-9 『不可抗力な見栄』
下卑た笑みを浮かべてシュランは僕の前に立っていました。
背の高い彼はまるで多い被さるように僕の前に立ちふさがっていて、ひどく狼狽した僕の顔に影を落としてきました。
――どうしてっ。
喉が詰まって声も出せず、かといって僕はそこから咄嗟に動くこともできません。
どうして彼がここにいるのか。疑問に思ってしまったものの、それは難しい問題ではありませんでした。
貴族ではない学校の生徒たちは今日は登校日です。しかし彼は先の騒ぎで停学処分を受けている最中なのでした。
「よお。こんなところで何やってんだ?」
シュランの声は、にやつきと、恐ろしさがないまじったものでした。まるでいきなり僕を脅してきているような圧です。
僕もなるたけ驚いているのが顔に出ないように踏ん張って毅然と返そうとします。
「いえ、別になにも」
「なにもってことはねえだろ? ご主人様のおつかいか?」
「別にそういうわけでは」
「下々にパシらせられるんだから貴族ってのは言い身分だよなあ。俺もそんな便利な子分がほしいぜ」
どこまでもシュランは挑発的で、僕やお嬢様を馬鹿にした言葉をぶつけてきます。
しかしだからといって言い返してしまえばまたこの間の二の前になってしまうでしょう。彼としてはむしろそれを望んでいるのかもしれません。
――我慢だ。我慢だ、エリン。またお嬢様に迷惑をかけるわけにはいかない。
再び事件を起こせば今度こそお嬢様も大きな問題として責任を問われるかもしれません。そうなると、原因である僕はもうお嬢様のそばにいられないでしょう。
――お嬢様がお店から出てくる前に、どうにかしてシュランを追い払うんだ。
「あの。用がないなら帰ってもらえませんか?」
「あ? つれないこと言うなよ。俺はお前たちのおかげでずいぶんと暇になってるんだ。こんな昼間っからな」
言いはするものの、まったく残念がっている様子はありません。むしろ生き生きしています。
「お前たちにも礼がしたくてな」
「あの、やめてください。ここは他の人もいますし」
「なんだ? じゃあちょっと路地裏にでも入るか?」
「そういう意味じゃ……」
シュランはぐっと僕に詰め寄ってきました。
彼も理性的に手を出してこない以上、僕も誰かに頼って無理矢理追い払うこともできません。
僕が強気に出れないことをシュランもわかっているのでしょう。ただただ気を強くして詰め寄ってきます。僕のたじろぐ反応を楽しむように。
――せめて一瞬だけでもここから立ち去って彼をどこかに追いやらないと。
「僕、もう行きますね」
「どこに?」
「お屋敷に戻るんです」
「愛しのご主人様のところに泣きつきに行くのか?」
嘲笑を向けてくるシュランを無視し、無理矢理にでも立ち去ろうとした瞬間、
「ん?」
お店の扉が開き、シュランは怪訝な声を漏らしました。直後、また彼の口元がにやりと歪みます。
お嬢様がやってきたのでした。
上機嫌に足を弾ませ、おそらく購入したばかりのローブを羽織っています。
「なんだ。いるじゃねえか」
シュランの声に気づいたお嬢様は、一瞬にして表情を嫌悪へと変化させました。
「どうして貴方がここにいるのかしら」
「たまたま通りかかっただけさ。誰かさんのおかげで暇だからな」
「あら。おうちで大人しくお勉強でもしてればいいのに」
胸くそ悪い様子で返すお嬢様は決してシュランに引けを取ってはいませんでした。
にらみ合った二人はまさに一触即発といった様子です。僕としてはとてもまずい状況でした。
お嬢様に問題を起こさせたくないのに、このままではいつ衝突するかわかりません。
「貴族様はいいよなあ。俺たちが勉強してた時間帯も普通に暢気にお買い物ってか」
「お生憎様。こっちは休日にも家庭教師にみっちりしごかれたりしているのよ。貴方たちとは少し違うだけ」
「貴族ともなれば、出向くんじゃなくて出向かせるんだもんな。金があればなんだってできる。たとえどんな人間でもな」
二人とも、歯を食いしばったように見つめ合って火花を散らしています。
ふと、シュランがお嬢様の体を見て目を見開きます。
「――なんだ? 最近の貴族様は魔法使いの真似っこまでしてるのか?」
