☆ミ のれんがけ前の星祭り1
春子さんがアステールに飛び出す(飛び出す……)前の星祭りです。
ガタガタドキドキしてたら書いてしまいました。前半組を、少しずつ。今日はハリーまでです。
「今帰った」
「おかえりなさいませ」
軍服姿の夫を、妻であるマリーはしとやかな礼をもって迎えた。
夫からマントを受け取る。もう何十年、これを続けただろう。
老いた夫の長い髭を見る。浮かんだ皺を見る。見ている自分にもそれが浮かんでいることを知っている。
起きれば体のあちこちが重く、痛む。かつてあたりまえのようにそこにあった『若さ』は、ときとともに当たり前にすり減ってしまった。
ただのんびりと家ですごしている自分とは違う。この老いた体に甲冑を纏い、馬に乗り、剣を振り続けている夫の体は、きっと悲鳴を上げていることと思う。
『引退』
夫はそれを口にしない。だがそれがきっと心のどこかに幕のようにひらひらとなびいていることを、マリーは知っている。
『戦場の鷹』
このひとがそんな二つ名のついた英雄だったのは、もう、はるかに昔のことだ。
戦いがなくなり、世が平和であることをマリーは嬉しく思っている。今度こそ帰らないのではないか、白い骨になって戻ってくるのではないか。あんな思いで眠ることも出来ずに朝を待つ終わりなき日々など、もう二度と過ごしたくない。
『もういいじゃないですか、あなた』
マリーがそう言えば、夫は軍服を脱ぐだろうか。自分からは言い出さないだろうこの人のために、自分がそう言って幕を引いてやるべきであろうか。
「今日は星祭りか」
「ええ。みんな出てしまいましたわ」
「そうか」
行くか? と夫の目がマリーを見た。ゆっくりと首を振る。
「お前は出不精だ」
「あんな人ごみ、息もつけません」
「昔は出たじゃないか」
「子供たちのためですよ。若かったですし」
「まあな」
「老人はのんびりするのが仕事です」
「老け込んだものだ」
ふっふと笑う。老人はじっとしていた方がいいのだ。まわりに迷惑をかけてはならない。
あたたかな夕飯を食べよう。窓を開けて星を見ながら。
過ぎ去った日々を思いながら。数々の思い出を数えたどりながら。
まだ生きている。体が動く。頭が動く。
当たり前だと思っていたそれは、ますますすり減りなくなっていくことだろう。
今すぐに消えても不思議のないわずかな明かりを灯して、それがそこにあることを噛み締めて喜ぼう。
マリーは幕を引かない。それは夫の舞台だから。
走り続けたいと夫が望む限り、マリーは止めない。それがこの人だから。
老いた鷹。今ならば骨になって帰ってきても許せるような気がする。よかったわね、あなた、と。
きっとそれが夫の望みなのだ、と、マリーは半分諦めている。マリーが添ったのは、そういう人だ。もとよりベッドの上で死ぬことなど望んでいない、静かに見えてふきこぼれる溶岩を身のうちに持つ人だ。
窓の外を見る。きらきらと星が、今にも落ちんばかりに瞬いている。
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「うめー」
「固い」
「けっこういけるな一角ウサギ。もっと倒しておけばよかった」
「杯、回ってるかい?」
外。開けた草地に焚火が揺れる。
剣士ルノー、魔術師ロミオ、格闘家バート、僧侶ジーザスがそれを囲んで肉を食っている。
地図をかざしルノーの指が道を辿る。
星がきらきらと輝いている。
「結構順調に来たな。でもやっぱり遠い。もう少しここを拠点にして金を貯めて装備を強化しよう。なんたってパララリスだからな」
「心配だ……もう少しポーション買いたいよ」
「なんとかなるって。悠長なこと言ってないで早く行こうぜ」
「僕もロミオに賛成だ。もう少し保険が欲しい」
「冒険者に保険もクソもあるもんか。勢い大事だぜ」
「命も大事だバート。あれ、今日星祭りか」
「ああ」
「ホントだ」
