事件簿⑩独白編
俺は普通だ。
顔も普通、名前も普通、家も育ちも普通、成績も普通、体重も身長も普通。
多分普通って、平均より少し悪いって事なんだと思う。
実際、俺はそうだった。
『そのくらい普通だよ』
『なんか普通で残念』
『皆そんなもんだよ』
『個性が無い』
『普通が一番!』
『つまらない人』
だから、俺たち普通が次に目指すのが平均なんだと思う。
整った顔立ち、両親から贈られた特別な名前、両親の揃った家庭、平均点、標準的な体重と身長。
何かしらの特技や趣味と、それを共にする友人関係。
みんな、それぞれ持ってるものと持っていないものが違うのが『普通』だ。
俺たちは、外から観るとデコボコしている。
ならば、平均を外から観ればツルっとした球体なんだろう。
みんな違ってみんないい、なんて言うけれど、それでも俺たちは、何の変哲もない無個性な球体になりたいと思っている。
高校を卒業して、大学や専門学校に入って、就職して、結婚して、もしかしたら子供が産まれて……そんな風に、人からおめでとうと喜ばれるようなレールに乗り続ける人生。
こんな事を最終面接で話したからだろうか。
俺のラボネームは職員Cだった。
AでもBでもない、他の突飛なアルファベットでもない、ただのC。
丸が欠けたような文字は、凹凸の凹だらけの俺にはピッタリなのかもしれない。
平均のレールから外れ、普通のレールからも外れかけていた俺を、拾い上げたのがラボだった。
理由は、ネズミを拾ったから。
正確にはぬいぐるみだが、冷たい床の上に打ち捨てられたネズミは脱色し、くすんでいて、解れた縫い目からは綿が飛び出し、何度も直しては破れたような跡があちこちにあった。
拾い上げてみれば、よく揉み込まれたような柔らかい布地と表面の粉っぽさ、なんの温度も感じられない胴体と取れかけの目玉。
なんだか、他人事ではないような気がしたんだ。
ネズミは、こんなにもボロボロなのに泣き言一つ言わなかった。
これが私ですと、疑いひとつ持たずにただそこに存在している。
不思議と、可哀想とは思わなかった。
きっと、俺が一方的に感情移入しているだけだ。
そして、辛いとか痛いとかでもなく、なんの温度も中身もない、なんて感じるのは、きっと自分がそう思っているからだ。
このくらい普通だ、と。
あのネズミは、持ち帰ることになった。
今も俺の部屋の、机の上に黙って鎮座していることだろう。
なんの痛みも訴えず、自身の境遇を嘆かずに。
ラボネームの『職員C』は、自分でも驚くほどに馴染んでしまった。
バイト先や家に帰ってから、自分の名前で呼ばれると違和感を感じるほどだった。
こんな事を言えば怒られてしまうだろうが、ラボネームは俺を『普通』に固定する魔法のようなものだと思う。
外れかかっていた『普通』を外から与えられ、そこに固定されることで、大変な毎日のはずなのに、今にも崩れてしまうのではと思うような足元なのに、安定して暮らすことが出来ていた。
朝起きて、顔を洗う。朝ごはんを食べて、弁当を受け取る。
真っ直ぐ仕事に行って、巻き込まれて、お金を貰って退勤したら、バイト先に向かう。
家に帰るともう遅くて、弁当箱を洗ったりお風呂に入ったりして、家族にもほとんど顔を合わせず眠りにつく。
自分の時間なんてこれっぽちも無い生活。
俺自身の奨学金の返済と、妹の進学費用、病気の母の治療代、生活費。
全てというわけではないけれど、この家の要は間違いなく俺だから、少なくとも今だけは、崩れるわけにはいかない。
どれだけ大変でも、仕事を辞めては生活が成り立たない。次が見つかる保証もない。
毎月何かしらの請求が来る。
貯金も必要だ。
将来のことを思えば、さらにもっとたくさんのお金が必要だ。
馬車馬のように働くことは、きっと『平均』ではなく『普通』のことだと俺は思う。
そんな状況だから、魔法でもまやかしでも何でも良かった。
俺が、少しでも普通でいられるのなら、そして平均を目指すことが出来るのなら、なんの問題もない。
そうだろう?
