おでんの日記念SS2 薬学研究所のとりあえずエール
みんながただなんか食ってるだけシリーズ第二段。薬学研究所もせっかくなので上げときます。
【6】薬学研究者エミールの優雅な休日 から少し大人になって(なってません)のお話。
「ここ?」
「うん、このお店だ。今日はたくさん食べてねエミール」
「ありがとうウロノス。僕なんて君が困っているとき即刻異動になっただけでジュディのような風よけに少しもなれなかったというのに。給料日前のこのタイミングでおごってくれるだなんて。おや偶然だねリーンハルト。今日は一人で食事かい」
「研究所から一緒に来ただろう」
「ウロノス。もう一度記憶を掘り返してじっくりと考えたほうがいいと僕は思う。この男は君が食事と酒を奢るに値することをただの一度でも君に対して成しただろうか」
「この三人で飲んでみたかったんだ。そんな高い店じゃない。僕が誘ったんだから今日は奢らせて」
ウロノスがおっとりと言う。エミールはいまいち納得がいかないが、彼がそれでいいと言うなら仕方がない。
暖炉があるらしく店のなかは暖かい。研究所からはほんの少しの距離だが、薄い外套しかない慎ましやかなエミール君は、すっかり冷え切ってしまった。手袋を外し、外套を脱ぐ。
「じゃあ遠慮なく。とりあえずエール」
「俺も」
「あ、水もあるみたいだよリーンハルト」
「ああ、あるだろうななんで今言った」
「じゃあ僕もエールを」
メニューを見る。ウロノスはそんなに高い店じゃないと言ったが、きれいでお洒落だと思う。マメな男だから、評判も事前に調べてこの店にしたのだろう。
到着した杯を回し、こつんと当てた。
「お疲れさま」
「お疲れ」
「お疲れさま」
遠慮なくグイグイいく。っはーと息を吐いた。きんと沁みる。今日は週末、明日は休みだ。エミールは家で実験をする予定だ。
「何食べよう」
「あつあつの肉が食いたい」
「お金持ちの君に庶民の肉は固いだろう。僕が食べてあげるよ。これがいいな、スペシャル塊肉。実に固そうだ」
「あつあつの肉が食いたい」
「すいませんこのスペシャル塊肉ください」
「野菜も採ろう。セージのサラダと、豆煮込みもお願いします。エミール、お代わりは?」
「あ、じゃあ葡萄酒」
「葡萄酒もください」
目を配り人を気遣い店員さんにやわらかく言うウロノスを見て、このなかで一番に社交的で大人なのは間違いなく彼だとエミールは思った。
「天神の涙、最近どう?」
柔らかく聞かれ、エミールは微笑んだ。
「いつも通りだ。『今日もダメでした』」
それでも、誰も諦めてはいない。エミールたちは毎日、地図を塗りつぶしているのだ。正しい道を探すために。ひとつずつ、ひとつずつ。この道は違う、ということを未開の暗闇にランプをかざして確認している。何も間違ってはいない。
命を燃やすように、静かに、淡々と地道にその作業は進んでいる。はたから見れば何一つ進んでいないように見えたとしても。少しずつ、確実に。
「新薬研究室は?」
「今チームごとに別れてそれぞれやってるよ。ね、リーンハルト」
「ああ。ジュディと同じで羨ましい」
「そうだろう」
ふんわりと頬を染めウロノスが笑う。おっと案外仲良しじゃないかと思う。この調子でがんばって友達を作っていただきたい。
豆の煮込み、付属のパン。セージのサラダ。
「この『鶏のカラカラスパイス焼き』頼んでもいいかい」
「うん。辛いのかな」
「脂が抜けてカラカラなのかもしれない。どっちにしろエールが進みそうだ」
「香辛料って楽しいよね。彼らはほんの少しの組み合わせの違いで味が変化する」
「エミールは料理をするんだって?」
「うん。あれは製薬に似てるから」
「なるほど」
「シチューがうまい」
「へえ。君たちって仲良しなんだ」
「誤解を招く表現はよしてくれリーンハルト。あれは行きがかり上仕方のないことだった。仲良しどころか友人でもないよ。ただの元同期だ」
「えっ」
肉が来た。でかい。
お店の人が目の前で切ってくれる。このほうが華があるし、あふれ出る脂のにおいが食欲をそそる。
ソースの種類が三種。当然これは食べ比べなくちゃいけないだろう。
「ソースは何さじかけるべきかな」
