走させた時も、対応をしていたのは副所長だ。
所長の話をする時や、所長が意識を取り戻した時のあの表情……その全てが意味深に思えてきて、頭にふつふつと血が上っていく。
「だったら話は変わってくるんですけどォ?!?!」
思い切り、両掌でテーブルを叩いた。
俺は人生で初めて、全力で台パンというものを実行した。
身を乗り出して怒鳴る俺を前に、副所長は、気まずそうに表情を歪めて視線を逸らしている。
「つまりは!全部!アンタの監督不足ってことだろ?!」
「えっ……」
「アンタが一番所長のことわかってんだったら止めろよ!!!何傍観してんだ!!!それができる立場じゃねぇのかアンタぁ!!!」
「ごもっともです……ですがあの、少し抑えて……」
「無理ですねぇ!!俺が今までどれだけ所長に巻き込まれて来たと?!」
「待ってください、せめて場所を」
「うるせぇ!!!今日という今日は俺も……」
突然、コメカミに強い痛みが走って俺は悲鳴を上げた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「うるさいよ!!!食堂では騒がないこと!仕事の話をしないこと!それもウチのルールだしっかり覚えなこの若造ども!!!!」
グリグリと継続する痛みに、頭の中が真っ白になる。
最早、所長による巻き込まれなんて大したことのないように思えるほどの強烈な痛みに、抵抗する力も奪われて行く。
「ア……ァ……」
まともに叫び声も出せなくなると、ようやく俺は解放され、その場に崩れ落ちた。
HPもMPも枯渇、瀕死の状態だ。ギリギリ棺桶にはならないラインがしっかり弁えられてはいるものの、継続的に何度も食らったら危ないのではないだろうか。
プルプルと震える俺に、おばちゃんがさらにドスを効かせて畳み掛ける、
「次は無いと言ったはずだよ。これに懲りたら、ルールはきちんと守ることだね」
「はい……」
フン、と鼻息荒く厨房へと戻って行き、食堂はしんと静まり返った。
テーブルに頬を付けたまま痛みが引くのを待っていると、お疲れ様、と声を掛け合っているのが聞こえてきた。
痛みが引くと同時に、五感が少しクリアになったような感覚。顔を持ち上げると呼吸が一段深くなっているように感じる。
ふと、一つの疑問が浮かび上がってきた。
「……あの」
「何でしょう?」
聞いていいのかどうか、ほんの少し躊躇う。
が、今後のためにも聞いておいた方がいいだろう。
「所長とのご関係って……本当に配偶者なんですか?」
「……いえ、マスコミ対策がメインですね。所長はこの手の話に触れられるのが苦手でして」
思った通りであった。
二人は確かに共に行動する事が多く、副所長は所長対策やトラブル対応に奔走しているが、よくよく考えてみれば恋愛的な要素が無くても成り立つのだ。
所長の身の安全を守る……それも、副所長の仕事のうちで、指輪もその一環、カバーストーリーということになる。
「それだけですか?」
「それだけです」
副所長の表情は少しだけ、本当に少しだけだが、寂しそうに見えてしまった。
所長がどう思っているのか知る術も無いが、少なくとも、副所長からは何かしら情があるように思えてならない。
気まずい沈黙が流れ、俺は力の抜けた身体で帰り支度を始めた。
「本当に申し訳ない……見舞金はまた後々……」
「はい……あの、俺の方こそすみません……」
では、とお互い会釈して、解散する。
片付けはやっておくから、と、副所長は俺が倒した椅子やテーブルなんかの現状回復に取り掛かった。
すっかり毒気を抜かれた俺は、彼の言葉に甘えて真っ直ぐラボの出口へと向かった。
まだ誰もいない更衣室で白衣を脱いで、玄関で靴を履き替える。
「綺麗な空だなー……」
空はまだ青かった。
プールの後のような重い疲労感とほんのりとした眠気。まだじわじわと痛むコメカミ。
最後に副所長から聞いた話については、正直俺は何とも言えない。
ただ、俺は今日、一つだけ確信したことがある。
このラボで最も逆らってはいけない人物は、所長でも副所長でもない。
清掃部隊や、食堂のおばちゃん達だ。
彼女たちが、ラボの全てを支配している。
食物連鎖の頂点に立つのはおばちゃん達なのだ。
これだけは、揺るぎようのない真実だったということだ。
自転車のカゴに荷物を放り、ゆっくりと漕ぎ出す。
こうして開放感に浸りながら、いつもより少し早めの帰路についたのだった……
前回の被食実験編、なかなか好評?のようで、PV数の伸び方がエグかったです。
かなり力を入れて書いたので嬉しいですね。
さて、今回は何やら重要そうな事実が判明しましたね。
ラボの真の支配者……それはパートのおばちゃん達である。職員の皆さんは食堂でのルールにお気を付けくださいね……




