14皿目 転移紋の管理者テレーズ = カサドゥシュ2
「ったくやってられっかってんだよ」
頬を染めたテレーズが板に上半身を預けている。
横で子供――拾い子のジャンがおいしそうにたまごとハンペンとイナリズシを交互に口に運んでいる。
「何十年も前に人をばっさり切って捨てておいて、今更『困っちゃったから助けに来てちょうだい』? ふざけんなってんだボケナスが」
「威勢がいいねえ」
フーリィがどこか楽しそうに言った。テレーズは勢いづく。
「『最近転移紋が不安定なの』? 当たりめぇだろうがてめぇの親父に何度言ったと思う。二番円、三番円はずっと手入れしなきゃいけねぇって。空間が見えて紋をちゃんと知っている奴らがいつも見て回り続けなきゃならねぇんだって。一番円だけ見て他を適当にちょいちょい目先の知識だけいじるのはパンツの紐を緩むたびに引き直して結んでるみたいなもんなんだよ。『ホラまだ履ける』じゃねぇんだよ! いつか切れるんだよそんなもんは! これは一度切れたら二度と戻らない、誰にも戻せないって」
涙が溢れた。
「リオノーラが頭を地に擦り付けて、何度、何度命がけで、必死の思いで言ったと思うんだ……」
硝子杯をダンと置いて眉間を押さえテレーズは涙した。
ジャンが慌ててポケットからハンカチを出してテレーズの涙をぬぐう。
「孫かい?」
「いいや、拾い子だよ」
「ふうん」
「似てねぇだろう」
「どうかね。何食う」
「適当に頼むよ。固いのと粉っぽいのはやめとくれ。死んじまう」
「はいよ」
ちょいちょいちょい、とフーリィが器用に長い棒で『オデン』をつまむ。
「大根、がんもどき、昆布」
「……」
鼻をすすりながらテレーズはフォークを持つ。
ジャンはと見ればまだちまちまと、一口ずつ交互に皿の上のものを食べている。
同世代に比べたらまだ食が細い方だろう。これでもだいぶ食べられるようになってきたのだ。
口に運んだダイコンはしみしみと、惜しげもなくその身に含んだ汁を口の中に広げてくれる。熱い汁を流し込み、冷たい酒で締めれば、鼻から細く息を吸ってため息をつきたい気持ちになる。
ガンモドキ、は面白い。一見何の面白味もないただの茶色のくせに中は白く柔らかく、意外なほどの様々な味わいを染み出させ味わわせてくれる。
コンブ。これはおそらくなくてはならないものだろう。味わい深く、出しゃばらないのにどこまでも懐が深い。
また汁を流し込み
また酒を流し込む。
広がり、鼻の奥を通っていく。
「あぁ……うまいねぇ」
ほろりとまた泣けた。
こんなにうまい酒は久しぶりだった。
あたたかい。
ここにリオノーラがいたらどんなによかっただろうと思う。
なんて言ってくれただろう。
どんな道を示してくれただろう。
だが彼女は死んでしまった。
あとを頼む、と
どうか繋いでくれ、彼らの愛を途切れさせないでくれ、と言い残して。一つの恨み言も吐くことなく。
滅びてしまえと若き日のテレーズは叫んだ。
お前たちが理解せず、評価せず、打ち捨てたものがどんなに尊かったか
愛を失い途切れ滅びる間際に思い出し思い知るがいい。
こんな国、こんな世界、綻んで滅びてしまえと。
「もっと食いなジャン。あんたは小さいんだから」
「無理に食わせんな。その子なりに順番があるんだろうよ。……わかるけどさ」
無理に食わせるなと言ったくせに、フーリィはイナリズシのおかわりをジャンの前に置いた。
「食えるだけでいいよ。余ったら横の婆ぁに食わせな。年寄りは食えなくなったらお終いだ」
「……」
ジャンは喋れない。
こくりと頷き、またちまちまと食べ始める。
「……気の毒だと思うかい」
「いいや」
「……知恵は遅れてないんだ。いや、むしろ賢い。恐ろしいほどに」
びっくりしたようにジャンが顔を上げた。
そういえば面と向かって褒めたことなど一度もなかった。
「……熱いのもらえるかい。あと軽いもの、頼むよ」
「はいよ」
くつくつと煮える汁から魔法のように、老婆はオデンをつまんでいく。
「はんぺん、糸こんにゃく、焼き豆腐」
皿を受け取り、覗き込む。
白い三角、結ばれた何か、白いのに焦げ目のついた四角。
じっとジャンを見た。薄汚れてガリガリだった子供は、ほとんど同世代の子供と変わらなくなった。
視線に気づいたジャンがテレーズを見上げて手を止める。
その聡明な水色の瞳が、テレーズの言葉の続きを飢え乾いた者のように必死で待っている。
視界が曇る
胸が詰まる。
「……賢いんだよジャン、あんたは。いや賢いなんてもんじゃない。天才だ。あたしよりも、リオノーラよりも、立派な転移紋の管理者になれる空間魔術の才がある。……世が世ならね」
「おまちどうさん」
とんと目の前に置かれた酒器を、テレーズは傾けた。
口に運ぶ。
熱い
薫り高く口に広がり、熱さを保ったまま喉を通りすぎ胃の腑に落ちていくのがわかる。
腹の中が熱い。