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ラボに来てから半年が経過した頃、俺の後輩となるかもしれない人物の最終面接が行われることになった。
『人を安全に爆速で宙吊りにする機械』を動かすにあたり、準備や後片付けには人手がいるらしく、まだまだ新人で出来ることの少ない俺も当然、優先的に駆り出されることになった。
自分の時は気を失ってしまい、気付いたらソファに座っていたためにほとんどの記憶がなかったが、装置はとてつもない大掛かりなもののようだった。
所長室がある小さな建物の、そのほとんどがこの装置のためにあると言っても過言ではないだろう。
レオナを含む技術者達による機械の整備を終えると、お手伝いロボのサキコを使って試運転をすることになった。
人間で試すには危険すぎる、ということだろうか。
定位置に立つサキコは、笑顔で手を振っている。
危ない試験だとわかっていても、あの鉄壁の笑顔が崩れることは無い。救いのようでもあるが、それだけでは無いような気もした。
僅かな胸の引っかかりを覚えながらも、レオナによるカウントダウンの後、装置を作動させるボタンを押した。
アニメや漫画に出てきそうな、赤くてシンプルな丸ボタンだった。
まるで、押せば何かが爆発するかのような。
ニコニコとした貼り付けたような笑顔を浮かべたサキコは、あっという間に太いベルトのような拘束具でぐるぐる巻きにされてしまう。そのまま全身を持ち上げられ、勢いよく上下が逆転した。
宙吊りにされた瞬間、クラッカーが鳴って紙吹雪が舞い、垂れ幕が落ちる。
少し遅れて2次元記録機……つまりは撮影用のカメラと照明が降りてきて、サキコの顔写真が撮影された。
レオナの手元の端末には、無表情のサキコが宙吊りにされたまま、じっとこちらを見つめる画像が映し出されている。
「コラ。これは見たらあかんよ」
「す、すみません……」
軽く注意を受けて、俺は宙吊りから降ろされるサキコの方に顔を向けた。
技術者達に囲まれるサキコは始終笑顔だったが、何故か、ノイズやグリッチが走っているように見えた。
観測室があったはずの壁や、所長が消えていった壁で見たものとよく似ている。
「……もしかして、サキコさんの容姿を描写してはいけないって言うのは、これが原因ですか?」
「ウチの方からは何にも言えん。ごめんな」
「いえ……」
サキコは地面に降り立ち拘束から解放されると、真っ直ぐこちらに駆け寄って来た。
「バッチリだよ〜!」
「そ、良かったわ」
レオナは淡々とシステムの最終調整に入り、技術者たちは機械を再度初期位置に戻す作業に入った。
俺も、床の上の紙吹雪を箒ではいてまとめて、ゴミ袋に詰め、技術者に混ざって初期化を急いだ。
「さ、皆隠れるよ!」
「おー!」
レオナの合図で、俺たちはそれぞれ、ソファーの影や受付カウンターの中、壁の中の隠し部屋などに身を隠した。
俺とレオナはカウンターの中で、端末に映し出される映像を見ながらボタンを押すタイミングを見計らう。
「容赦なくやってくれてええからな」
「はい……」
先程の試運転は成功だった。サキコは傷一つないまま宙吊りにされて、端末に記される締め付け具合の数値も、サキコに聞きとった体感の数値も基準範囲内であった。
装置の安全は証明されている。
だと言うのに、何か押してはいけないボタンを握らされているような感覚だった。
「……アンから連絡が来たわ。そろそろやで」
俺たちはじっと息を潜めて、ターゲットの到着を待った。
数分後、やって来たのは暗い顔をした青年だった。
青がかったやや長めの髪で、目元が隠れてよく見えない。
スラッとした高い背は、田島よりやや低い。背筋を伸ばせば、副所長と同じくらいだろうか。
青年は、建物に入るとすぐにネズミに気付いたようで、ほんの少し思案した後、拾い上げた。
「今や……!」
レオナの合図とほぼ同時に、俺はボタンを押していた。
瞬間、予定通り青年は宙吊りにされ、クラッカーに祝われて写真の撮影がなされた。
その間青年は一言も声を発することもなく、端末に映し出された表情は、先程のサキコによく似た無表情であった。
「成功、やな。お疲れさん」
ぽん、と頭を撫で、レオナが立ち上がる。
「おめでとう」
レオナの拍手と共に、物陰や壁に隠れていた他職員達が姿を表した。
おめでとう、という言葉をそれぞれ青年に投げかけて拍手をして、最終面接突破を祝う。
相変わらず表情の無い青年が何を考えているのかはわからないが、宙吊りのまま大勢の見ず知らずの人間に祝われる構図は……どこか見覚えのある光景にも思えた。いつか見たアニメにも、似たようなシーンがあったような気がする。
