第九章「破滅の都市」
そこは見たこともない高度な文明をもつ都市だった。空は一面乳白色のドームに包まれ、太陽光は間接的に地上に照らされており、空一面が蛍光灯のようだった。都市の建物は石造りで古風ではあるが、美しい芸術的な装飾がされていた。
ぼくは一瞬、未来にでも来たのかと思ったが、人々の服装がどちらかというと原始的で素朴だったし、機械のようなものは見当たらなかった。しかし、人々は石や木でできた乗り物を巧みに操り、音もなく乗っていた。地球ではない、別の星なのだろうか。
ジエルとアンが空飛ぶ乗り物に乗ってやってきた。幸いにもジエルは元の身体を取り戻していた。乗り物は電動キックボードに似ていて、平たい楕円形の大きな石に杖のようなものがくっついていて、杖の上部には透明の石がついていた。二人乗りでぼくの前に現れた。
「え、なにやってるの?」と、ぼくは聞いた。
「初めて乗った!」と、興奮気味にジエルがいった。
アンは慣れた感じで得意げに乗り物から降りた。
「これがアトランティス文明の乗り物よ。ここの水晶に魔法がプログラミングされていて、重力をコントロールしながら進むの」
「アトランティス文明?」
ぼくは、もの珍しく乗り物を触りながら、アトランティス文明について尋ねた。名前は聞いたことがあったが、ムー大陸と同じようにオカルトな伝説だと思っていた。
「アトランティスは、二万五千年前から一万二千年前くらいまで続いた文明で、今の人間たちの祖先ね。天使も悪魔もあまり干渉せずに人間の進化を見守っていた時代よ」
そうアンは説明した。
「アンはアトランティス人だったの?」
「何回も転生したことある」
ぼくはジエルを見た。
「おれはこの頃はずっと天使」
ぼくがここにいるということは、ぼくもアトランティス人だったときがあるのだろう。天上のドームを指さして、「あれはなに? どうなってるの?」と聞いた。
「昔の大気は有害だったのよね。薄い層があって、その上は水蒸気の層になってて、有害な太陽光線とか、生き物にとって毒性のある空気を濾過してるってわけ」
アトランティスの町並みを歩きながら、アンはいろいろと説明してくれた。科学文明は発達していたけれど、冷酷な性格の面もあり、他種属を奴隷のように扱ったり、動物を虐待することもあったという。
「アトランティス時代には『愛』はほとんど見られなかった」と、ジエルは嘆いた。
「創造のメカニズムはよく知っていたから、たくさんの技術が生まれたけれど、それらを戦争に使ったり、エゴのために使うことが多かったんだ。今の人類と似たとこあったと思うよ」
そう聞くと、恐いものだ。
「おれたち天使はさ、どうせ聞く耳持つ者もいないだろうって、ちょっと諦め気味だったんだよな~」と、ジエルは笑った。
ぼくらは階段のあるピラミッドを登り始めた。宗教的な施設らしいが、見晴らしがいいという。
一万年以上も続いた高度な文明が、どうして滅んだのだろう? それに、現代になにも遺跡などが残されていないのも不思議だ。
「アトランティスの末期、権力者たちは宇宙に行きたかったのよ。その欲望に悪魔たちは大勢加勢したわ」
「アンも?」と、聞いた。
「わたしの嫌いな奴らばっかりだったから。権力者に味方した悪魔たちは、人間の破壊的な欲望を好物にしてる低級な連中よ」
悪魔にも上級とか低級とかあるのか、とぼくは思いながら、そこにアンが加担していなかったことが嬉しかった。
「そして、権力者たちは宗教の指導者にも取り入った。とても優秀で有望な人物で、当時天使が味方していたかわたしは知らないけれど、悟りに達したという人がいたの。彼を政治の中枢に置き、悪魔たちはその人物に『破滅』の手形を授けた」
「え!」と、ぼくは叫んだ。
「アトランティスの科学技術と、彼の『破滅』のパワーを使って、天上のドームを破壊したのよ。宇宙に出るために。そのために宇宙船も開発していた」
ぼくは驚きのあまり足を止めた。
「すると、地球の周囲を覆っていた水蒸気が液体となり、都市に降り注ぐようになった。これがやがて大洪水となり、アトランティス文明は消滅することになるわ」
