第七章「過去生の列車」
リズミカルな振動と音が心地よく感じられ、気づくと、ぼくは列車の中にいた。外は暗く、どこなのかわからない。横では、アンが眠っていて、少しひんやりとした体温が感じられた。ジエルの姿はなかった。
列車の中は、時代を感じさせる装飾と赤いベルベットの座席が目に入り、乗客は西欧系の外国人で、身なりはよく、気品があった。ふと、自分の服装を見ると、珍妙な格好で、やたらとフリルのついた白ワイシャツに、おばあちゃんちにあったカバーのような厚めの緑色のジャケットを着ていた。驚いて、横のアンを見ると、アンの洋服もフリルと装飾だらけのゴテゴテした服になっていた。「ハリー・ポッター」の映画の影響なのか、これもまた前世に関わることなのか、この時点では不明だった。
車輪を削る甲高い音と、蒸気の噴き出す音がけたたましく聞こえ、列車は速度を落として、どこかの駅に停車した。
「リモース・ステーション!」という、駅員の声が聞こえた。そして、その後、乗客の行き来が続いた。英語圏であることは間違いなく、古い英語を耳はキャッチしているのだが、頭の中ではしっかりと日本語で意味が伝わっていた。
一回り年上の青年が、ぼくらの目の前の空席を見て、軽く会釈をして、座った。身なりはそこそこ身分が高そうだが、ところどころシャツには黒いシミやこすったあとがあり、清潔な感じはしなかった。直感的に「自分だ」とは思わなかった。あまり似ているとは思わなかったからだ。
列車は動き出し、彼は、革のカバンから、原稿を取り出して、ため息をついた。それは一見して戯曲のようだった。彼がぼくに向けて、語りかけてくるまで時間はかからなかった。まるでボタンを押すと台詞がロードされるシミュレーションゲームのように、彼は話し始めて、その古い英語は頭の中で日本語に変換された。
「シェイクスピアを尊敬しているというから、シェイクスピアのような作品を書いたのに、古くて時代に合わないといってくる。世間はまるでぼくのことを評価しない」
彼は劇作家のようだった。
「今度は思い切り、”新しい”作品を書いてやった。すると、荒唐無稽だと笑いやがった」
ぼくは、彼が持っている原稿を指して、「それはどんな作品なんですか?」と聞いた。日本語で喋ったつもりだが、問題なく通じた。
「これは“新しい”作品さ! 二つの時間を交差させながら物語は展開されるんだ。観客はもちろん混乱するが、時間のマスターが現れて、観客は終盤でどちらかを選ぶことができる。そこから時間は逆行する。観客が選んだ時間をさかのぼりながらたった一つの時間が演じられると、最終的にすべてが理解できる、という仕掛けさ。絶対に上演すれば、ぼくは有名人になれるのに!」
現代のぼくから見ても、斬新に感じる構想だった。
「確かに、時間は順序通りにすべきで、場所も一カ所にすべきだと演劇界には、いろいろとセオリーやルールがある。しかし、そんなのつまらないじゃないか」
すごく情熱的だった。ぼくらはセオリーやルールを当然のように守ろうとしている。全国共通の学習指導要領に従って勉強し、出題範囲のわかってるテストで高得点を取れば優秀だと見なされる。大人がいうことから外れたことをすると、問題扱いされる。良い行いをすれば褒められる。けれど、それは誰かが作り上げた社会規範に過ぎない。そして、セオリーやルールは増える一方で、増えれば増えるほど、生きづらくなる。
「そんなの滅んだらいいのにね」と、ぼくはつぶやいた。
その瞬間、アンが目を開けたように感じた。窓の外に稲光が走るのが見えた。
彼は、ぼくの意見に同意し、「古いものが滅ばないと、新しいものは生きていくことができないよ」といって、ふてくされるように寝てしまった。
アンが身体を起こした。
「その服、似合うよ」と、ぼくは嫌な予感をはぐらかすようにいった。
「悪魔の一族が一定数いるからこそ、滅びの先に新しいものを創造できる余地が生まれるわ」
