14皿目 転移紋の管理者テレーズ = カサドゥシュ1
「くそっ」
金の紋章の入った紙を、老女テレーズは忌々しい思いで投げ捨てた。
「一体何回断らせるつもりだい。ふざけるんじゃあないよ」
拾い、また読み、やはりカッとしてナイフのような長い爪で紙を切り裂きかけ、ふとその手が止まる。
視線の先に掃除の手を止めて、そんなテレーズを心配そうに見ている子供がいる。一年ほど前に、家の前に捨てられていた子供だ。
5歳か6歳くらいか。見て見ぬふりをして死なれても胸が悪いし、飯だけ与えて元気になったら放り出そうと思っていたのになんだかすっかり居ついてしまった。
子供は泣きもしゃべりもしなかった。
そのせいで捨てられたのか、とはじめは思ったが、どうやらそれだけではないらしいことが暮らしているうちにわかった。
こいつは『鬼子』だ。テレーズと同じ。
十人に一人が魔力を持って生まれるこの世界の、その一人。そしてそのなかでも最も理解されにくい力のひとつ。
魔力を持って生まれたことを天の授かりもの、家の宝だと愛されて育てられるものもいれば
他にはない恐ろしい、異質なわけのわからないものだと忌み嫌われるものもいる。
その後者。人と違うその力を恐れられ、愛されず
そうして放り出されたものだと、骨と皮のような姿からわかった。
テレーズもかつてはそうやって捨てられた子供だった。
捨てられ、幸いにも拾われた。
転移紋の管理者、空間魔術師のリオノーラに。
『これはいつからあるのか、誰にもわからないものなのだよテレーズ』
微笑みながらその表面を愛おし気に指でたどる師を思い出す。
『石碑によればかつての大賢人、大魔法使いたちが文様を考え、離れた二つの場所で一番円に寸分違わぬ紋を描き、その周りの二番円にその中央円を守るための紋を、外側の三番円にその地の魔力を取り込むための紋を描いたそうだ。遠くに置かれた二つの紋の間に魔力を流し、互いの場所から場所へと一本の道がつながった。実に偉大。なんという力。道は人を、物を瞬時にもう一つへと運んでくれる。この紋は遠くあってもともに生まれた片割れを感じ、道を通してつながっている。遠くにあり決して重なり合うことのない双子の紋は、互いを請うことでつながっている。道は紋と紋の愛によってつながり続けている。だがそれらは常に遠くにあり惹かれ合うだけだ。求めあうだけだ。決して重なることはない。残酷なことだ。人というのは自分の便利のためならばどんな非道なことも技術として割り切って使うのだよ。恐ろしいものだね』
師は男装の、詩人のような女だった。
『我々はいつも手入れをしてやらなくてはいけないよ、愛を持って。周りの地形、水の近さ、魔力の流れ。道の形と長さによって、二番円、三番円の紋を常に新しくしなくてはいけないよ。中心の一番円の紋を、決して変えてはいけないよ。お前なら見えるだろう。一番円を守るために何が必要か。この地に漂う力を流し込むためにどんな形が必要か。機械的に行ってはいけないよ。よく見、感じなくてはいけないよ。これが互いを請い合っている生き物であること、心があることを忘れてはいけないよ。ただの便利な道具だと他の誰もが思っていたとしても、わたしたち管理者だけは、それを忘れてはいけない。これは紋と紋との愛なのだ。この道は愛によってつながり続けているものなのだから』
何が愛だよ、とテレーズは舌打ちする。
そんな馬鹿げたことをいつも言っているから、馬鹿にされたのだ。
馬鹿にされ、軽んじられ、技だけ盗まれ遠ざけられて
あんなにも惨めに、最期は薬すら買えずに死ななくてはいけなかった。
転移紋を管理する者たちは皆どこか詩的で、ロマンチックだった。
その言動にはとらえどころがなく、力を持たぬ者には理解しがたい抽象的なものだった。
『空間』を感じ、それを愛し、決して支配しようとはしない者たち。
王は彼らの言葉を理解できず、無理な命を与えては断られ苛立ち、やがて彼らから『管理者』の称号を剥奪した。大昔より伝わる管理者の技の詰まった書物だけを奪い取って。こんなもの、お前らではなくてもできることだ。現に今まで何事も起きなかったのだから、と。
それなのに今更
「こんなもの……」
紙を持つ手に力が入る。
「――こんなもの!」
ボン
「……あ゛ン?」
「おでん屋だよ」
老婆と老婆が皺を深めて睨み合った。