「それって本当なの?」と、ジエルに聞いた。
「本当だよ。天使たちは慌てて人間たちを助けようとした」
「遅いじゃん」
「いやマジで遅いよね。それくらい、放置してたんだ。わずかながら助けられた逸話が、ノアの箱舟の伝説として残ってるよね」
言葉を失った。アンが話を続けた。
「権力者たちは宇宙船に乗り、地球から離れようと飛び立った。想像を超える水の量と重力の変化に、多くは失敗して死んだけれど、一部は月や火星に行き、ささやかな文明を築いたの。エイリアンも手助けしてね。けど、その文明は百年と保たなかった。人間は地球に特化してるから。エイリアンが遺伝子を変えたりして、なんとか地球外でも適用できるようにがんばったけれど、生き残らなかった」
なんという話だろう。そんな想像を超えた事実があったことに驚くしかなかった。人間たちは一万年以上前に、月や火星に行っていたのか。
「悟りに達した人は?」
「彼は権力者たちに捨てられ、洪水が飲み込む前に死んだわ。彼の名前ルシファーは、悪魔たちの間では英雄だけど、天使たちの間では忌まわしい名前でしょうね」
「彼は死後も、イエス・キリストの邪魔をしたり、度々人間たちに介入してるしね」と、ジエルはつぶやいた。
そして、しばらく無言になり、ぼくらはピラミッドの頂上にたどり着いた。頂上は、さながら高台のようになっていた。気持ちのいい風がぼくらに挨拶をした。
高度な文明といってもぼくらの時代ほど人口は多くなく、緑も豊かで平和的に見えた。いつの時代も、人間の歴史のなかに、天使や悪魔、はてはエイリアンまで巻き込んだ隠れた介入があったのだな。
高台に一人の老人が座っていた。樹木の幹のようなどっしりとした椅子に座り、彼自身の身体もまた樹木のようだった。サフラン色の質素な服を着ていて、宗教家に見えた。
「ふむ、お告げの通り、奇妙な姿をした者が現れたが……」
老人は目を見開いて、こちらを見た。
「わしが求めているのは自己の救いだ。子供の相手をしている場合ではない」
その一言は、落胆を示していた。ぼくとしても、なにかを期待されたところでなにもできそうもない。この人は、ぼくの百倍くらい自分を律して磨いてきたに違いない。
「で、どんな救いを求めてるの?」と、ジエルが驚くくらいなれなれしく聞いた。天使が無作法なのか、彼の人間生の影響が強すぎるだけなのか、彼の性格なのか、時々ハラハラする。
「わしの弟子だった男が、今世界を救おうとしている。わしは見ての通り年を取り、もはや誰からも必要とされず、一人だ。わしの知り得た知恵を教えた男と、なにが違うというのか。わしにはなにが足りなかったのか……」
老人は寂しそうに語った。
「ええっと、その人の名前は?」と、ぼくは聞いた。
「……ルシファー……」
なるほど。アトランティスを滅ぼした男の師匠が、過去生のぼくということか。ぼくの魂は偉大すぎないか? なにも引き継いでいない気がする。
アンは口を押さえ、「笑える。わたしたち、ルシファーの話をしてたところよ」と、なんの遠慮もなくいった。
老人はアンを一瞥した。
「あいつの名を呼び捨てにするそなたは何者かな? わしの命を取りに来た死神かな?」
「いい線いってる。わたしは悪魔よ」
アンがそういうと、老人は明らかに落ち込んだ。
「なんと、悪魔に見初められるほど、わしは堕ちたか。もう死のう」
ジエルが慌てて、「あ~、おれは天使だし、そういうことじゃない! あなたは、天使も悪魔も注目してる、すごい存在さ!」とフォローした。
老人はまんざらでもない顔を浮かべ、頬を赤らめた。
「そぅか、そぅか」
言っちゃ悪いけれど、自己肯定感の低い人だ。立派にぼくも引き継いでいたかもしれない。
「それに、あなたの未来生もやってきてる!」
ジエルは手を広げて、ぼくを大々的に紹介したが、老人はまたも気落ちしてしまった。
「この子がわしの未来生……」
「いや、がっかりしないでよ」とぼくはいった。
「つまりわしは悟りに達することもできず、未来のなれの果てがこれか……」
さすがにムカッときた。