装置から降ろされ拘束から解放された青年は、やはりどこか戸惑っている様子で立ち尽くしている。
居た堪れなくなり、声をかけてみることにした。
「びっくりするよね、これ」
重くならないよう、あくまでも軽く、明るく。
青年は相変わらず戸惑った様子のまま、俺を観察している。
「これねー、やっぱり拾っちゃうよね」
ネズミのぬいぐるみは、俺が拾ったものと似ていたが、よく見れば全然違う個体だった。
耳が千切られたように無くなっていて、解れの位置も、外れかけた目玉の向きも、色も傷も何もかもが俺のネズミとは違っている。
「そう、ですね」
青年は頷き、ぬいぐるみを胸に抱えた。
抱えながら、俺の首から下げた社員証に目を向けた。
俺の社員証には、宙吊りにされた時の顔写真とラボネーム、そして半年前の入所記念日の日付が記載されている。
「あぁ……この写真使われるのも一年間だけだって言うからさ。お互い頑張ろうな」
じゃ、と手を振って、俺は装置の後片付けに加わった。既に他の技術者達も後片付けに入っている。
新入りの青年は、副所長の案内で地下深くの所長室へと向かって行ったようだった。
最終面接会場……と言うより、ラボネームを決めるための独白場へ。
「Cくん、随分とラボに馴染んだね」
片付けをしていたら、垂れ幕を抱えたサキコにそう話しかけられた。
「まあ、そろそろ半年だし……」
「違くて、感覚の話。ラボの常識に慣れてきたねって事」
思わず手が止まった。
サキコが言いたいのは、仕事を覚えてきたとか、場や人に馴染んだという話ではない。
アンドロイドとはいえ人を模したものを、平気で壊れるような扱いをして、それについて誰も言及しない。
人間をなんの予告もなく宙吊りにしたり、それに加担させられたり。
本当は気付いている。これは『普通』でも『平均』でもない。
「……辞めるわけにはいかないから」
「ホントにそうかな。僕が思うに、適性があるって事だと思うけどね」
そう言って俺の顔を覗き込むサキコの目は、人間のそれよりも余程立体的に思えた。カメラの絞りが瞳孔のように微細に動き、興味深そうに俺の内面を探っている。
「僕の秘密にも気付いてるでしょ」
「さあ……」
なんの事やら、と話を濁して作業に戻る。サキコもそれ以上は追撃せずに、片付けに戻った。
俺が、このラボとラボネームから与えられた『普通』という軸は、魔法でもまやかしでもなかった。
ただの、強い麻酔だ。
これが普通だ。
皆そんなもんだ。
自分は悪くない。
そう思い込んで納得するための麻酔でしかないのだろう。
胸の引っかかりも、見て見ぬ振りをし続けるグラグラの足元も、痛みも中身も、本当は、本当にそこにあるはずなのだ。
それら全てを感じないようにしながら、俺は日々を過ごしている。
これは俺やラボに限った話ではないはずだ。
何処にいても、誰といても、所詮人間なんて麻酔がなければ、痛みを直視し続ければ生きていくことなんて到底不可能だ。
ただ、毎日を過ごすために必要な強さの麻酔を、自分自身に注射し続けるしかないじゃないか。
その程度しか出来ることがない。
そうやって生きていくことしか出来ない。
これが『普通』でないのであれば、一体なんだと言うのだろう?
後日、あの青年が正式に入所することが決まった。
配属は俺と同じく、文書管理室だそうだ。
「いよいよ先輩になりますね」
司書から話題を振られても、俺は素直に喜べなかった。
「……頑張ります」
先輩とは言え、半年違い程度で威張れるようなものでもない。もしかしたらあの青年の方が優秀で、俺の方が置いてけぼりを食らう可能性だってある。
コイツはやべぇ、文書管理なんて窓際に置いておくべきじゃねぇ!と、引き抜かれていくかもしれない。
つい先日抱いた疑念にも、既に麻酔が回っていた。
だから何だと言うのだろう。だってもう、痛みも何も感じない。
「それじゃ、あなたにはそろそろ新しい仕事をお願いしましょうか」
「えっ」
「ふふ、元々教えようとは思っていたんですけど機会が無くて。頑張りましょうね」
突然の話に驚いたが、思えば文書管理室にいる時間は短く飛び飛びになっていて、初期の教育以降新しい仕事を教わることは無かったかもしれない。
司書はずっと、機会を伺ってくれていたのだろうか。
俺は姿勢を正し、司書に身体を向けて頭を下げる。
「……はい。お願いします」
普通でも平均でも、麻酔で誤魔化す毎日でも、やることはきっと変わらない。
出来ることをやろう。それしか出来ないことをしよう。
それがいつか何になるのか、何処に向かうのかはわからないけれど。
職員Cとしての日々は、今日も明日も続いていくのだから。
最終話、少し長くなってしまいましたが、お付き合いくださりありがとうございました……!




