第十三章「不死鳥」
ぼくは学校の屋上にいた。ジエルがつくった魔方陣が飛び散るように空間に消え、ぼくとジエルとアンは、出発のときの服装でそこにいた。あまりに元通りの光景なので、夢だったのかと期待したが、現実だった。
ジエルがすがるような目で、「神から伝言があった。不死鳥を探して、『愛』の手形を復活させよう。それだけが最後の希望だ」と、余力を振り絞るようにぼくの手を握った。
アンが、笑顔で「悪魔の王、サタンからも伝言があったわ。大変お喜びよ。わたしが手助けをするから、一緒に地球の実験を終わらせましょう」ともう一方の手を握った。
ジエルがアンをどついた。
「ふざけるな! これ以上邪魔するなら、おれが堕天使に堕ちてでも、お前をここで殺す」
ぼくは突然、こらえきれなくなって、泣き始めた。
「ごめん! ぼくがこんなだから……!」
アンは冷たくジエルを見た。
「もう、あなたたちのおもちゃじゃないのよ。行きましょう」
アンはもう一度ぼくの手を握り、引っ張った。ぼくは重い罪悪感を抱えながら、そのままアンに引っ張られていった。ジエルは、捨てられた子犬のように、ぼくらを見つめていた。
それから、ぼくはどれだけの時間をアンと過ごしただろう。家には帰らず、まるで犯罪者が潜伏しているかのように、小さなマンションで二人で暮らし始めた。アンは、悪魔だということを時折忘れるくらい、あどけない十四才の姿を見せ、楽しくて、幸せだった。逃げようとしているのはわかっていたし、守護霊や守護天使に見られていることも想像がついた。一生懸命、考えないようにしたり、気を紛らわせようとする日々だった。
ニュースで、大地震や森林火災、経済破綻のニュースが流れるたびに、自分の『破滅』の力が関わっているのではと恐くなり、スマホも見なくなった。
ぼくは抜け殻のようだった。
ぼくは、いつかアンと結婚できるか聞いた。
アンは、「世界を滅ぼす日が来たら」といった。つまり、結婚しても、幸せに暮らすことなどできないということだ。おそらく、肉体を失い、彼女は悪魔、ぼくは堕天使として、仲良くやるのだろう。
ぼくが世界を壊してしまうなら、幸せな生活などできようもなかった。幸せな生活のためには、友達がいたり、暮らす家があったり、食べにいくレストランがあったり、美しい夜景があったり、家族を愛する時間が必要だろうから。
そう考えると、絶望的になにもない。今、こんなに罪悪感があっても、日常に幸せを感じられるのは、佐藤アンという人間がいるからだし、スーパーや食べ物や、寝る布団があるからだ。
それに、そもそもアンはぼくを、地球を破滅させるための救い主として見ているわけで、ダメ人間のぼくのことはちっとも愛していないだろう。ちっとも見えていないだろう。きっと、『破滅』の力に目覚めるまで、演じているだけに過ぎないのだ。自殺しないよう餌を与えながら、ぼくの奥底で『破滅』の力が育つのを待っているんだ。
ある晩、食事をしながら、ぼくはいった。
「ぼくは、アンのことを愛してるよ」
アンは箸を止めた。
「人間がやってるごっこ遊びのような愛も楽しいものよね。別れたときの悲劇を増幅させるもの」
ぼくはなんとか説得できないだろうかと考えていた。
「ぼくは、アンが人間としても幸せになってくれたらと思うし、ぼくはアンの悪魔の部分も愛せたらと思ってる」
アンは首を傾けた。
「天使たちは、愛は無条件に与えるものだというわ。もしあなたが、無条件にわたしを愛し、なくなった愛を創ろうともがくなら、破滅の力で苦しむだけよ。あなたにはまだまだ人間の部分がたくさん残ってる。けど、じきになくなっていって、破滅が自然なことだと思えるようになるわ。それまで、好きに人間を楽しんだらいい。そのうち、人間であることに未練がなくなって、人間たちがいなくなってもどうでもいいと思えるようになるわ」
しばらく沈黙が続いた。
「アンはぼくといて、幸せじゃないの?」
「わたしの幸せは、あなたが破滅の王、生ける死神として成長するのを手助けすることよ。そのために望むものはなんでも与えてあげる」
ぼくはなにも味がしない食事をなんとか終えた。
その晩もぼくはアンと一緒に寝たが、アンはいつものように冷たく、美しかった。
翌日、ぼくは、アンからも逃げたくなり、家出をした。
街をただ歩いた。丘に登った。夕日を見た。
このまま死んでしまっても、全然よかった。ぼくは魂のすべての人生のなかで、最も愚かで、最も未熟な人間なのだ。そんな人間が、最後のアンカーになってしまった。ゴールできなくなり、みんなは応援するしかできなくなり、ぼくはもうゴールも目指さなくなってしまった。
しかし、死んだら、作戦会議室にいた存在たちと会うことになるだろう。それは死ぬよりも嫌なことだ。死にたくても死ねない葛藤があった。
