-2 『見え透いた心』
「あらぁ。今回は随分と可愛らしいお願いじゃなあい」
お嬢様が『なりたい病』を口にしたその日に駆け込むようにバーへやってきた僕は、そのことをマスターに相談しました。もはや恒例の流れのようになっていて、僕が困った顔を浮かべて入ってきたら、マスターはすぐに察してカウンターに席を設けてくれるほどです。
マスターも半ば楽しんでいる部分もあるのでしょう。
彼は僕の相談を耳にして、隆々としたたくましい肉体には不似合いなほどに厚く化粧をした口許をにやつかせていました。
まるで本物の乙女のように目を輝かせています。
「今回は『花嫁さんになりたい』ってこと? ウエディングドレスは乙女の憧れ。そう思っちゃうのも当然よねえ」
「あの、マスターは男性じゃ……」
「んあっ!?」
低く唸るような声でマスターに睨まれました。
「ひえっ」と僕は猫を前にしたネズミのように縮こまり、注文していたジュースを口に運んで何も言わなかったことにしました。
「リムもわかるのだ! ああいう綺麗なドレスを着てみたいのだ!」
「そうよねえ、リムちゃん」
同じく仕事終わりで一緒になったリムも、僕の横で興奮気味に手を挙げていました。
まだ幼さの残るリムですら憧れるのですから、やはり女性の多くはそうなのでしょう。普段着などに無頓着な僕からすればそこまで強いのは不思議なものですが。
そんなはしゃぐリムを、同席していたライニーさんが酒を片手にけらけらと笑います。
「子供にゃまだ早えよ、ドレスなんて」
「子供じゃない! もう立派なレディなのだ」
「出るとこ出てから言えよ。エリンのほうがあるんじゃないか?」
「むむっ!」
カッと怒ったリムが両手を振り上げて急に僕へと抱きついてきました。そして胸元に腕を回してぎゅっと締め付けてきます。
「ちゃんとエリンよりあるのだ」
「嘘つくなガキんちょ」
「んぎゅー! 絶対にナイスバディになって、一人前のドレス姿を見せてやるのだ!」
「その意気よ、リムちゃん!」
「いえーい、なのだ!」
リムとマスターが意気投合したように乾杯し、リムはジュースを、マスターはお酒を一気に煽って盛り上がっていました。
そんな二人を見たライニーさんが「もしマスターがドレスを着たらびりびり破れちまうから絶対に着れないな」と嘲笑を浮かべたと思った瞬間、
「うぎゃあ!」という汚い悲鳴とともに、目にもとまらぬマスターの鋭い掌底によってライニーさんの体はカウンターの椅子から転がり落ちていったのでした。
あはは、と僕も笑ってそんな光景を眺めますが、その間もお嬢様のことがずっと頭にちらついていました。
「それで、クーナちゃんはウエディングドレスをどうしたいって言ってるのかしらあ?」
「とりあえず『着たい』としか言ってはいませんでした。でもどうしたものか」
「あら、じゃあ簡単じゃない」
「へ?」
マスターは眉を持ち上げて僕の顔を見つめてきました。
「エリンがプロポーズをして花嫁にすればいいんじゃなあい?」
「ふぇえっ!?」
あまりに唐突なマスターの一言に、僕は店中に響くくらいの情けない声を上げてしまいました。客の視線が集まってしまい、僕は真っ赤になった顔を俯かせて肩を縮めました。
小声で、しかし声を張ったように強くマスターに言います。
「な、何を言ってるんですかマスター!」
「あら。クーナちゃんにウエディングドレスを着せるっていう目的は達成できるわよ」
「い、いえいえ! そうじゃなくて、どうして僕がお嬢様にそんなことを!」
「どうしてって……」
マスターの目がきょとんと僕を見つめてきました。
気が付くとリムやライニーさんも僕を疑うような目でまじまじ見てきています。
「そりゃあ貴方。クーナちゃんのことが好きなんでしょ?」
「えええええっ!?」
また大声を出してしまい、僕は大慌てで口を塞ぎました。