杯を持つ手が震える。
「あんたはこないだ小さな転移紋を描いたね。教えてもいないのに。床に描いた紋と箱の上に描いた紋で、ネズミを転移させて落として捕らえた。あたしが『うるさいネズミをどうにかしろ』って言ったから。……何もないところに一から紋を作れる空間魔術師は今この世にはあんただけだろうよ。あたしにも、リオノーラにも、あの時代の他の管理者にもできなかったことだ。……このままこの国の転移紋がすべて途絶えたら、王家はあんたを捕らえて決して離すことはないだろう」
口に出せば熱い酒がますます胸に染み
また涙が零れた。
「飼い殺されて魔力の最後の一滴まで搾り取られるだろうよ。人間扱いもされないね。……そんな才能なんて、なけりゃいいのに。才能だけあって地位のない奴なんて、都合よく使われていらなくなれば簡単にポイだ」
ごしごしとジャンの袖に涙を拭かれる。
やめとくれ、と顔をそむけた。
「お前はなんであたしのところに来たんだ! 一軒先のあの馬鹿親切なアホ夫婦の子になれば、一生鶏の卵だけ拾って生きて行けただろうに! こんな面倒な大事に巻き込まれずに、ただの人間として生きていけただろうに!」
叫ぶテレーズを、ジャンは水色の目でじっと見ている。
「……あたしはあんたの母親じゃないんだ! どこへなりとも行けばいい! あたしのそばにいたらあんた、きっと教えなくたって覚えちまう。きっと見つかっちまう! もう元気なんだ。歩けるんだ。どうか自分の足でどっかに行っちまってくれ! あたしは……」
歯を食いしばって嗚咽を飲み込んだ。
「――もうあんたを、捨て直すことなんかできない」
「……」
小さな体がぎゅうとテレーズにしがみつく。
金の髪から、陽だまりの匂いがする。
細い腕がぶるぶると震えている。
大して優しくもしてやらなかったのに
怒鳴りつけて、ぴしぴし仕込んで
あれをやれこれをやれとうるさく言って
自分の仕事のときは適当にほっぽって
汚いから洗っただけだ。
腹を鳴らすから食わせただけだ。
寝るから寝かせただけ、つまらなさそうだから本を渡してやっただけ。読めないから字を教えてやっただけ。
リオノーラがテレーズにしてくれたことをもっと荒っぽくして
ただただ同じ家で、ただ一年、過ごしただけだ。
背を伸ばしたまま、テレーズは歯を食い縛って泣いた。
ハン、と老婆が笑った。
「無理な話だねぇ」
「……うるせぇ婆ぁだ」
「お互い様さ」
「……違いねぇ」
沈黙し
やがてふっふっふと互いに忍び笑う。
小さな体を抱き返しもせずテレーズは考える。
この何の力もない、とんでもない才能だけを持った子供が生きるためには何が必要か。
考えるまでもない。わかっていた。
その才能を必要とされる場所であると。
滅びない世界であると。
古来からある現在の紋を正しく修復し、決して途切れさせないこと。
正しい技を、多くのものに継ぎ担わせること。
そしてそのうえでこの才の重要性、希少性を正しく現在の王と周囲に理解させること。大切に守らせること。
詩的でも抽象的でもいけない。何が見えていて何が必要なのかを、正しく説かなくてはならない。この宝のごとき才を使い捨てにされたくないのならば。
自分は年寄りだ。先に死ぬ。
この子にはこの先同じものを見、互いを理解し合える若い仲間が必要だ。
道はもう、できてしまった。どうしたわけか繋がってしまった。
もうテレーズはこの世界の滅びを願えない。
「とっとと食っちまいなジャン。これからあんたとあたしは旅に出るよ。準備が必要だ」
不思議そうな顔をするジャンの涙を手のひらでこする。
「婆ぁには婆ぁのやり方があるさ。弱みに付け込んで、こっちのうまみに変えてやる。いい条件を引きずりだせるだけ引きずり出して、じわじわじわじわいたぶってやろうじゃないか。どうするジャン、旅は苦しいよ。一つ所にいられないのは寂しいよ。それでもこのテレーズ様についてくるかい?」
ためらうこともなく子供は頷いた。
はあ、とため息をついてテレーズは残った酒を流し込む。
「この歳で全国行脚かよ。死んじまう」
「殺しても死なねぇだろうよ、あんたは」
「そうだろうねぇ。まあいいや。ガキどもをピシピシしごいてやろう」
女王の手紙には国の各所の現在の転移紋の写しが同封されていた。
ひどいものだ。あれで道がまだ続いているのが不思議なくらいだ。
でも、中にはまあ見れなくもないものもなくはなかった。
表面上だけ盗み取った技をもとに、それなりに見え、頭を働かせている奴もいないでもないということだ。
だがまだまだ甘い。甘すぎる。
叩き込んでやろう。
思い知らせてやろう。
「愛をね」
くっくっくと喉を鳴らしてテレーズは笑う。
ヤキドウフを食う。ハンペンを噛む。熱い酒が身に染みる。
ちまちまちまとジャンが続きを食べている。
久々に胸のすくような、いい気分だった。