ぼくはなにもいえなかった。
アンは、さっきまでの話をずっと聞いていたかのように、青年を見ながら話を続けた。
「演劇の世界で描かれているのは、裏切りや別れや、死といった悲劇よね。喜劇でさえも、失敗や失恋などが描かれてる。なんでかわかる? ハッピーでうまくいくだけのお芝居なんて誰も興味がないのよ。『破滅』がいかに、人間たちが欲してるものかわかる?」
ぼくは、この会話が青年に聞こえていないかドキドキしながら、その意味をかみしめていた。
「だけど……世界が破滅してしまったら、人間たちもいなくなるでしょ?」
「実験場を閉じるだけよ。わたしたちが本当の姿のときは、地球以外の領域にいるの。わたしたちが暮らす場所はいくらでもあるわ」
なにをいっているのか、よくわからなかった。
「本当の姿って?」
「簡単にいえば、魂の状態。人間に宿ってるとわからないけど、あなたが知ってる以上の領域があるのよ」
見えない領域に関してはなんともいえないけれど、地球がなくなるのは困る。
「だけど……」
ぼくが口ごもると、アンは耳元でささやいた。
「実験場のために、あまりにも多くの人間の魂が生まれてしまったでしょ。もう、解放してあげないと」
ぼくは耳元から冷気が漂ってくるような寒気を感じた。
「解放したらどうなるの?」と聞いた。
「今、人間に転生してる天使も悪魔も役割を終えて、本来の姿にみんな帰るのよ」
「人間として誕生した魂は?」
「……大丈夫よ、地球よりもはるかに広い、好きな場所で自由に生きれるわ」
一瞬の沈黙が引っかかったが、そう聞いて、ぼくは少し安心した。確かに、ぼくたちの世界は苦しみばかりだから、解放されるなら、最終的にはみんな幸せかもしれない。
アンがおもむろにぼくの手を握ったのでビックリした。アンは、目に涙をためて、こういった。
「わたしたち悪魔はバランスを取ってきたのに、悪者扱いされてきたの。それだけじゃない。わたしたちは天使たちとバランスを取りながら共存する道を歩んできたのに、天使たちはわたしたちを消そうとすらしてる。『愛』だけになってしまったら、わたしたちは存在できないのよ。だから、助けて」
ぼくは混乱してしまった。アンの話を聞いてると、天使が良い存在だとは思えなくなってくる。天使と悪魔という、刷り込まれた昔からのイメージだけで判断するべきではない。
客室内が騒々しくなってきた。列車内でなにか事件でも起こったらしい。車掌が医者を探している。その騒ぎに、青年も目を覚ました。
「なにかあったの?」
「わからない」と、ぼくは答えた。ぼくの心の中で起こることだから、なにか関係があるのではと胸騒ぎがした。
駅員が近づき、「お連れの方が……」と青ざめた顔でぼくに来るように促した。やはりと察して、駅員のあとをついていった。後ろからはアンも劇作家の青年もついてきた。
何両か移動し、個室仕立ての客室に入ると、ジエルが血を流して倒れていた。ぼくは言葉を失った。どうしてこんなことになったのかわからなかった。うっすらと目を開け、ぼくを見ると、その場で息絶えた。誰かに刃物で刺されたようだ。
アンは「あ~あ」とため息をついた。
ぼくはアンを見た。アンは、けだるく、「わたしじゃないわよ。ずっと一緒にいたでしょ」と無言の疑問に答えた。
「ジエルはどうなるの? 現実世界に戻っちゃうの?」
「夢の中にいるとでも思ってるの? わたしたちの肉体は本物だし、この次元も具現化された本物。死んだのよ」
ぼくは驚いて、「え!」と叫んだ。
それから、気がつくと、元の座席に座っていた。周りの乗客は消えている。これは、ぼくが悪魔の思想に傾いたから起きたことなのか、アンがなにかを仕掛けたために起こったのか、偶然事件に巻き込まれてしまったのか、さっぱりわからなかった。天使のガイドがいなくなったら、この旅は絶望的なのではないだろうか。それに、ポータルを開けたのはジエルだったから、ジエルがいないと元の世界に帰れないのでは?
