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 -10『誘い』

 こんなことならお嬢様に『魔法』と嘘をつかなければよかったと、僕はこれほどに自分の行いを後悔したことは今まで一度もないというほどに落ち込んでいました。


 お嬢様はシュランに対して魔法の実演をすることとなってしまったのです。


 それがどうしても回避しようがなく、ひどく頭を悩ませるほどの大問題でした。


 もはや今更、お嬢様に訂正できる段階でもありません。もしあれがただの手品だとお嬢様に教えてシュランに見せないよう進言しても、お嬢様はそれなりのショックを受けてしまうでしょう。なにしろお嬢様の周りの人間みんなで、魔法だと嘘をつき、彼女を褒めていたのですから。


「私を騙してたのね! みんなして、私が間違ったことをしてるのを陰で笑ってたんでしょ」などと憤慨しかねません。


 なにより純粋に楽しんでいるお嬢様に水を差したくはありませんでした。


 しかし教えなければ、お嬢様は手品を『魔法』だと言い切ってシュランに披露してしまいます。もちろん彼に「手品ではなく魔法です」と気を利かせられるはずもなく、ただお嬢様が恥ずかしい思いをしてしまいかねません。


 どう転んでも、僕にとっては非常にマイナスな状況でした。


 魔法の実演場所は、マスターがバーを提供してくれました。そこに置いてあったお嬢様の小道具を取りに戻ったときに、マスターが許可をくれたのです。


 お店はまだ夜営業の開店前のため、そこにいるのはマスターだけです。


 最低限、衆目の前でお嬢様が恥をかくことだけは回避できました。しかし全く安堵はできません。


 シュランをつれてきた僕たちにマスターは、


「大丈夫なの?」と心配そうに声をかけてくれました。


「もちろんよ。練習はいっぱいしてきたし、心配いらないわ」とお嬢様は自信満々です。


 しかし僕とマスターはまったく違う意味で心配を募らせていました。


「何かあったらサポートするからねえ」

「ありがとうございます、マスター」


 やる気をたぎらせるお嬢様を余所に、僕とマスターはこっそりとそう言葉を交わしていました。


 お嬢様は手品の準備をして、客席の片隅のテーブルに向かいました。シュランも、含んだ笑みを隠しきれない下卑た表情を浮かべながら追いかけます。


 僕だけはカウンターにいるマスターのそばで固唾を呑んで見守っていました。


「それじゃあいくわよ」

「ああ、やってみろよ。くくっ」


 そうしてお嬢様の手品ショーがはじまりました。


 お嬢様は慣れた手つきで手品を披露していきます。


 手に掴んだコインが消える手品。スカーフの色が変わる手品。様々な物を披露しますが、しかしシュランはまったく反応を見せません。


 魔法ではなくただの手品なのだから当然でしょう。


 しかしお嬢様はそれが気にくわないのか、今度は大がかりな箱を二つ用意しました。


「この中にぬいぐるみを入れるわ。それが次の瞬間にはもう一つの方に移るの。よく見ててちょうだい」


 お嬢様がそう言って小さなぬいぐるみを取り出して箱に入れようとした瞬間でした。


「あのさあ」


 ずっと無言だったシュランがついに口を開きました。


「お前、ふざけてんの?」

「ふざっ……どういうことよ」

「魔法を見せてくれるんだろ?」

「ええ、見せてるじゃない」


 ああ、まずい。と僕は焦りました。しかし僕が咄嗟に駆け寄ろうとするより先にシュランは嘲笑を浮かべ、


「お前のそれ、ただの手品じゃんか。魔法でもなんでもない、さ」

「……え?」


 もしかするとシュランも呆れただけでそのまま帰るかな、などと楽観的な希望を抱いていたのが間違いでした。


 嘘を直球に暴くシュランの言葉に、お嬢様は目を丸くして言葉を失っていました。


「そりゃそうだろ。こんなの誰が見ても気づくだろうか。俺を馬鹿にしてるのか?」

「魔法ってこういうものでしょ」

「やっぱり貴族様はろくに勉強もせずにいるのか? 魔法使いってのはもっと超常的なことを起こせる奴らのことさ。お前のそれは、見てる人間に超常現象と勘違いさせてるただの子供だましでしかないんだよ」


 シュランの言い分はひどく真っ当でした。

 そしてそれは、そもそも魔法のこと、手品のことをまったく知らないお嬢様を騙した僕に非があるものです。彼女はただ純粋に信じていただけです。


 ――ああ、最悪だ。こんなことなら最初から教えなければ良かった。


 果てしない後悔が濁流のように僕を押し流しました。


「手品? なによそれ。勝手ないちゃもんをつけないでちょうだい」

「いちゃもんじゃねえさ。ああ、そうか。そもそも手品を知らないんだな。休日の市を歩けばそんな大道芸人くらい山ほどいるのに。貴族様は庶民の娯楽には興味なしってか?」


「そんなことっ。それこそでたらめに決まってるわ。ねえ、エリー?」


 同意を求めてお嬢様はこちらへ視線を向けてきましたが、僕は返す言葉を見つけられず、曖昧に顔を俯かせることしかできませんでした。それが余計にお嬢様の自信を崩したかのように、彼女の眉尻がやや下がったのがわかりました。


 お嬢様の唇が震え、瞳も揺らいで、喪失したようにお嬢様は立ち尽くしていました。


 そんなお嬢様に嘲った笑みを向けてシュランが言いました。


「魔法ってのは、そんなこずるい手を使わなくても不思議なことが起こせるんだぜ。そうだな――」


 シュランは胸元から小さな箱を取り出しました。煙草のケースのようです。未成年である彼がそれを持っていること自体問題なのですが、彼は全くそれを悪びれる様子もなく取り出すと、お嬢様からやや離れた丸い机の上にそれを立てて置きました。


「本当に魔法が使えるなら、今からこれを倒してみろよ。魔法使いならそれくらい簡単なはずだぜ。ああ、もちろん何も道具なんか使わずにな」

「なっ……」


 もちろんお嬢様の手品ではそんなことできるはずありませんでした。


「できたら認めてやるさ。お前が本物の魔法使いだってな」

「それは……」


 さすがのお嬢様も動揺の色を隠せない様子でした。この状況でそれができる方法など思いつきもしないのでしょう。


 お嬢様が言葉に詰まっていると、ふとシュランが僕を見つめてきました。


「まったく。とんだ見栄っ張りの主人に仕えたもんだなあ。こんな嘘つきの貴族を偉そうにかばい立てした誰かさんは今どんな気持ちなんだろうな」


 彼の言葉は、明らかに前回の事件の時のことを含んでいました。


「ま、俺としては別にこのまま帰ってもいいけどな。休校があけたら学校の連中に思う存分言いふらしてやるよ。いや、明日にでもやってもいいかもな」


 にたり、と不気味にシュランは笑みました。


「クーナ=ライオットは嘘つきだ、ってな」


 シュランはそう言って愉快に声を上げて笑いました。


 そこまでお嬢様を悪く言われて、さすがの僕も腹を立てる気持ちでいっぱいになりました。


 しかし真っ先に動いたのは僕ではありませんでした。


「わかったわ」


 お嬢様がそう言葉を漏らしました。

 彼女は僕を一瞥だけすると、ふっと優しく微笑み、


「いいわ、やってみせるわよ」


 そう強がった言葉をシュランに投げつけたのでした。


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