「なななな、何を言ってるんですか。僕がお嬢様を、そ、その、好きだなんて。そんな、ありえないですよ。だって僕はお嬢様の使用人でして、お嬢様は身分も高い貴族様なのですし。あの、その。それにお嬢様はとても見目麗しくて、それでいて僕にも良くしてくれるくらい優しい心を持っているんです。だからそんな、僕なんかにはあまりにもったいなくて、だから僕のような雑草が好意を向けることすら失礼なほどで――」
僕はもはや自分でも頭が回っていないとわかるほど早口で言い返していました。
しかしマスターは、それにリムやライニーさんもニヤニヤと口元を緩ませながら僕を見てきます。
「ふふっ。そうは言っても、本当はクーナちゃんのこと大好きなんでしょ?」
「エリンはいつもクーナお姉ちゃんの話をしているのだ」
「ちょっと暇があればすぐお嬢の話を持ち出してくるくらいだもんな、お前は」
「だ、だから何を言ってるんですか! そんなこと――」
「隠したって無駄よお。エリンの顔にはっきり書いてるんだからあ」
「そうなのだ。もうリムたちは知ってるのだ」
「お前がお嬢にホの字だってな」
「なっ……ななななっ!!」
もはや僕の顔は、熟れすぎた果実よりもひどく真っ赤になっていました。湯気が出そうなほど熱も出ています。
「お、なんだエリン。ついにお嬢様に告白するのか?」
「やっとかよ。何年かかってんだよー」
「いいぞやれやれー」
気づけば屋敷で働いている他の客たちも耳を傾け、僕にそんな野次を飛ばしてきていました。
「な、なんでみんな……」
本気で驚く僕に、ライニーさんは呆れた風に息をつきました。
「わかりやすすぎるんだよ、お前。なあ、マスター?」
「そうよお。エリン、クーナちゃんの話をするときはいつも、まるで主人に懐く忠犬のようにしっぽを振って楽しそうだしねえ」
「人生で一番楽しい、っていうような顔をしてるのだ」
「そ、そんなに……ですか」と僕は自分の顔に両手をあてました。とても熱くなっていてやけどしそうです。
「むしろ自覚がなかったのが不思議なくらいよお」
「だ、だって僕はただの使用人ですし。使用人が主人に恋心を抱くなんて、そんなの失礼以外の何ものでもありません」
「果たしてそうかしらあ?」
マスターは首をかしげました。
「私としては別に問題ないと思うけれどねえ。クーナちゃんは末の娘で家の相続にも関わらないし、父親のトニーだって、別に結婚相手を無理やり決めつけたりはしないと思うわ。これまでさんざん娘に甘かった彼だもの。二人の同意さえあれば問題ないでしょ」
「で、ですが……そもそもお嬢様はきっとそうは思ってません。僕はお嬢様に男として見られたことすらないと思いますし」
それはおそらく事実だと思います。
よくて弟のような存在にしか捉えられていないのではないでしょうか。
長い時間を一緒にいてお嬢様との仲はとても親密ですが、それが決して異性との色恋によってものではないと、僕自身がよくわかっているのです。
「こんななよなよした僕なんか、お嬢様とは決して釣り合いませんよ」
僕は力なく肩を落としてそうつぶやきました。
「ねえ、エリン。あまり自分を卑下しすぎちゃ駄目よ。そうやって逃げてばかりじゃあ、いざ大事な時、本当に大切なものを守れないわよ」
「…………でも」
「でもじゃない!」
マスターが無理やり僕の顔を持ち上げ、まっすぐに目を見て言ってきます。本気で励まして発破をかけてくれようとしているのが、彼のまじめな表情から痛いほど伝わってきました。
けれど結局僕の眉尻は持ち上がらず、僕は力なく、
「……僕には、無理なんです」」と呟くほかありませんでした。
そう、僕では駄目なのです。
身分も低く、何のとりえもなく、男らしさすらない。
そんな僕には決して不可能だとイヤが応にも思わさせるような『ある人物』が、まるで僕の眼前にそびえたつな巨大な壁のように存在するのでした。