この『破滅』の力で、自分の存在そのものがすべて消えてしまえばいいのに。そう考えるだけで、近くにいた鳥たちは逃げだし、植物は生気をなくした。はっとして、顔を上げ、変わらない空を眺めた。
丘から見る、遠くの夕日はなおも綺麗だった。青い空ににじむオレンジ色のグラデーション。地球は涙が出るほど美しい。
夕日のなかに黒い点が現れ、徐々に鳥の影だとわかった。それは次第に大きくなった。ぼくのほうになにかが近づいてきた。ゆったりとした羽ばたき、孔雀のように広がった尾、足には人がぶら下がっていた。
姿形がわかるようになってきて、なぜかぼくはこらえきれず感動してしまった。
それは不死鳥だった。オレンジ色に輝く気品のある身体。広げた両翼は十メートルほどとなり、ぶら下がっている人間はジエルだった。ジエルは手を振った。
「おーい!」
不死鳥は丘に降り立った。ジエルは着地時に転んだが、すぐに立ち上がり、ぼくと抱擁した。
「つらかったろう、ごめんな!」と、ジエルはいった。
「なにをいってるんだ、ぼくは……みんなを裏切ったんだよ」
「苦しみこそ、人間の歴史だろう。おれらは呆れるほど見てきたよ。そして、それでも人間をやり続ける君たちを誇りに思ってきた。さぁ、不死鳥だ。ここに至るまで、一本の映画が作れるくらいたくさんの協力が実はあったんだけど、今はいいだろう」
ぼくはまた泣いてしまった。
「おいおい、不死鳥が実体化してられる間に、『愛』の手形を復活させようぜ。悪魔たちの邪魔が入る可能性だってあるんだ」
「うん」
ぼくは、ジエルのガイドに従い、不死鳥の瑠璃色の目を見つめて、「ドラゴンに焼かれた『愛』の手形を復活させてください」と依頼した。すがるくらい真剣に、依頼した。
すると、ぼくの胸の奥で灰と化していた『愛』の手形がオレンジ色の光を放ち、燃えながら元に戻っていくのを感じた。
ジエルは心底安心して、丘に座り込んだ。そして、守護霊や守護天使らと通信しているのか、ブツブツと喋りはじめた。ぼくは、胸の中の愛に満ちた温かさにうっとりとしていた。
不死鳥は役目を終えて、飛んでいった。
ジエルは、ぼくがアンと一緒に逃げたことを一言も責めず、ドラゴンは不要なものを焼き払い、不死鳥は必要なものを復活させる存在で、同じような機能は人間の創造の中にもある、という話をした。そのうちに夕日もかなり落ち、疲れ果てたジエルと別れた。ジエルがポータルを作れるくらいまで回復が必要で、回復したらドラゴンをまた目指すことになった。
ぼくは、自分の家に帰ることにしたが、家に帰る前に、アンと暮らすマンションに寄ることにした。『愛』の手形のおかげで、恐れはなかった。いや、正確に言えば、思考が止まっていたのかもしれない。
部屋に戻ると、そこはもう何年も誰も住んでないかのようだった。アンの姿もなく、すべてが生気をなくし、廃れてしまったようだった。触れば崩れ落ちそうなくらいのはかなさだった。
「アン……?」
小さな声で呼んだが、応答はなかった。アンを失いたくなった。それぐらい好きだった。が、『愛』の手形を取り戻したということは、アンや悪魔たちを裏切ったということだから、彼女が目の前から消えてしまっても不思議ではない。
とても悲しかったが、涙は涸れ果ててしまったのか出てこなかった。
神様から贈られた『愛』は、アンを好きだという愛とはきっと違うのだろう。きっと思春期の一時的な恋心に過ぎないよというだろう。だけど、ぼくはアンを大事に思い、一緒にいたいと思っていた。
布団の上に座って、ずっと考え込んだ。『愛』も『破滅』も、どちらもぼくには大きすぎて、地球の運命を決められる覚悟も責任もない。魂は、ずっと旅を続け、目指してきただろうけど、ぼく個人の人格としては、とてつもなく大きすぎるのだ。
きっと、ぼく個人の人格がなくなれば、魂は喜んで『愛』を携え、神様と一緒に無条件の愛を世界に与え続けるのだろう。『破滅』の力で、ぼく自身を消すことができないだろうか? そんなことも考えた。そうすればすべてがうまくいくだろう。
布団に寝転び、いつしか寝てしまった。
夢の中で、ぼくは過去生たちの行列を見た。一人ひとり、笑顔でぼくに感謝を述べたり、握手したり、ハグしたりした。過去生たちは、解放されたことを喜んでいるようだった。そのなかでぼくだけが浮かない顔をしている。ぼくは、自分の姿の異変に気づく。身体が黒くなっていき、黒い翼が生えてくる。一生懸命隠そうとするけど、過去生たちに見つかり、彼らはぼくから逃げていく。ぼくの姿は大きくなり、ぼくは涙を流しながら、彼らを襲うのだ。ぼくのなかの『破滅』の力が覚醒する。ぼくは、襲うのを止めるために、遂にその力を自分に向ける。そこで目が覚めた。
ぼくは決めた。ドラゴンに焼き払ってもらうのは、『破滅』の手形だけじゃない。自分自身だ。一番不要なのは、自分自身だった。しかし、そのことはジエルにいってはならない。守護霊や守護天使にも気づかれないように、心の奥底にその思いをしまった。