シュランは嘲笑を浮かべてお嬢様を見やりました。
「貴族様のおままごとも訳がわからねえなあ。そんな似合わねえ格好して金をドブに捨ててよ。それともなにか。こんな日中に勉強もせずに遊びほうけてる貴族様だから頭が足りねえで、この店の店主に言いように言いくるめられて買わされたってか?」
言いたい放題です。
僕は内心でかっとなって苛立ちを煮えたぎらせましたが、お嬢様の手前、それは堪えました。
僕が口を出しては余計にややこしくなってしまいます。
高圧的に、挑発的に煽ってくるシュランに、しかしお嬢様は毅然とした表情のまま冷静さを保っていました。
「私がいいと思って買っただけよ。ただそれ以外のなんでもないわ」
「どうして貴族様が魔法使いのものを? まさか魔法を使えるわけじゃないんだろ? ははあ、なるほどな。『自分には魔法使いの才能がある』って勘違いしたのか? それとも、おままごとの延長で魔法使いごっこでもしてるのか?」
シュランの物言いはそのどれもがトゲのあるものでした。
しかし彼の言葉もあながち間違ってはいないので、僕としては何も言い返せない思いでした。
しかし、売り言葉には買い言葉とでも言いますか。
お嬢様は羽織ったローブの襟元をただし、
「ごっこじゃないわ。私は魔法を使えるんだもの」
そう強く言い張ってしまいました。
隣で口を噤んでいた僕としては息が詰まるような思いでした。
それは僕がお嬢様についた嘘だからです。
お嬢様は魔法など使えません。しかしお嬢様は、僕や他の人たちがおだてたせいで、教わった手品を魔法だと思いこんでいるだけなのです。
その事実が知れれば嘲笑物どころではないことは明白でした。
――お嬢様! いますぐなにか誤魔化してください!
そう心の中で叫ぶものの、伝わるはずもありません。なによりお嬢様自身、手品を魔法だと信じ切っているのですから、その自信満々な態度を崩せることはできませんでした。
ことが大きくなる前に、適当に誤魔化してこの場を去らないと。
「あの、おじょうさま……」
「魔法だと? お前がか?」
怪訝に眉をしかめるシュランに、僕のか細い声は簡単にかき消されてしまいます。
お嬢様もいっさいの躊躇いもなく頷き返していました。
「そうよ。最近になって習ったの」
「習った? 最近使えるようになったってのか?」
「ええ。ちゃんと習得できたわ。今はそれをもっと上手くできるように練習中なの。ね、エリー?」
急に振られ、僕は咄嗟に「ひゃいっ」と頷いてしまいました。さすがにその気になっているお嬢様にいきなり現実を突きつけられるはずもありません。
――ああ、もう。これ以上変なことにならないで!
尋常じゃないほどの冷や汗をかきながら、僕は今にでも穴に隠れたいほど心臓をバクバクさせて焦っていました。
どうかこのまま穏便に事が済みますように。
そう願う僕をあざ笑うように、シュランの口元がにやりと持ち上がります。
「じゃあ、だったらその魔法とやらを見せてみろよ」
「……っ!」
それは最悪の提案でした。
「お前が魔法を習得したっていうのなら、その証拠を見せてみろよ」
「魔法が使えたとして、どうして貴方に見せなきゃいけないのかしら?」
「なんだ。やっぱり嘘か。貴族なんてのは所詮口だけさ」
「安い挑発ね。けどお生憎様。私の魔法はそこまで安くはないわよ」
「挑発じゃねえさ。できるんだったら見せてくれって頼んでるんじゃねえか。下々のお願いくらい聞いてくれよ、貴族様よお」
のらりくらりと返すお嬢様にシュランは執拗なほど食い下がっていました。
おそらく彼は理解しているのでしょう。魔法が後天的に得られるものではないということを。お嬢様の言葉が明確に嘘であるとわかっているのです。
分は圧倒的にお嬢様が悪い状況でした。
しかしお嬢様も自分の言が間違っているとは思っておらず、自信こそあれ、引くことなどあるはずもないのでした。
「――そこまで言うのなら見せてあげるわ」
「…………っっ!」
ついにはお嬢様の口から致命的なその一言が飛び出し、僕は後ろで声にならない悲鳴を人知れずあげたのでした。