冒険者たちは空を見上げる。小さな星が落ち始めている。
「……」
男たちはふっとそれぞれの故郷を思った。親に連れられこれを見上げた小さなころを思った。はぐくまれた命を常に危険に晒し続けている己を思った。
ほんの、わずかな瞬間だけだ。自分たちは冒険者。挑戦し続ける生き物だ。
「ジーザス、なんか歌ってくれよ」
「不吉だよ」
「ただの噂だ。お前の歌はホントにいい」
「ああ。景気づけに頼む」
「うん。よろしく」
「……」
ジーザスが立ちあがる。彼がローブをなびかせふわりと礼をすれば、星の輝きが増したように思われた。
「では。『小さき挑戦者たち』」
わっと冒険者たちが歓声を上げる。
降り落ちる星々に向けて、勇敢で美しい旋律が大きな鳥のように舞い上がった。
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「みんな町にいったか?」
「はい。やはり皆好きですね、星祭は」
がらんとした工房。刀鍛冶ゴットホルトの一番弟子、チャド=ロットは振り向きながら答えた。
「……」
師が工房を見回している。
師とチャドだけの、がらんとした工房。
昔に戻ったようだとチャドは思った。師匠とチャドで、夢を追っていたあのころに。
完成した剣が並んでいる。十年前に打ててしまった奇跡の剣、『ゴットホルト流』の、大人気の剣が。
師匠のしょぼしょぼとした目がそれを捕らえ、苦しげに曇った。
「……チャド」
「はい」
師匠は続けない。
「……いや、なんでもない。祭りには行かんのか」
「もう少しやってきます。夕飯召し上がりますか」
「いや。……少しあっちで休んでくる」
「わかりました」
トボトボとした足取りで師匠が歩む。
ずいぶん背中が小さくなったとチャドは思った。大人気の、有名な刀鍛冶ゴットホルトはきっと今日も苦しげに上等な酒を飲み、降り落ちる星々をけして目に映すまいとカーテンを締めると、チャドは知っている。
「……『ゴ~ットホルトが行っくっぞ』」
小さく歌った。懐かしい歌を。
「『炎の戦士、ゴ~ットホルトが行っ・くっ・ぞ』」
きいん、きいん
澄んだ音を聞きながら自分の目から溢れてしまったものを、チャドはそっと手のひらでぬぐった。
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「今日はもう上がれジョーゼフ。そなたの愛妻に恨まれるわ」
「もう何十回も共に過ごしておりますので、一度くらいは問題ございません」
「惚気ときたか」
「事実でございますゆえ」
軍部からの大量の長々とした苦情と恨み節が記載された書に、女王と補佐官は頭が痛くなりながら目を通している。
わずかに眉間を押した女王に、そっと補佐官は立ちあがる。
「今茶をお持ちいたします。何か、軽いものも」
「いらぬ。……茶だけもらおうか」
「は」
このところめっきり食が細くなったその人の横顔が、窓から差し込む星明りに白く浮かび上がっている。
美しき女王。賢く、清廉なる、我が国の王。
痛々しいほどに強く、強いからこそ傷つかねばならなかった。理想を追うからこそ強い風の中、一人で進まなくてはならなかった。汚れたほうが、流されたほうが楽だろう場面で、常に汚れず強く正しき場所に足を踏ん張り立ち向かってきた。
傷つき、傷つき、今、ついに折れそうになっていることを、長年その御傍にあったジョーゼフはわかっている。
窓の外を見た。
こわくない
こわくない
落ちてしまったって大丈夫。もう、頑張らなくていい。下にだってきれいな星はある。
こわくない
こわくない
そっと首を振り、ジョーゼフは表に声をかけた。
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ノックの音に、アントン=セレンソンは手を止めて顔を上げた。
「どうぞ」
母が入ってくる。
「アントン、星祭り、行かないの?」
「……」