「気を落とすな。犯人を探そう」と、青年はいった。
関係のないあなたにいわれても、と思ったが、周りの乗客は消えているのに、なぜこの青年は目の前に座っているのか、疑問に思った。
「運良く、おれが前に転生した人間がここにいたようだね」
ジエルのそれと似た笑顔を青年は浮かべた。アンは、青年をにらみ、きゅっと唇をかんだ。
「いや~、おれって三回しか人間に転生してないけどさ、この人生では人間世界になじむのがいかに難しいかを痛感したよ。有名になりたかったんだけど、誰も評価してくれなかった。いや、君が共感してくれて嬉しかったといってるよ」
「どういうこと?」と、ぼくは聞いた。
「だから、過去生の自分に、今入ってるとこ。この男の人格は、今は後ろに下がっている」
「そんなことができるの? てっきり死んでしまったかと」
「あ~、死んだね」
「死んだの?」
「死んだ。めちゃくちゃ痛かった~! こんな恐いの何百回も体験してる人間、ホント尊敬するって」
意外に軽い発言ながら、間違いなくジエルの性格だと思った。
「それで、大丈夫なの?」
{なにが? 大丈夫じゃないよ? でも、君が純粋に『愛』を行使できるなら、奇跡も起こせるさ。さぁ、犯人を探しに行こう」
そういって、青年の身体に宿ったジエルは、颯爽と立ち上がった。
「乗客は消えている。このドラマに関係のない登場人物はいなくなった。誰かを見つければ、それは重要参考人だ。さぁ、早く」
ジエルは客室内を歩き始めた。アンは冷たい視線を送ったものの、ついては来なかった。どこを見ても誰も人はおらず、しかし列車は走っていた。
「おれは、アンが仕組んだと見てるんだが」
食堂車両で立ち止まり、コーヒーを飲みながらジエルはそういった。
「だけど、アンはずっとぼくの隣にいたよ」
「他にも悪魔がいる可能性もある。アンがポータルをこっそりと作って、繋いだのであれば……」
ジエルは、やや頼りなさげな目で、食事用のナイフを護身用にポケットに入れた。貨物車両も含め、隅から隅まで見たが、どこにも人はいない。
「おれの過去生がいうに、機関室というのがある」
先頭車両まで行き、ジエルは、機関室に続く重い青銅の扉を開けた。すると、石炭をくべる労働者が一人いた。
「お前が、おれ殺しの犯人だな」と、ジエルは食事用ナイフを構えた。
労働者の男が振り返った。その顔は、驚いたことに、ぼくだった。年齢は40才ぐらいで、血走った目に、無精ヒゲだけど、直感的に自分だとわかった。彼は、分厚いミトンの手で、石炭が燃える炉のなかから、真っ赤になった鉄の短刀を取り出した。ジエルはナイフをポロリと落とし、「逃げるぞ!」とぼくの手を引いて、走り出した。
男は焦るでもなく、短刀を持って、逃げ道のない通路を追ってくる。元いた座席まで来ると、アンが腕組みをして、仁王立ちをしていた。
「『破滅』の力を使いなさいよ」
ぼくは叫んだ。
「どうやって? というか、それいいの?」
ジエルは、「使うなら『愛』の力だ」
ぼくは、即座にそちらを採用したいと思った。
「わかった! どうやる?」
ジエルは目を宙に泳がし、自信なく「抱きしめる?」といった。
「いや、殺されるって!」
男は、石炭で灼けた短刀を突き刺そうとしてきた。抱きしめようとしたなら、絶対に腹に刺されていただろう。なんとかかわしたが、フェンシングのように、狭い通路で狙ってくる。男の目は、ぼくに狙いを定めて、笑みを浮かべて攻撃してくる。
「なにか武器を出現させて!」とジエルが叫んだ。
ぼくは映画で見たライトセーバーをイメージした。すると懐中電灯が出てきた。
「それは洞窟のときに出せよ!」
「そんなこといったって!」
男が襲ってくる。ぼくは懐中電灯を投げつけたが、まったく攻撃力はなかった。
ジエルが窓側に飛び移り、劇作家青年のカバンをつかんでパスした。ぼくは、すかさず盾とした。男の灼けた短刀は、カバンに突き刺さり、大量の原稿用紙のおかげで助かった。カバンの中から煙があがり、原稿が燃え始めた。
「あ~~! おれの偉大なる作品が!」ジエルは叫んだ。
ぼくは、火のついたカバンを男に向けて投げつけ、男がひるむのを見た。振り返って、目の前のアンの肩をつかんだ。
「今だ、逃げよう!」
しかし、小さな身体は彫像のように動かない。
「どいて」
アンはぼくをどかし、男の前に進み出て、空手の構えを取った。そして、手刀で短刀をたたき落とすと、顔面に正拳突きし、男は後ろにのけぞった。すかさず、彼女は渾身の蹴りをみぞおちに撃ち込んだ。
「アン、それ、ぼくなんだよ」と、悲鳴のように訴えたときには、すでに男はのびていた。
「あ、そうなの?」
アンは、平然と乱れた髪を直した。アンが知らなかったということは、なにか裏で仕組んでいたわけではなさそうだ。それよりも、あやうくジエルの言うとおりにしていたら、刺されて死んでいるところだった。恨めしい目で彼を見た。