「ちょっとおじいさん、そういうとこじゃないの? 悟りに達せなかった理由」
老人は今度は怒りの表情に変わり、そばにあった水晶のついた錫杖を手に取ると、天に掲げた。
「ふざけるでない! わしは世界一の偉大なマスターだ!」
強い風が吹き、巨大なピラミッドごと浮かび上がった。空は真っ黒な雨雲で覆われ、稲光が走った。ぼくらは必死で老人をなだめた。老人を褒め称えた。すると、ようやく機嫌が直り、ピラミッドは着陸し、雨雲は消えた。
「あのじいさんを刺激しないようにしよう!」と、ジエル。
「いかれてるよ、すごい力もってるけど、中身がやばい」と、ぼく。
「改めて、君には『破滅』の素質があるとわかったわ」と、アン。
ようやく落ち着いてから、老人の「自己の救い」について聞いてみたが、誰でも持っているような悩みだった。つまり、自分が報われないというものだ。誰よりも悟りの道に勤しみ、誰よりも知恵を得たのに、世界の救い主として認識されず、弟子が有名人となり、弟子は権力も財も手に入れた。彼は、当然手に入れてしかるべき、名声も権力も財も手に入らず、人々からそっぽを向かれている。そのことに、怒りと無力感を抱えている。
ジエルがいうように、この時代は愛が育っていないので、道を極めるということは巨大なパワーを得ることと同一視されていた。
エネルギー切れした老人は、しゅんとなって座っている。ぼくはしばらく対話した。
「あの……ぼく思うんですけど、悟りに達するとか世界の救世主になるって、そうじゃないんじゃないですかね。すごいと思われたり、人々を支配したりって、逆じゃないかな」
「もちろん、人々を幸せにするためにその力がある」
「じゃあ、ふてくされてる場合じゃないですよ」
「わしはいつでも幸せにすることができる。しかし、誰も来ない。みんなあいつの元へ行ってしまった。わしはどうすればいいのだ」
「そんなに力があるんなら、まず自分を幸せにしたらどうですか? 大勢の人を幸せにできる力があるなら、自分一人簡単に幸せにできるでしょ? それで幸せになれない、人々がすがってくれないと救われないっていうなら、あなたには全く力がないのと同じですよ」
ぼくがそういうと、老人は呆然と、虚空を見上げた。
「もっと自分を大事にしてくださいよ」と、言葉を添えた。
周りに怒り散らかしたり、すねたり、老害みたいな振る舞いはやめてほしかっただけだけど、老人の目からは涙が流れた。
「おぉ……その通りだ。わしは自分を愛していなかった。自分を痛めつけ、蔑み、呪っていた。同じように、わしは人を愛していなかった。人を痛めつけ、蔑み、呪っていたのだ」
老人は悔い、目覚めたが、今にも消えてしまいそうだった。なにかをやり直すには年を取り過ぎていたのだ。
しばらく様子を見ていたジエルが、手を挙げて、輪に入ってきた。
「はい。天使を代表していわせてもらうと、あなたの弟子ルシファーは闇に堕ち、世界を滅ぼす人間となってしまうけど、あなたはそうはならなかった。それだけでもすごい」
老人は無言でジエルを見た。その目には少し光が回復していた。
「あいつが間違っていた、ということか?」
アンは、「なにが間違っていたとかはないけれど」とルシファーのフォローを入れた。
ジエルは「人間たちに利用され、捨てられたのは哀れだね」と続けた。
老人のなかで価値観が逆転した。何も手に入れられなかったことの絶望感が安堵感に変わった。そして、もし権力も人も財も手に入れていたら、自分がルシファーとなったかもしれなかったことに身震いした。
ぼくらを包む世界の外から、巨大な地響きに似た咆哮がこだました。
「ドラゴンが近いのかもしれない」
ジエルは辺りを見渡した。遠くの世界がだんだんと具体性をなくしていくのがわかった。列車の時と同じように、ここを離れるのが近いらしい。おそらく、ぼくの過去生の老人が浄化されたからだろう。
「帰るのか。ありがとう」と、老人は謙虚な目で告げた。ぼくは老人と握手をした。
ふと、高台に別の気配が現れた。文字通り瞬間移動して、この場に男性が現れた。
