第十一章「ドラゴン」
光の回廊を逆戻りして、歩ききると、ドラゴンの神殿に繋がる光の扉にまできた。扉を抜けると、まったく同じ洞窟が広がっていた。空気は重たく、ドラゴンの寝息が反響している。
愛と勇気。目に見えないものを携える感覚はないが、あれだけたくさんの存在が味方をしていると思えば恐怖は和らいだ。それどころか、ドラゴンと仲良くなることだってできるのではないか。
ぼくは止まることなく神殿の階段を上っていった。階段を上っては、平らな踊り場を歩き、また階段を上りということを繰り返し、最上部に来た。ジエルは後ろからついてきた。そして、神殿のたいまつの炎に照らされた、ドラゴンの全身が見えた。丸くなって寝ているものの、すでに象よりも三倍はでかかった。赤黒い巨体に、折りたたまれた翼、角のある巨大な頭。眠ってはいるが迫力は十分だった。
ぼくとジエルは、ドラゴンの前に立った。すると、ドラゴンの目が開いた。
ジエルは、「大丈夫だ。恐怖に負けていない。そのまま、『破滅』の手形を焼き払ってくれるようお願いすればいい」と小声で助言した。
そのとき、「助けて!」と、アンの叫び声が聞こえた。
「アン?」
アンの姿を探した。回り込むと、ドラゴンの背後に祭壇があり、祭壇の上部に磔にされたアンがいた。祭壇の横には、ルシファーが立っていた。
ルシファーは、「この女を助けたければ、いうとおりにしろ」と警告してきた。
アンはぼくに向けて叫んだ。
「『愛』の手形を焼き払って! そうすれば、わたしはあなたと一緒に帰れる」と、涙ながらに訴えてきた。
ジエルは、ぼくの近くに駆け寄り、「落ち着け。罠だ。恐怖心を感じているならばドラゴンに攻撃される。アンは演技をしているだけだ。無視して、『破滅』の手形を焼き払ってもらうよう依頼しろ」
「でも、アンはどうなるんだよ?」とジエルを見た。
「あいつは悪魔だ。邪魔することしか考えていない」
「だけど、アンはルシファーについてる悪魔たちを嫌ってた。協力するのはおかしいよ」
「おい、動揺するな」
ドラゴンが身体を動かし、うなり声をあげた。
気持ちとしては、アンのことを助けたい。アンに対して想いがあるのは明らかだった。しかし、『愛』の手形を焼くことがどれほど悲劇的な結果となるかは理解しているつもりだ。ぼくはドラゴンの前に進み出た。
「ドラゴンよ、『破滅』の手形を焼き払ってほしい」
アンは叫んだ。
「ひどい人! 愛なんて見せかけじゃない。わたし、あなたのことが好きだったのに!」
胸が締め付けられた。
ルシファーはドラゴンの肩に飛び乗り、こういってきた。
「少年よ、わたしの『破滅』の力を使ってこの女を殺したらどうなるかわかるか? 魂まで破壊され、もう二度と再生されることはない。永遠の無をさまようことになるのだ」
その言葉の恐ろしさに身じろぎした。アンは、今の佐藤アンの人生を失うだけでなく、もう輪廻転生もできなくなるのか。悪魔としても存在できないのか。真偽はわからないが、それは恐ろしいことだった。
ドラゴンは邪魔をするなといわんばかりに前足を立てたので、ルシファーは飛び降りた。 このままでは、恐怖心によって、ドラゴンに殺されてしまう。早くしなければいけない。
ドラゴンが喋った。
「我には、手形の所在がわからぬ。不要だと思うほうを心に念じよ」
ジエルも、「揺らぐな。『愛』はすべてを解決できる。『愛』さえ残れば勝利だ」と励ました。
ぼくは猛然とルシファーに向かってダッシュした。この男さえいなければ、アンの真偽を確かめる時間ができるし、心が落ち着く。ぼくは渾身の力を込めて、ルシファーに殴りかかった。『破滅』の力をここで使って終わりにしようとさえ思った。
しかし、ルシファーはいとも簡単にぼくの手をひねり上げた。
「少年よ、君の『破滅』の力はまだ未熟だ。わたしのほうが、何枚も上手だよ。しかし、磨けば巨大な力になる。わたしを倒せるほどにもなるだろう」
これは、『破滅』を不要だと思わせない誘導だった。ルシファーはぼくの手をつかんだまま、ドラゴンの前へと歩み出た。
ジエルがルシファーに飛びかかったが、念力によって弾き飛ばされた。
「さぁ、ドラゴンよ、この少年の不要な『愛』の手形を焼き払いなさい」
ドラゴンの口の中から赤い炎が漏れる。
ぼくは、振り絞るようにドラゴンにいった。
「こいつを焼き払って」
ドラゴンが炎を吐き、ぼくもルシファーも炎に包まれた。不思議なことに、まったく熱くはなかった。浄化されているかと思うほどの気持ち良さがあった。
炎が消えると、ルシファーは消えていた。
どうなったのだろう? ドラゴンはまた前足をたたみ、眠りの体勢に入った。ジエルが歩み寄り、いつのまにかアンも近くに立っていた。二人は、ぼくの奥を凝視しながら近づいた。
「『愛』の手形が消えてしまった……」と、ジエルが呆然とつぶやいた。
アンは、高らかに笑った。
「『破滅』の手形が残ってる! よくやったわ!」
アンはぼくに抱きついた。ぼくは、またもとんでもないことをしてしまったのだろうか。どうして、『破滅』を選んでしまったのだろう。
「ドラゴンに、その手形も焼いてもらえ!」
ジエルは慌てて、アンをどかし、ぼくの身体を揺すった。しかし、ドラゴンは、「二つの選択において汝が残すことを選んだものを焼き払うことはできない」と、無情に突きつけ、目を閉じた。
ドラゴンの炎のとき、ルシファーを消すことを願ったからか、アンを失いたくないと思ってたからか、『破滅』が必要だと認識されてしまった。『愛』の力に頼らなかったから、『愛』が不要だと認識されてしまった。
アンはお腹を抱えて、笑った。
「最高! わたしの手柄よ! ルシファーよりも遙かに人間として転生した人間が、『破滅』の手形のみを持ってる。アトランティスの時代よりも人間界に影響を与えられるわ。あなたは、破滅の死神として世界を滅ぼすのよ!」
ぼくは膝をついた。アンはぼくを抱きしめるが、その感触も感じられないほど意識が遠のいていった。
作戦部屋の過去生たちや天使たちが泣いているのが見えた。アトランティス時代の老人が、ぼくに向けて叫んでいた。
「神から贈られた『愛』の手形をなくしても、そなたには人間として生きてきた『愛』があるだろう。負けるな!」




