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愚息と体が入れ替わった王ですが、どうやら我が国は崩壊寸前らしい  作者: あずきまんま
第5部:国家再建と新たなる治世編

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第45話:不吉な残党

 執務室の窓から差し込む朝日に、机上の書類の山がわずかに翳りを帯びていた。夜露に濡れた庭木の匂いが、開け放たれた窓からかすかに漂ってくる。遠く厨房の方角から、朝餉の支度を告げる薪の爆ぜる音が、途切れ途切れに届いていた。


 ランバートが一礼し、声を落として報告を始めた。


「殿下。例のオルグレン家の一件、ようやく動きが読めて参りました」


「申せ」


「先だって、倉庫の周辺を見張らせていた者の一人が、下働きに扮して出入りする男を捕らえました。締め上げたところ、口を割りましてございます」


 ランバートは、そこで一度言葉を切った。


「何と申した」


「夜な夜な集まっていた先は、旧市街の外れに残る、使われなくなった倉庫でした。人目を避けるには、恰好の場所です」


 アルベルトは、報告書から顔を上げた。窓の外、まだ湿った朝靄が屋根の上に薄く残っている。


「人目を避けるだけの分別はあるということか」


「加えて、その男は、出入りする者の中に、黒い石に蛇の絡んだ指輪をした男がいたと証言しております。闇の始末屋の一党の印に相違ないかと」


 その言葉に、アルベルトの喉の奥が、微かに強張った。バルトが震える声で語った証言が、脳裏に蘇る。二度と表舞台に出てくることはないと、どこかで高を括っていた自分を、内心で戒めた。


「あの一党が、まだ息を潜めていたか」


「オルグレン家をはじめとする残党どもが、金に飽かせて雇い入れたものと思われます。何を企んでいるかまでは、いまだ掴めておりません。ただ、集まりの頻度は、この十日でめっきり増えているとのことです」


「切羽詰まっているということか」


「もしくは、機が近いと踏んでいるか、でございましょう」


 アルベルトは、机上に広げたままの書状へ目を落とした。国葬の日取りを記した一枚だった。喪に服す期間の目安が過ぎ、先だっての重臣会議で、ようやく正式に定められたばかりだった。


「国葬は、三日後に迫っている」


 その一言に、ランバートの表情が、わずかに引き締まった。


「まさか、その日を狙っていると」


「わからぬ。だが、王都中の目が大聖堂に集まる日だ。何かを仕掛けるなら、これほど都合の良い機はあるまい。奴らとて、そこまで愚かではあるまい」


 アルベルトは、椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。悼む時間すら、心穏やかに過ごさせてはくれぬのか。喉の奥に苦いものが込み上げたが、すぐに飲み下す。ようやく静かに送り出せると思っていた矢先だった。


