↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愚息と体が入れ替わった王ですが、どうやら我が国は崩壊寸前らしい  作者: あずきまんま
第5部:国家再建と新たなる治世編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/50

第43話:エレノアの功績

 大広間に集った重臣・貴族たちが、三々五々散っていく。膝を折っていた者たちが立ち上がり、隣同士で顔を寄せては、囁き声を交わしながら回廊へと消えていった。石畳に反射する正午の光の中に、まだ収まりきらぬどよめきの余韻が漂っている。


 高い天井から吊るされた燭台の蝋が、昼だというのに芯を燃やし続け、微かな煤の匂いを漂わせていた。大理石の柱に反響する足音と衣擦れの音が幾重にも重なり、しばらくは人いきれの熱気が去らない。


 オルグレン家に連なる一団は、扇で口元を隠しながら、こちらを窺うような視線を寄越しては、すぐに逸らしていった。表立って異を唱える度胸のある者は、ついに一人も現れなかった。


 アルベルトは玉座の傍らに立ったまま、その背中の列を見送っていた。ランバートが歩み寄り、声を落とす。


「オルグレン家の縁者たちも、表立って異を唱えはいたしませんでした」


「唱えられる道理がない。継承権を持つ者は、他におらぬのだからな」


 アルベルトは、扇のように広がる貴族たちの背をなおも眺めながら続けた。


「だが、腹の底で何を考えているかは別の話だ。しばらくは目を離すな」


「心得ております」


 ランバートは一礼し、警備の配置を確かめるべく足早に去っていった。大広間に残ったのは、アルベルトとヴィクトリア、それに控えの近衛たちだけになる。


 ヴィクトリアが、静かに歩み寄ってきた。


「継承の儀の日取りは、国葬を終えてから、追って重臣会議にかけることになりますが……今日のところは、これで十分でしょう」


「そうか。……先に、弔いを済ませねばな」


「亡骸は、離宮の礼拝堂で防腐の魔法陣により保たれております。喪に服す期間を軽んじれば、継承の儀そのものの重みも薄れましょう。急いて事を仕損じるより、時機を見極める方が賢明かと」


「そうだな」


 アルベルトは、玉座を一度だけ振り返った。誰も座っていない椅子に、正午の光が斜めに差し込んでいる。


「玉座に主がないという事実を公にしただけで、まだ何一つ片付いてはおらぬ。だが、隠し続けるよりは、よほど気が楽になった」


 ヴィクトリアは、大広間の奥に置かれたままの玉座を一瞥し、静かに目を伏せた。


「地方への通達は、私の名でも出しておきましょう。王妃からの言葉として届けば、いくらかは角も立ちますまい」


「頼む」


 二人はしばし、それ以上の言葉を交わさなかった。埋めるべき沈黙ではなく、互いの疲れを、互いに黙って受け止めるだけの間だった。


 その日の午後、執務室に戻ったアルベルトは、積み上げられた書状の山へ改めて向き合った。継承の手続き、地方への通達、財務の立て直し。片付けるべき事柄は、公表を終えたところでいっこうに減りはしない。むしろ、これまで曖昧にしてきた分だけ、はっきりと形を取って積み上がってくる。


 羽根ペンを握る指先に、じわりと鈍い痺れが走った。若い体は、長時間の書き仕事にはまだ慣れきっていない。反乱鎮圧からこの方、休む間もなく積み重ねてきた疲労が、こういう折にふと顔を出す。


 それでも手を止めるわけにはいかなかった。書状の一枚一枚に目を通し、必要な指示を書き添えては、次の一枚へと移っていく。単調で、しかし気を抜けば命取りになりかねない作業だった。


 窓の外に西日が傾き始めた頃、扉が控えめに叩かれた。


「殿下。エレノア様がお戻りです」


 クララの声に、アルベルトは羽根ペンを置いた。


「通せ」


 入ってきたエレノアは、旅装のままだった。裾には乾いた土埃がこびりつき、袖口には麦の穂先がいくつも絡みついている。数日にわたって試作地を歩き回っていたことが、その装いだけで見て取れた。


「殿下、遅くなり申し訳ございません。土壌改良の試作地から、直に見て参りました」


 エレノアの後ろに控える侍女が、大きな籠を運び入れる。籠の中には、黄金色に実った麦の穂が、山のように積まれていた。


「これが、その麦か」


「はい。ご覧ください」


 エレノアは籠から一房を取り出し、机の上へ置いた。穂の重みで頭を垂れた麦が、乾いた籾殻の匂いを部屋に運んでくる。


「例年の同時期と比べ、一穂あたりの粒数がおよそ三割増しております。加えて、これまで悩まされてきた根腐れの被害も、ほとんど見られませんでした」


「三割……」


 アルベルトは、麦の穂を指先で挟み、光にかざした。粒の並びは詰まって固く、これまで見てきた痩せた穂とは明らかに違う。


「どのような対策をした」


「堆肥の配合を変え、休耕地との輪作を組み直しました。それに、水はけの悪い区画には溝を掘り、余分な水を逃す仕組みを設けております」


 エレノアは、机上に広げた地図を指し示しながら続けた。


「試作地は三区画。いずれも、旧来のやり方より収穫が伸びております。特にこの区画は」


 彼女が指した一点には、細かな書き込みがびっしりと並んでいる。日々の天候、施した堆肥の量、芽の伸び具合まで、几帳面な字で記録されていた。


「殿下がお認めくださった、あの赤ペンの覚書……。あのお言葉を糧に、実地で幾つも試して参りました」


 アルベルトは、地図から顔を上げた。エレノアの頬に、隠しきれない高揚の色が浮かんでいる。


「並の苦労ではなかったろう」


「造作もないことです」


 エレノアは、袖口に絡んだ麦の穂を指先でつまみ、軽く払い落とした。それから、少し声を落として続ける。


「正直に申し上げますと、この土地に初めて手をつけた頃は、なにも上手くいきませんでした。溝の深さを誤り、隣の畝まで水浸しにしてしまったこともございます」


「それで、諦めなかったのか」


「諦める理由にはなりませんでした。土を掘り返しては測り直し、また掘り返す。それだけのことです」


 エレノアは、そう言って、地図の端に記された小さな×印を指した。何度も書き直された跡が、紙の上に薄く残っている。


「村の年寄りたちは、最初のうち、貴族のお嬢様の道楽だろうと、まるで取り合ってくれませんでした。ですが、二度目の作付けで隣の畝との違いが目に見えて出てきますと、態度が変わり始めました」