「すりきり一杯でどうかな」
「いいや。濃そうだからその半分だ。多分」
「客観的にいこう。分けられた肉の数が十枚、ソースが三種。一種しか使わない人がいることも想定しているかもしれないな。単純に一種のソースの分量を十で割ればいいのだろうか」
「いやきっと半分だ」
「火が通っちゃうよ。食べよう」
「三種使う前提で一種のソースを一枚につき全体の三割? それはあまりにも多い気がするし、最後の一枚がソース三種盛りになるか。そんなわけないな」
「半分だ」
「はいエミール。はいどうぞリーンハルト」
「ありがとう」
結局思い思いの量をかけた。だいたいウロノスの言う通りひとさじで丁度良かった。だからこそこの大きさのさじなんだろう。とても合理的だ。
中がまだ赤いがその分柔らかい。噛み締めるとじゅわりと脂が出る。外の焦げ目もいい。
一口食べてから天井を見上げ、こっそりリーンハルトがソースを足している。
「半分じゃなかったのかい」
「……仮説が外れたら立て直すべきだろう」
「そうだね。正しいと思う」
やがて鶏のスパイス焼きが到着。その刺激的なにおいをかいで、エミールはすぐに真顔で手を上げた。
「すいません、エールください」
「そうだよな、俺も」
「僕もお願いします」
店員さんがふふふと笑っている。まんまと策にはまっている自覚はあるが、こんなのどう考えたって、葡萄酒よりエールだ。
今か今かとエールの到着を待ち、届いた瞬間に手を伸ばす。骨付き肉だ。お上品なことに手でつまんでかじりつく。
「かっは!」
「あっはっは」
「うわー」
全員かじりついた瞬間に吹き出して、エールを流し込む。最高に合う。
何かと何かがピタッとこれ以上なく合うとなんだか笑ってしまう。研究が全部こうだったらいいのにとも思うが、たまにしかそうはならないからこそそうなったときに楽しいんだろう。
盛大に飲み、食べた。まだ全員若いので、底なしに食べられる。ウロノスには悪いが、人の金だと思えばなおさらだ。まあ、最後はリーンハルトが財布を出すことだろう。自分がかつて理不尽なことに執拗にいじめ、中途半端に謝罪し、寛容にも許してくれた相手だ。まさかここで彼に奢らせるほど落ちてはいないだろうと思う。多分。流石に。いや、まさか、本当に。空気読め。
「黄金よりも高かった香辛料の話を知ってるかい?」
炭火の味を感じる肉を飲み込み、薄く微笑みながらエミールは言った。なんだか普段よりも上機嫌な自覚はある。
「あ、なんか聞いたことがあるぞ。待ってくれここまで出てるんだ」
「リンクウッド。背の低い木になるしゃらしゃらと鳴る金色のさやに入った小さな粒で、真っ黒。薬の素材にもなる」
「ここまで出てた。ここまで」
「惜しかったねリーンハルト。聞いたことがある気がする。宝石豆の木と呼ばれたやつだよね」
「うん。僕は小さいころにあれを知って、家の周りに生えてないものかと探したものだ。伝説の、王の風邪薬を作ってみたくって」
「一粒が砂金一袋の価値があったっていう」
「リンクウッドだけじゃだめだろう。あと4種類は素材が必要だったはずだぞ」
「僕は5種類と記憶している。全部、目玉が飛び出るほど高い素材だ。それが本当に調合表通りなら」
「『服用後は効用を増すよう、多く水を飲み寝台にて休むこと』。もう自力で治してるよね、絶対」
「それでもそれによって薬師が金を得て研究が発達したんだ。悪いことじゃないと思う僕は。富は未来のために、正しく分配しなくては」
「弱っているところにつけこむのが恐ろしいんだ」
こんな話に興味がなかったらどうしようかと思ったが、二人とも笑っていて、普通に楽しそうだ。エミールはわずかにほっとする。
エミールは人付き合いが下手くそだ。薬にしか興味がないから、薬とそれにまつわるものの話しかできない。
「おっと、杯が空いてた。葡萄酒に戻ろう。何か合うものはあるかな」
「『厚切り燻製肉のチーズのびのび祭り』は?」
「俺は『とろとろソースのあつあつミートパイ』が気になる」
「どちらも魅力的だね。両方いこう」
しんしんと夜が更ける。若者にしては静かに、それでも楽しそうに、ときどき理屈っぽく、若き薬学研究者たちは杯を傾けている。