「警備を厚くすれば、向こうも気取って手を控えよう。それでは、根を残したままになる。いずれ、別の日にまた牙を剥く」


「では、いかがなさいます」


「あえて隙を見せる。ただし、こちらの隙は、すべて仕込んだ罠だ」


 アルベルトは、地図の代わりに広げられた大聖堂の見取り図を、指先でなぞった。柱の並び、回廊の折れ曲がる先、祭壇までの距離を、順に確かめていく。


「参列に配する近衛は、いつも通りの数に留めよ。その代わり、喪服に紛れさせた者たちを、柱の陰や回廊の端に密かに配しておく。合図は、そなたの目配せ一つでいい」


「心得ました。何名、必要でしょうか」


「多すぎれば気取られる。目立たぬ程度で十分だ。それと、正門と裏口、両方に逃げ道を塞ぐ手勢を潜ませよ。逃げられては、元も子もない」


 ランバートは、素早く要点を書き留めていく。


「承知いたしました。捕らえた下働きの男は、いかがいたしましょう」


「しばらく牢に留め置け。此度の一件が片付くまでは、下手に扱いを変えぬ方がよかろう」


 ランバートは、深く頭を下げた。


「畏まりました。手筈を整えて参ります」


「頼む。此度こそ、根まで絶つ」


 その日の午後、エレノアが執務室を訪れた。国葬の日取りと、仕込まれた罠の話を聞いた彼女の顔には、隠しきれない懸念が浮かんでいた。


「殿下御自ら、囮となられるおつもりですか」


「他に、確実な手はない。相手をおびき出すには、狙う値打ちのある的が要る」


「万一のことがあれば」


「万一のことがあれば、そのときはそのときだ。だが、案ずるな。仕掛けを見破られぬ限り、後れは取らぬ」


 エレノアは、しばらく黙り込んだ。窓の外、傾き始めた陽が、机上に広げられた見取り図を薄く照らしている。それから、意を決したように顔を上げた。


「私も、大聖堂に参ります」


「危険だ」


「殿下だけに危険を背負わせて、私は指をくわえて見ている性分ではございません。それに、この目で確かめておきたいのです。あの方を、きちんと送り出す日を」


 その迷いのない物言いに、アルベルトは束の間、言葉を失った。


「……好きにせよ。だが、決して無茶はするな」


「心得ております」


 エレノアは、そう言って小さく頭を下げると、静かに部屋を後にした。その後ろ姿を見送りながら、アルベルトは、机上の見取り図を改めて見つめた。試作地を駆け回っていた頃と変わらぬ、迷いのない足取りだった。


 三日後、大聖堂の鐘が、重々しく鳴り響いた。喪服に身を包んだ貴族たちが、石段を静かに上っていく。焚かれた香の匂いが、冷えた石造りの内部に立ち込め、高い天井から差し込む光の筋に、細かな煙がゆっくりと揺蕩っていた。すすり泣く声が、あちこちの列から漏れ聞こえてくる。


 大聖堂の外に広がる広場にも、喪服とまではいかぬ黒い布を纏った民衆が、幾重にも列を成していた。生前の陛下を慕っていた者ばかりではないはずだった。それでも、この国の頂に立っていた者を送るこの日ばかりは、誰もが物言わず、静かに頭を垂れている。


 傍らに控えたエレノアが、小さく呟いた。


「これほどの人が、集まるとは」


「威厳より他に、示せるものがなかった王だ。それでも、送られる時くらいは、静かであってほしい」


 参列者の中には、先だって同盟を交わしたばかりのグラナダの使者、ディエゴの姿もあった。喪服がわりの黒い外套に身を包み、深く頭を垂れている。その律儀さに、アルベルトは束の間、目を留めた。


 ランバートが、人混みに紛れてアルベルトの傍らに歩み寄り、小声で告げた。


「手筈は、整っております」


「よし」


 祭壇には、白布に覆われた棺が安置されている。防腐の魔法陣によって保たれたその姿は、生前とほとんど変わらぬままだった。かつて自分がその身の内に宿っていた、あの体だった。


 アルベルトは、喪主の位置に立ち、静かに祈りを捧げた。ヴィクトリアが、その隣で目を伏せている。


 ヴィクトリアが、そっと呟いた。


「……ようやく、ここまで来られましたね」


「ああ」


 アルベルトは、短くそれだけを返した。あの体は、かつて紛れもなく己自身のものだった。玉座の間で、鋭い声で臣下を叱りつけていた日々も、ふとした折に見せていた弱さも、我が身の記憶に他ならない。だが、その身に最期まで宿っていたのは、ついに分かり合えぬままだった、あの愚息だった。息子を送り出す日が、こんな形で訪れようとは思いもしなかった。そう思うと、胸の奥が静かに軋んだ。


 式が進み、司祭の朗誦が堂内に響き渡る頃、アルベルトは、参列者の後方に紛れた一団の中に、わずかな動きを捉えた。商人でも貴族でもない、身のこなしの妙に静かな男たちが、柱の陰へと音もなく滑り込んでいく。


 合図を送るまでもなかった。ランバートの目配せ一つで、参列者に扮していた近衛たちが、音もなく持ち場を固めた。


 柱の陰から躍り出た一人が、抜き身の短剣を手に、アルベルトへと迫った。だが、その切っ先が届くよりも早く、待ち構えていた近衛の一人が、男の腕を背後から捻り上げる。短剣が石床に落ち、乾いた音を立てて跳ねた。


「動くな」


 鋭い声が堂内に響いた瞬間、参列者たちの間に、悲鳴にも似たどよめきが広がった。もう一人の男が、逃げ道を求めて身を翻したところを、正門で待ち構えていた別の一隊が、行く手を塞ぐ。逃げ場を失った男は、なおも抗おうとしたが、数に押されてすぐに組み伏せられた。


 ランバートが、自らその男の襟首を掴み上げる。


「やはり、貴様らか」


 組み伏せられた男の手首に、黒い石に蛇の絡んだ指輪が、鈍く光っていた。ランバートは、その指輪を一瞥し、低く唸るように言った。


「闇の始末屋の意匠に、間違いない」


「誰に雇われた」


 男は、口の端を歪めて吐き捨てた。


「……喋ることは、何もない」


 ランバートは、それ以上の問いを重ねず、男の身柄を近衛へ引き渡した。指輪の意匠は、倉庫を見張っていた下働きの証言と一致する。事前の張り込みで掴んでいたオルグレン家との繋がりに、この場での凶行が重なった以上、もはや言い逃れのできる話ではなかった。


