第八章「闇に堕ちたぼく」
男を縛り上げるまでに、ぼくとジエルは、これまでのいきさつをアンに説明した。しかし、なぜぼくの過去生がぼくを殺そうとしたのか、なぜジエルがこの男に殺されたのか、わからないことだらけだった。
男が意識を取り戻すと、ぼくらの尋問に対して、口を開いた。
「おれは生まれたときから貧しく、生きていくためには汚いこともしなくちゃならないし、抜け目なくやってかなくちゃならなかった。心の中の声は、人を愛せ、自分を赦せなどいってくるが、何の解決にもならなかった。反吐が出るほど嫌っていたら、そんな声も聞こえなくなっていった。そんなとき、ある女性に出会ったんだ。そう、あんたに似た美人だった」
男はアンを見た。
「その女性のいうことを聞いていたら、仕事も見つかったし、嫌な奴もいなくなった。ちょっとは幸せを感じられる人生になった。胸のうずきはまだあったが、もっと復讐すれば消えると彼女はいった。おれは、復讐するために生まれてきたんだと思う。愚かな人間たちに目にもの見せてやることで、おれは生きてていいという価値を得たんだ」
ぼくらは重い空気のなか話を聞いていた。
「その女性は、悪魔だろうな」と、ジエルがいった。
「さぁ。人をそそのかす人間だってたくさんいるし」と、アンは反論した。
ぼくは重い口を開いた。
「ぼくって、神様に出会えたし、目覚めたとか悟ったっていわれていい気になってたけど、そんなに遠くない過去生で、こんな犯罪者で殺人者だったんだ……」
「うるせぇ!」
男は不快感をあらわにして、縛られた状態で足で蹴ってきた。
ジエルが間に入った。
「いや、人間の転生において、闇に堕ちることはよくあるし、そうした人生は貴重だ。憎しみの人生、貧しさの人生、復讐の人生、そうした経験は、愛を知るためにどこかでたどらないといけない」
アンが笑った。
「天使の一族は、学びや成長を大事にするけど、カルマを背負って、同じことの堂々巡りばかりしてる!」
カルマとは、前世で悪いことをしたら、次の人生でその清算をしなければいけないというものだが、アンがいうには、学ばないといけないという真面目さで勝手に背負うだけで、執着しなければカルマは簡単に消すことができるという。つまり、人生において悪いことをしたら来世に渡るまで償いをしないといけないという真面目さとは裏腹に、そう考えなければ背負うことはないということだ。
ジエルは、人の罪悪感がカルマを背負う要因になると認めつつ、「カルマは愛と赦しによって消える」と主張した。
それに反論するようにアンは、「人を殺しても、物を盗んでも、罪だと思わなければカルマなんて背負うことはないわ」と冷たくいった。カルマがいいものだとは思わないけれど、悪い行いを肯定することはできないなと感じた。
列車は消えることなく、男は目の前にいる。自分が何かをしなければいけないということは感づいていた。
「ぼくくらいの年の、金髪の男の子を刺したのはあなたでしょ? どうしてそんなことをしたんですか?」
「それは知らない。こんな格好で車内をうろちょろできるわけがないし、人を刺せばすぐにばれる」
そういって、石炭に汚れた作業服をアピールした。気づくと、ガヤガヤとした雰囲気と乗客が戻っている。車掌がのぞき込み、「どうかしたんですか? 何の騒ぎですか?」と聞いた。
男は、「こいつらに縛られたんです。助けてください!」と懇願し、ぼくらは事態を飲み込めないまま、男のロープを外されてしまった。そして、車掌は男を連れて行こうとした。
アンはおもむろに車掌の肘をつかんだ。
「犯人はこいつね」
車掌は、困惑と怒りの表情を浮かべた。
「なんなんですか? 次の駅で警察に突き出しますよ」
