第四章「次元ポータル」
ジエルは夕焼けを見ながら学校の屋上で「悪魔との接吻は一番やばい」とうめいた。「どうして、そうなる前に阻止できなかったんだろう」。
ジエルは、今の肉体に転生するまではほとんど人間になったことのない天使で、人間をサポートする任務を最初から持っていた。神様に記憶を戻されたことですべて思い出したそうだ。人間としての人生が十四年しかないので、思い出すのも容易だったそうだ。天使の記憶に目覚めてすぐはそれなりに中二っぽさが残っていたが、凜とした頼もしさを感じられるようになった。
ぼくも、遙か遙か昔、人間としての旅を始める前は、天使と同族だったそうだ。人間としての転生の旅を始めてから約4万年、人間としてしか生きていないので、天使の記憶は当然なく、人間の人生を断片的に思い出せるだけでも特殊だといえた。
そんな話をしていたときに、アンも話題に入ってきた。
「わたしたち悪魔の一族も、多くが人間として転生してるわ。だから、戦争はなくならないし、飢餓・差別・殺戮・暴力・詐欺、いろんなものがあるでしょ」
なるほど。そういうことだったのか。
「人間が愚かだからそういうのがあるんだと思ってた」と、ぼくはいった。
「ううん。愚かだからよ。天使や悪魔の一族は全部数えても14万4千しかいない。それ以外の何十億という魂は、あとから生まれた人間系譜のものたち。彼らは、時代に流され、社会に流され、善にも悪にも容易に流される。流されたものたちが、集合意識をつくってるのよ。つまり、わたしたちはほんのきっかけを作っているだけ」
ジエルはなにも否定せず、補足を加えた。
「人類の歴史は、天使と悪魔の綱引きさ。光と闇の勢力争いといってもいい」
ぼくは疑問をアンにぶつけてみた。
「どうして悪いことをそそのかすのさ。なんの得があるの?」
アンはやや軽蔑げに微笑んだ。
「悪いことねぇ。いっとくけど『破滅』がなければ、創造はあふれかえるだけよ。人や動物が死ななくなったら地球はどうなると思う? お金を失う怖さや飢える恐れがなくなったら、愚かな人間たちはどうなると思う?」
ぼくには、怠惰でぶくぶくに太った人間たちがゴミと一緒に山盛りになってるイメージが浮かんだ。
「破滅や死がなければ、生命は醜く膨張するのよ」
ジエルは神妙に聞いていた。ぼくは、聞いた。
「じゃあ、悪魔がバランスを取ってきたの?」
「そう!」
アンは胸に手を置いて、自信を持って答えた。
「創造主は、ビッグバンによって、拡大膨張するしかない宇宙を創ってしまったの。もし、滅び、無に帰す力がないと、宇宙はバランスが取れなくなる。そうでしょ? ビッグバンのときに生まれた14万4千の魂は、二手に分かれたわ。バランスを取るために闇の力が必要だというものたちと、どこまでも創造できるのだから問題ないと考えるものたち」
ぼくはピンときた。
「それが、天使と悪魔なんだね」
「そう! そして宇宙の中に小さな星を創って実験場にした。それが地球」
ぼくは驚いた。地球が実験場だったなんて。アンは更に続けた。
「天使は創造を支持する。それが『愛』の本質ってこと。悪魔は創造を否定する。それが『破滅』の本質よ」
ぼくはジエルを見たが、なにも否定しないので事実なのだろう。ジエルは、意見を求められたと思って口を開いた。
「宇宙は途方もなく広い。どこまでも広がって大丈夫なんだよ。君だって、すべての人が豊かで食べるものも無限にあり、時間も無限にあり、お互いに愛し合えるほうが幸せだろう?」
アンはすかさず口を挟んだ。熱く、こう主張した。
「地球だって、最初は広くて、限界なんて見えなかったでしょ。それが今は人口も増え、奪い合いを続け、ものがいくら増えても幸せにはならない。悪魔と偏見の目で呼ばれるわたしたちは、もう結論は出たと見ている」
ジエルは、アンの前に立ち塞がった。
「それで、結局どうしたいんだ、君たちは?」
アンはほくそ笑んだ。
「世界の破滅と地球での実験の終焉」