今まさにそれを考えたくなくて必死に問題のことだけ考えようとしていたアントンは唇を噛んだ。なんでもない顔で、そっけなく答える。
「うん。行かない」
「一緒にいかない? お父さんが久しぶりに屋台の豆煮を食べたいって」
「……行かない。この問題、今日中に解きたいんだ」
「そう」
母はそれ以上言わず、アントンを見た。
12にもなって、親と星祭りに行く子なんかいない。友達同士誘い合って、みんなで星を見上げるのだ。いっしょにランプを振って。
ずっと友達でいたいと思う大事な相手と。楽しそうに、笑いながら。
アントンにそんな子はいない。そう思う子も、思ってくれる子も、いない。
「じゃあ夕飯の支度をするから、できたら声をかけるわね」
「うん」
父さんが星祭りに行きたいんじゃなかったの? とアントンは聞かない。
それがアントンを誘い出すための方便なのをアントンはわかっている。アントンが断った理由を母はわかっていて、決してそれ以上言わない。本当にありがたくて、情けない。社交性のない子で、両親にすら申し訳ない。
母が去ったのを見て、アントンは問題集を閉じた。
ソファに移動し、好きな本を一冊手に取る。
セントノリス卒業生の自伝書だ。
「……『13歳のときの星降る夜、私はもう二度と出会えないだろう一生の友情に出会った』」
大好きな最初の一文を、ゆっくりと読む。
開けた窓の上で星が落ちる。
「……こわくない、こわくない」
アントンにもそんな一生の友情は、訪れるだろうか。
セントノリス。白き門の学び舎。
深緑の制服を着て、大好きな友人と笑い合う日々。
そこに行けるだろうか。
互いを失いたくないと思える、微笑みあう大切な相手ができるだろうか。
「……こわくない」
ひとりで星を見上げ、いつか来るその夢の日を思い描き、アントンは唇を噛み締めて泣いた。
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「星祭り、出かけるの?」
「ああ。夕飯いいから」
「そう。誰と?」
「アーロンとグレイグ」
「……変なことするんじゃないわよ」
「わかってるよ」
母が心配そうな顔をした。こないだハリーがいないとき、二人して近所のポストをいくつか壊したのだ。
くだらないことすんなって言っても、少しも悪びれない。あいつらは、ワルをかっこいいと思っている。
ここは割と荒れた町なんだそうだ。生まれてずっとここにいるハリーにはわからないけど、確かに言葉は荒いし、みんな声が大きい。学校の奴らはどいつもこいつも勉強が嫌いで、数字を見るのも嫌だという。
結構楽しいと思うけどな、とハリーは思う。輪を乱すから口には出さないけれど。
先生もわかっているらしく、あまりやる気がない。読めばわかることを遠回しに何度も説明されるのも億劫なので、ハリーもあまり授業を聞いてない。窓の外ばかり見ている。
周りとはまあ、上手くやってる方だと思う。誰といても楽しいし、バカやってれば時間は経つ。卒業したらきっと同じような感じで仕事して、結婚して、子どもができて、働いて働いて死ぬんだろう。
この町は灰色だ。もくもくと煙が舞っていて、いつも砂の匂いがする。
さすがは星祭り。人が多い。あっちこっちで怒鳴り声がする。
ハリーはそんな町を走る。ランプはもうボロボロだったし、わざわざ買い足すほど振りたいわけじゃないから持ってない。だいたいもうハリーはそんな子供じゃない。
走る。体のなかで、からんからんと音がする。ハリーはこれを知ってる。空っぽの音だ。
中身が入っていないそれがそこにあるのは、きっと気付かないほうが、それが何なのか知らないほうがいい。ここで一生生きていくのなら。
ここじゃない場所には、何かあるのだろうか。この、何かが足りないという気がする場所に入る何かが。
灰色の町を駆ける。ぼろの靴で、何かに焦っているような気持ちで。
きらきらと星が瞬いている。