 アルベルトは、静かに息を吐いた。


「答えずとも構わぬ。証はすでに揃っている」


「はっ。オルグレン家をはじめ、一連の残党どもを、即刻捕縛いたします」


「頼む。ただし、その指輪の男は、逃がすな。これで、あの一党の影を、この国から追い出す端緒にはなろう」


「承知いたしました」


 堂内のどよめきが収まり、司祭が静かに朗誦を再開すると、乱れかけた空気も、少しずつ落ち着きを取り戻していった。ディエゴが、離れた場所からこちらを一瞥し、小さく頷いたのが見えた。何も言わずとも、通じるものがあるようだった。


 騒ぎが収まった後、エレノアが、アルベルトの傍らに歩み寄ってきた。喪服の裾を握る手が、まだかすかに震えている。


「お怪我は」


「ない。そなたがいてくれたおかげで、変に気を張らずに済んだ」


 エレノアは、小さく息をつき、微笑んだ。


「殿下が仕込んだ罠が、うまく嵌まっただけのことです。私は、ただ見ていただけですから」


「見ていてくれただけで、十分だ」


 棺の前に戻ったアルベルトは、改めて祈りを捧げた。悼むべき者を、ようやく静かに送り出せる。憎しみだけでは片付かない、複雑な思いを胸の内に抱えたまま、それでも、ここで区切りをつけなければならなかった。そして、この国に巣食っていた不穏の種も、また一つ絶たれた。


 式が終わり、参列者たちが三々五々散っていく中、ヴィクトリアがそっと歩み寄ってきた。


「危ないところを、お一人で背負い込むのですね。いつも、そう」


「そなたにまで、心配をかけたな」


「心配するのが、妻……いいえ、母の役目でしょう」


 その一言に、アルベルトは、わずかに目を見開いた。ヴィクトリアは、それ以上何も言わず、静かに微笑んで、玉座の間へと続く回廊を歩み去っていった。


 その後、捕らえられた男たちへの取り調べで、オルグレン家をはじめとする一党の企みが、少しずつ明らかになっていった。ジュリアンの失脚により後ろ盾を失い、爵位も先細るばかりの己の立場を、唯一の継承者たるアルベルトを亡き者にすることで覆そうとしていたらしい。混乱に乗じて実権を握り直す腹積もりだったのだろう、とランバートは推し量った。


 実行役として捕らえられた指輪の男は、最後まで多くを語らなかった。雇い主への義理からではなく、裏切り者を生かしておかない一党の掟を恐れてのことだろう、とランバートは見ていた。後日、倉庫の奥から、金子の受け渡しを記した帳面の切れ端が見つかった。日付を辿れば、ちょうどオルグレン家の縁者たちが夜な夜な集まり始めた時期と重なる。闇の始末屋の一党が、確かにこの企みに絡んでいた証だった。


 その報告を携え、ランバートが執務室を訪れた。


「まだ、あの一党の根城までは辿り着けておりません。此度捕らえたのは、末端の駒に過ぎぬかと」


「構わぬ。今すぐ根絶やしにはできずとも、二度と容易く動けぬようにはしておきたい」


 数日後、重臣会議において、オルグレン家をはじめとする一党への沙汰が下された。残されていた爵位と領地は没収され、当主とその近しい縁者には、辺境への追放が言い渡された。かつて温情をもって減じられた罪は、此度ばかりは容赦なく裁かれた。


 その報せは、幽閉されているジュリアンの耳にも届いた。看守が伝えたところによれば、ジュリアンはただ一言、力なく笑っただけだったという。


「……相変わらず、詰めの甘い連中だ」


 それ以上、何かを語ろうとはしなかったらしい。己の失脚に群がっていた者たちの末路に、今さら興味もないというふうだった、と看守は付け加えた。


「浅はかな企みだったな」


「まことに。ですが、放っておけば、いずれまた同じ根から芽が出たやもしれません」


「だからこそ、此度のうちに刈り取っておく必要があった」


 アルベルトは、執務室の窓辺に立ち、傾いた陽の色を眺めた。大聖堂を包んでいた鐘の音は、いまはもう遠く、澄んだ空に長く尾を引いて消えていった。崩壊寸前だったこの国は、いま確かに、新しい形へと生まれ変わろうとしている。


(第46話へ続く)


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