-11『お嬢様の窮地に』
お嬢様は唾をごくりと飲み込むと、遠くの机に立つ煙草の箱へと相対しました。そうしてその方向へと手を伸ばし、強く念じるように目を瞑ったのでした。
しかしそんなことをしても、魔法の才能がないお嬢様には何もできません。
強く息むお嬢様の気合いとは正反対に、バーはしんと静まりかえっているままでした。
シュランは上機嫌でバーの椅子に腰掛けて笑いを堪えていました。
お嬢様に魔法を使わせる提案をした彼からすれば、お嬢様の返事がどうであれ、愉悦にまみれたものだったでしょう。
もしお嬢様が提案を断れば「魔法使いと嘘をついた」と喧伝でき、提案を受けたとしても「失敗した。魔法使いではなかった」と暴露できる。
シュランにとっては愉快きわまりない気持ちでしょう。
「どうした。まだ倒れてないぞ」
「う、うるさいわね。時間がかかるのよ」
「ああ、そうか。じゃあごゆっくりどうぞ」
シュランの口振りはとても弾んでいました。お嬢様の姿をさも滑稽だと思って眺めているのでしょう。
実際、できるはずもないお嬢様の姿は、僕からしても見るに耐えない物でした。
お嬢様が本気で魔法を出そうと頑張る姿勢を見せれば見せるほど、ただただシュランが嘲笑を浮かべるばかりです。
「もう……もう見てられません」
こうなったら僕が飛び出してでも割って入って、事態をうやむやにでもするしかありません。
こんなことになった責任は僕にあります。僕が最初からお嬢様に嘘を言わなければ良かったのです。
――そうすればお嬢様も嘘つき呼ばわりされることはなかったのに!
「とにかく今すぐとめないと」
胸を締め付けられる思いでそう呟いた僕に、しかしふと、カウンターから出てきたマスターがそっと僕の肩に手を置きました。
「マスター?」
振り返ると、マスターはいつにない神妙な面もちで僕を見ていました。
「なにしてるんですか、マスター。早くお嬢様をとめないと」
「とめてどうするの?」
「え……?」
マスターは穏やかな口調で言いました。
「あの子はきっと筋を通そうとしているのよ。自分は魔法使いだと言い張ったことに対して」
「筋を……」
「あの子はきっと嘘にしたくないのよ。少なくとも今、あの男の子の前では」
お嬢様は意地を張っているかのように諦めません。それはただ諦めが悪いだけではありませんでした。
「ただ引き下がれないだけじゃない。あの子は私たちに、意地でも魔法使いであろうとしてくれているんだわ。だってもしそれがまったくの嘘だと知られたら、クーナちゃんはエリンも含めてあの男の子に悪く言われちゃうんだもの」
マスターはそっと僕の背中を叩き、耳元で囁きました。
「このまま失敗してもどうせ嘘つきだと笑い物にされるわ」
「じゃあどうすれば」
「簡単よお」
ふふっ、と優しくマスターは微笑みました。リップのついた唇を人差し指で押さえ、
「その『嘘』を『本当』にしてあげればいいの」
「『本当』に?」
「ええ。本当に魔法のようなことを起こしてしまえば文句はでないでしょう?」
「魔法のようなことって……それっていったい」
「それはエリンが考えてみなさいな」
マスターはそう言って僕に、カウンターの奥に置かれてあった細いひっかき棒のようなものを手渡してきました。お店の窓のシャッターなどを下ろすのに使うものでしょう。
「あの……どうしてこれを……?」
「エリンも、クーナちゃんにあんなことをさせちゃってることに罪悪感があるのでしょう? だったら、その償いとして自分で考えてみることね」
「僕の、償い……」
シュランに絡まれているところをまたお嬢様に守られて、また迷惑をかけようとしている。
そんな僕が、お嬢様のためにできること。
何かあるのだろうか。
本当にあるのだろうか。
わからない。
僕なんかに何かができるとは思えません。
その不安と、焦りと、劣等感が心をすぼめて握りつぶそうと襲ってくるようでした。
ひたすらの波。
僕を襲っては、足をすくって奪おうと何度も引っ張ってくる、そんな焦燥。ひとたび飲み込まれれば、僕は果てしない自失の闇に落ちることでしょう。
そんな今にも目がくらみそうな絶望的な意識の中でも、しかしふと視線をやると、お嬢様の姿だけはくっきりと僕の瞳に映し出されていました。
輪郭が浮き出るようで、ただただ眩しくありました。
――そうだ。お嬢様のこの輝きを失わせるわけにはいかないんだ。
これは僕の嘘が招いたもの。
だったら僕が何とかしないと。
――お嬢様が、その僕の嘘を貫き通そうとしてくれているのだから!
はっと顔を持ち上げた僕は、ふと周囲を見回しました。それと、煙草の箱が置かれている机のあたりも。
そうして状況を冷静に確認すると、
「――よし。やれるかわからないけど、やってみるしかない」
僕は咄嗟にある『作戦』を思いつき、決行に移す覚悟を決めたのでした。