彼は年齢的に四十代の半ば、長い黒髪と自信に満ちた端正な顔立ちで、グレーのローブを着て、様々な金の装飾を身につけていた。右手には、水晶のついた杖を持っていた。直感的に、すぐにルシファーだろうと思ったが、その通りだった。
「誰がわたしの名を口にしているかと思えば、惨めな師匠でしたか。まだ生きてらっしゃったんですね」
ルシファーは微笑み、ぼくらに向けて手をかざして、深く呼吸した。
「ふむ。別の次元から来たと思われる存在が三体……」
老人が歩み出た。
「ルシファーよ、お前が間違っていたことが証明された。彼らは未来から来た。彼らがいうには、お前は闇に堕ち、世界を滅ぼすことになる」
ルシファーは反射的に杖を振りかざし、老人は苦しみながら宙に浮いた。念力で持ち上げているようだった。
「わたしの名を気安く呼ぶんじゃありませんよ!」
「おい、やめろって!」と、ぼくはなんだか、ルシファーが気に入らなくて、怒り口調でいった。
「あなたがたが何者であろうと、わたしには関係ありません。わたしに従うか、わたしの敵になるかです。世界を滅ぼす? 上等ではないですか!」
ルシファーには人並み外れた力があるだけでなく、権力者や悪魔がついているという絶対的な自信があった。
「そんなお前も捨てられるんだ!」と、ぼくがいうと、ルシファーはきっとにらんだ。そして、杖を振りかざすと、ぼくも首を吊り上げられるように宙に浮いた。ジエルが助けようと、ルシファーに向かっていくが、簡単に弾き飛ばされてしまった。
アンが横から、「怒り、憎みなさい! 『破滅』の力を相手にぶつけるのよ」
しかし、初めて会った相手や、住んだこともない文明だ。怒りや憎しみをぶつけるには理由が足りなかった。
「わたしに刃向かえばこうなるのです。あなたがたにできることは、わたしにひれ伏し、救いを嘆願するだけです」
ルシファーのオーラのなかに、悪魔らしき黒い影が数体見えた。ぼくの意識が遠のくなか、うっすらとアンも黒い影に覆われ、黒い翼のようなものが見えたかに思えたら、ルシファーの杖の水晶が粉々に砕け、ぼくも過去生の老人も、ドサッと下に落ちた。
驚いているルシファーの顔が見えたが、呼吸が回復しておらず、意識がもうろうとして、はっきりと見えなかった。アンは、元通りの中学生の姿で、ルシファーの前に出て行き、彼についている悪魔と話しているようだった。
「エイリアンらともつるむ下等な悪魔たちめ、消えなさい」
「おれたちはお前よりも仕事をしている」
「偉そうな顔をするんじゃない」
「あんたたちは泥棒のようにどこにでも侵入しては介入する。今、この次元にまで介入してきてるわね」
「うるさい! 手柄を独り占めしようとするな」
「ルシファー、その女を捕らえろ」
ごちゃごちゃとした言い合いが続いたのち、ルシファーがアンを羽交い締めして、背後の悪魔たちがいるオーラの中に引きずり込んだ。ぼくは身動きが取れず、悔しくてたまらなかった。ルシファーのまがまがしいオーラは小さくなり、そのまま消えた。そして、ぼくと老人、ジエルが高台に取り残された。
「はぁ……はぁ、アンが連れてかれちゃったよ」とぼくはうめいた。
ジエルは、「大丈夫だ……。アンがいなくなったら、こっちとしては好都合だ」とぼくを介抱しながらいった。その言葉を聞いて、胸がきゅっとなった。
老人がぼくに近づいた。
「わしの未来生よ……愛を知り、自分を愛し、世界を愛するには悠久の時間がかかりそうだ。ともに実践しようではないか。そして、いつか神に会おう」
ぼくは、しばらく間を置き、「ぼくは、ぼくらは神様に会えました……」と教えると、老人はしみじみと、「そうか……では一直線だったわしらは、円環となって閉じられるだろう。これからいつでも会えるようになり、すべての魂の人生たちが旅の完了を知るだろう」
ぼくには、なにをいってるのかわからなかったが、少し誇らしく思えた。
「愛に目を向けなければ、愛を体験することはできない」
そう、老人は言い残し、老人もアトランティスも消えていった。遠くから、ドラゴンの咆哮が聞こえ、夢に落ちるかのように意識をなくした。