シンプルにいうならば、ぼくとジエルとアンの三人がドラゴン探しの旅に出ることになった。天使と悪魔を連れて、旅に出た人間は人類史上初ではなかろうか。明らかに邪魔してくるであろうアンが一緒にいるのは不思議なものだが、ジエルは仕方がないという表情だった。ぼくは、なんだかんだアンを好きだという気持ちが残っていて、正直ドキドキして嬉しかったのだが、ぼくの魂はさぞや嘆いてたことだろう。
数日後の満月の夜、ぼくらは学校の屋上に集まった。ぼくはがっつりと旅行支度で、下着やスマホの充電器、ノートに筆記用具などをリュックに詰めた。ジエルとアンは、いたって軽装だった。いくらかおしゃれしてるくらいだった。
ぼくは、二人の話に対する疑問や、整理のつかないもやもやを抱えていたが、天使と悪魔の両勢が、延々と考えてきたほどのことなら、ぼくが考えてすぐに明快な答えが出るわけもなかった。
しかし、起源となる14万4千の魂があるなら、ぼく一人たいして重要ではないのは明白で、ぼくの魂には悪いけど、わざわざ旅に出るほどではないのではと、それとなく申し出てみた。
何時間も瞑想して、異次元の扉を開けたところのジエルは、悲鳴のように声を上げた。
「は? なにいってんの? おれ、こんなにがんばったの千年ぶりくらいなのに、今になってそんなこという? 慣れない人間の身体で、ポータル開いたの表彰ものだよ!」
ぼくは申し訳ないような困惑した表情を浮かべた。アンは笑っていた。
「君、事の重大さをわかっていないんだな。というか、なにも聞いていないし、なにも思い出していないのか」
ジエルは呆れた感じで、頭をポリポリとかいた。
「人間として転生してきて目覚めた魂はめちゃくちゃ貴重なんだよ。奇跡なんだ」
「目覚めた?」
「違う言い方をすれば、悟りね。人間を数多くやればやるほど、創造主から生まれた最初のメンバーである記憶を失い、もう人間であることから逃れられなくなる。けれど、魂はいつか帰るという古の約束を忘れず、神を探し続けるんだ。そして、ごくごく稀に、旅の果てに神と再会し、人間のまま『愛』を受け取り、『愛』の伝道師となる。イエス・キリストでさえ、君ほど人間をやってきたわけじゃなかった」
まさかキリストの名まで出てくるとは、平凡なるぼくには頭がついていかない壮大さだった。
「人間として生きた経験が長いほど、人間世界で影響を与える力が大きくなる。これ、重要。逆に言うと、おれみたいに人間としてほとんど生きていない天使や、まったく生きていない神は直接的に影響を与えることはできないんだ。なぜなら存在している次元が違うからだ。君は、人間の次元にフィットできる超超レアな目覚めた魂で、はっきりいってブッダやキリスト以上に影響力を持つかもしれないんだ」
ただただあっけにとられた。
「君は、神の喜びであり、天使たちの悲願だ! これから『愛』を行使し、地球と人類の救世主になるはずだった! ……が、悪魔にやられちゃったなぁ……」
ジエルは急にがっくりときた。
「ちょっと待ってよ。そんなにとんでもなく大事なことなら、アンにキスされる前になんとかならなかったの?」
ジエルとアンは、そろって肩をすくめた。
「いや、だから、おれら直接影響を与えられないんだよ……」
ジエルは情けないようにつぶやいた。アンは前に出た。
「ま、わたしも人間として生きた経験が短い悪魔だけど、悪魔は誘惑したりそそのかしたりするのが得意だからね。わたし一人で世界を破滅させられるならとっくにそうしてるって」
ぼくの理解が正しいならば、今人類が生き延びるか破滅するかの瀬戸際に立っていて、ぼくはそのキーになるということだ。ぼくの魂は、重大な責務に震えているようだが、ぼく自身はどこまでいっても現実感が感じられなかった。
ジエルが、早くしないとポータルが閉じてしまうと焦らせた。学校の屋上に浮かび上がった光る曼荼羅。光る魔法のカーペットに乗るような感じで足を踏み入れた。ぼくが中心に立つと、曼荼羅は激しい光を放って回転し、ジエルとアンを包み込んだ。それは温かく、夢見心地にさせる光だった。




