3-1 『お嬢様はウエディングドレスが着たい!』
「ねえ、エリン」
「なんでしょうか、お嬢様」
「――ウエディングドレスってどこで買えるのかしら」
「ええっ!?」
いつものように自室の窓際で椅子に腰掛けていたお嬢様がそんなことを言い出したものですから、僕は思わず、取り下げようとした紅茶のカップを床に落としてしまいました。
幸いにも中身は空っぽで、落ちた場所も柔らかい絨毯の上だったので大事にはなりませんでしたが、僕はそれを気にすることすら忘れるほど目を丸くして驚いていました。
――お嬢様がウエディングドレス!?
どうしてお嬢様が。
まさか、それを着る予定ができてしまったと?
――いいいい、いったい何時そんなことが決まったんですか!?
内心、汗だくになりながら僕は動揺を隠せませんでした。
そんな話は聞いていません。
毎日ずっとお側にいる僕です。もしお嬢様にそのような話が持ちかかればなにかしら気づくはず。
――あれ、そういえばこの前。
ふと僕は思い出しました。
『エリン。もしかしたらこれからしばらく、学校に行く日の放課後にちょっと用事ができるかもしれないの。毎度ってわけではないけれど、その時は先に帰っていてくれないかしら』
先日、そのようなことを僕に言っていたのでした。
その時に「どうしてですか」と尋ね返すと、お嬢様は何故か気恥ずかしそうに頬を少し赤らめると、曖昧に答えを濁してきたのでした。
――まさかその時に秘密の密会を!?
僕の預かり知らぬところでそのような話が進んでいたとでもいうのでしょうか。
そんな思考を一瞬のうちに張り巡らせてしまった僕は、ひどく挙動不審な様子でお嬢様を見つめていました。
「あ、あの、お嬢様。ウエディングドレスをなんのために?」
「なんのためにって、そりゃあ着るためじゃない」
「えっと。それは……お嬢様が着るんですか?」
「そうねえ――」
ぼうっと窓の外を眺めていたお嬢様はふと僕へと視線を合わせ、不気味にほくそ笑みました。
「さあ、どうかしらね」
「なんですか、それ」
曖昧なその返事が余計に僕の不安を煽ります。
「あ、あの。お嬢様」
「なに?」
「もしかして、いつの間にか縁談を?」
「え?」
思い切って尋ねた僕に、しかしお嬢様は不思議そうに首を傾げました。
「いつそんな話を?」
「え、だってドレスの話を」
「ああ、それね」
お嬢様の視線が窓の外へと戻されます。
僕も同じようにその方へ視線を追いかけました。
お屋敷の目の前に広がる大通り。
普段は行商人の馬車で行き交うその幹線道路は、しかし今日はまったく違う雰囲気でした。
人が多いのは変わらないのですが、今日はそこにいる誰もが慎ましやかな礼服を身につけています。道の真ん中を大きく開け、両脇にずらりと並んでいました。
その開けた大通りの真ん中を、二人の人影が歩いています。とても豪奢なウエディングドレスを纏った花嫁と、それに付き添う花婿でした。
どうやら結婚式を開いているようで、その催しとして、町の中心の大通りであるこの場所をウエディングロードとして歩いて回っているようです。おそらくどこかの貴族なのでしょう。多くのヒロに祝福され、花びらや彩りのあるテープで大通りはきらびやかに輝いています。
「花嫁になったらあれを着れるのよね。私もあんな綺麗なウエディングドレスを着てみたいわ」
ああ、なるほど。と僕はようやく溜飲を下げました。
どうやらお嬢様のいつもの『なりたい病』が顔を覗かせてきたようです。今回は『花嫁になりたい』といったところでしょうか。それに気づいて僕はひどく安堵した顔を浮かべていたことでしょう。
お嬢様の視線はなおも窓の外の花嫁に向けられていて、僕のだらしない表情に気づかなかったのは幸いでした。
「ねえエリン。私もあれを着てみたいわ」
ふと、円らな瞳を浮かべて僕を見やってきました。慌てて僕もきりっと顔を引き締めます。
「着てみたいと言われましても」
「どうにかできないの?」
「うーん、どうでしょう」
「貴方は私のウエディングドレス姿なんて見たくないのかしら?」
ぎくり、と僕は内心をざわつかせました。
イヤが応にも頭の中で想像が膨らんでしまいます。
お嬢様の艶やかな白髪と同じくらい綺麗できめ細やかな純白のドレス。それを纏うお嬢様がふと僕へと振り返り、微笑みかけてくれる。そんな妄想が無意識に浮かんでしまいました。
「どうしたのエリン、顔が赤いわよ?」
「……へ?」
いつの間にか僕の顔がほんのり紅潮してしまっていたようです。心配そうな顔を浮かべたお嬢様はふと立ち上がり、
「熱でもあるのかしら」
そう言って急に僕のおでこに彼女の額をくっつけてきました。
前髪を掻き上げたお嬢様の顔が間近に迫り、僕の顔は熟れたトマトのようにさらに真っ赤に染まって、頭から湯気が立ち上りそうなほどになってしまいました。
「ひゃあっ!」となよなよした声を上げて僕はたじろいでしまい、余計にお嬢様に不思議そうな顔をされました。
いえ、だって仕方がありません。
急にお嬢様が、その――まるでキスするかのように迫ってきたのですから。
お嬢様の綺麗な肌。瑞々しい唇。
紅がついたようにやんわり赤い頬。
慌てて後ずさった僕の頭には、そんな彼女のすべてがこびりついて離れなくなっていました。
「や、やめてくださいよお嬢様」
「なによ。心配しただけじゃない」
「その……無防備すぎるんです」
何の気もなしといった風に、僕の心をもてあそぶかのように、お嬢様は自然体にそんなことをしてきます。
――いや、やっぱり僕なんかにそんな気になるわけないか。
親しくはあるけれどそれ止まり。
僕はやはり、お嬢様の使用人である以上でも以下でもないのです。
「ぼ、僕だって一応は男なんですよ。お嬢様ももう立派な年頃の女性なのですから気を付けてください。自分が女の子っていう自覚は持っていますか?」
「もちろんよ。だから、ウエディングドレスが着たいなあって言ってるじゃない」
ほくそ笑んでそう言ってくるお嬢様に僕は嘆息を漏らしました。
「……そういう問題じゃありません。お嬢様が誰彼構わず男性にそうしっていると、貞操の緩い人だと思われてしまいます。そうなればライオット家の品位にも関わります」
「私は別に家の事情なんてどうでもいいけど」
「よくありません」
お嬢様は上に二人のお兄様を持っているため、随分と甘やかされて育てられました。そのせいで意識も低いのでしょう。
「お嬢様はもっといろんなことに気を付けてください。でないと嫁入り先がなくなってしまいますよ」
「あら、それは大変ね」
口ではそう言いながらも、お嬢様はまったく気にも留めていない風に微笑んでいたのでした。