「わたし、あんたたちが大嫌い」
アンが車掌の腕をねじると、車掌は叫び声を上げ、顔が人間ではない、緑色の異様な容貌に変わった。アンは、ジエルの手から短刀を取り、躊躇なく車掌の胸に刺した。ぼくは、ただただあっけにとられていた。また、車内から乗客が消えた。列車が走る音も消え、車両が虚空に浮かんでいるようだった。
アンが短刀を放り捨てると、その短刀も消えてなくなった。
「どういうことなの?」と、ぼくは震えながら聞いた。
ジエルが緑色の人間とは思えない生き物を見て、納得した顔になった。
アンは答えた。
「天使、悪魔、人間以外に魂を持つ存在がいるんだけど、それがエイリアンと呼ばれる連中。14万4千の魂のなかには、地球での実験自体を嫌って、妨害する存在をつくったり、地球とは関係なく好き勝手に創造活動をしている連中がいるのよ。それが、人間たちがいうエイリアン。こいつらは妨害したり、介入したりするいけ好かない種族よ」
エイリアンについて深く考えたことはなかったけれど、合点のいく説明だった。
「こいつの種族は、人間に転生はしないけど、人間に化けることができるの。たぶん、あなたの過去生にまとわりついて、悟りの邪魔をしてたんでしょ」
ジエルが、「なるほど」といった。
「そうか、この時代は、ぼくも劇作家志望として人間に転生してたし、ガイドも手薄だったんだろうな」
機関士の男は、わなわなと震えた。
「ちょっと待ってくれ、おれを救ってくれた女は、こいつだったっていうのか?」
「たぶんね」とアンは言い放った。
ぼくは、男の過去生を思い出した。数々の生涯の中でも、ひときわ振り回された。自分を見失い、犯罪を犯し、自分を責め、神を呪った。最後は自殺だった。石炭で灼けた短刀で自分を刺して死んだのだ。そのとき、もう二度とこんな苦しみを経験しませんようにと願った。そんな記憶を思い出すと、涙が出てきて、止まらなくなり、胸が熱くなった。
「あなたのおかげで……あなたがたくさんの闇を経験してくれたから、ぼくは悟りに達することができました。ぼくのすべての輪廻のなかで、あなたほど神に近づけてくれた人はいません……」
彼は、誇らしそうに微笑んだ。
「ありがとう。救われたよ」
そういうと、キラキラと光りだし、彼の汚い身なりも美しいシルクの服に包まれた。そして、列車も光り始め、ぼんやりとした曖昧さのなかに包まれ始めた。
「いけない! おれの身体! おれはまだ復活してない!」
ジエルはそう叫んで、自分の遺体を探し始めた。
アンは「もう諦めたら?」と、ぼくの手を握って引き留めようとしたが、さすがにその手を振り払って、ジエルの身体を探して車内を走った。
細かい装飾が消え始め、列車全体がリアリティーをなくしていく。ジエルは立ち止まった。劇作家としての彼も消えようとしていた。
「終幕が近い。何も起こらず、劇が終わることはありえない。信じて」
その言葉は青年のもので、ジエルの魂も彼の身体にいられなくなったようだ。
ぼくは深呼吸して、ぐっと目に力を入れた。すると、目の前にベッドに寝かされたジエルの身体が現れた。ぼくは、さっと駆け寄った。
「どうすればいい?」
周りを見たが、誰もいない。宙に浮かぶ、曖昧な空間のなか、かろうじてベッドの上がリアリティーを保っているようだった。
ぼくはジエルの身体に触れ、内奥の『愛』の手形に向けて祈った。必要なのはただそれだけだった。ジエルの刺された傷は消え去り、意識を取り戻した。ジエルは起き上がり、ぼくを賞賛する涙をたたえ、笑顔を浮かべた。
空間はさらにおぼろげになり、無重力となり、ぼくらは身体のバランスを崩し、宇宙に投げ出された。ぼくは脳が麻痺するような眠気を感じて、そこから意識は遠のいた。