「手のひらを返した、というわけか」


「返してくださって、構わないのです。結果さえ出れば」


 エレノアは、涼しい顔でそう言い切った。その様子に、アルベルトは小さく息を漏らした。


 そのとき、扉の外に控えていた護衛の一人が、一歩進み出た。道中ずっと供をしてきた男で、日に焼けた顔にはまだ旅の疲れが色濃く残っている。


「畏れながら、申し上げたいことがございます」


 護衛は、深々と頭を下げた。


「発言を許す」


「刈り入れの日、村の者たちは誰も彼も、信じられぬという顔をしておりました。あの痩せた土地から、こんな実りが出るとは、と」


 男は、少し声を落として続けた。


「エレノア様が幾度も足をお運びになり、村の者たちの話に直に耳を傾けてこられたのを、道中ずっと見て参りました。貴族のご令嬢が、そこまでなさるとは、誰も思ってもみなかったはずです」


「大げさよ」


 エレノアが、軽く窘めるように言った。だが、護衛は首を振る。


「大げさではございません。此度の実りがあれば、冬を越せぬと諦めていた村が、いくつも救われます」


 護衛は、懐から小さな布包みを取り出した。開くと、干した麦粒がひとつかみ、乾いた音を立てて滑り出る。


「これは、村の子が握らせてくれたものです。畑で穂を刈るのが、初めて楽しかったと申しまして」


 その一言に、部屋の空気がわずかに緩んだ。エレノアも、目元を和ませてそれを見つめている。


「刈り入れの日は、村中の子供たちが畦道に出て、歓声を上げておりました。何年も、あんな笑い声を聞いた覚えがないと、村の年寄りたちが申しておりました」


 護衛は、そう言って洟をすすった。窓の外から吹き込む風に、机上の麦の穂がわずかに揺れ、乾いた葉擦れの音を立てる。


「これまでは、重い年貢のことばかりが頭にあって、実りを喜ぶ余裕など、とうになくしていたと……。エレノア様が、それを思い出させてくださったのだと、村の者たちが口々に申しておりました」


 アルベルトは、椅子から立ち上がり、護衛の前に立った。


「大儀であった。よく伝えてくれた」


 護衛は、恐縮しきった様子で、それでもゆっくりと顔を上げた。その目には、隠しきれない安堵の色が滲んでいる。


 護衛が下がってから、アルベルトはしばし黙り込んだまま、机上の麦の穂を見つめていた。


「この収穫を、試作地だけに留めておく手はないな」


「私も、そう考えておりました」


 エレノアは、地図の余白を指でなぞった。


「来季からは、これを基準とした栽培法を、周辺の村にも広めとうございます。種と苗の手配、指導に当たる者の確保……人手も費えも要りますが」


「国庫は火の車だ。だが」


 アルベルトは、書状の山へ目をやった。


「食い扶持が増えれば、税の目減りも和らぐ。回り回って、財政を支える柱になろう。ヴィクトリアにも図って、来季の予算に組み込ませる」


「ありがとうございます」


 エレノアは、深く頭を下げた。それから、ふと思い出したように顔を上げる。


「殿下。もう一つ、ご報告しておきたいことが」


「申せ」


「先だっての、マリアの件です」


 その名を聞いて、アルベルトはわずかに眉を寄せた。長らく忘れていた名だった。


「陛下の崩御が公になりました以上、あの女の立場はすでに消えております。行き場を失った者を、そのまま宮廷に留め置けば、要らぬ火種になりかねません」


 エレノアは、淡々と続けた。


「ですので、内々に話をつけ、相応の金子を渡して、静かに王都を去らせました。金の力で転んだ女なら、金の力で片付けるのが、もっとも早うございます」


 アルベルトは、束の間、言葉に詰まった。それから、小さく笑みをこぼす。


「いつの間に、そこまで手を回していた」


「殿下がお忙しい間に、片付けておくべきことの一つでしたので」


 その手際の良さに、アルベルトは今さらながら舌を巻いた。


 その晩、アルベルトはヴィクトリアを呼び、来季の予算案について膝を突き合わせた。窓の外はすでに暗く、部屋には燭台の灯りだけが揺れている。羊皮紙特有の乾いた匂いに、蝋の焦げる匂いが混じり合っていた。二人の間には出納簿と、エレノアの描いた地図が並べて広げられている。


「種苗の手配と指導役の派遣で、当面はこれだけの費えが要る」


 アルベルトが示した数字に、ヴィクトリアはしばし考え込んだ。


「決して小さな額ではありませんが……祝宴を切り詰めた分を、そのままこちらへ回しましょう。目先の見栄えより、来季の実りの方が、よほど確かな投資です」


「異論はない」


 二人の間で、話はすぐにまとまった。


 翌日、財務会議の後に開かれた略式の茶会の席で、この麦の話は瞬く間に広まった。窓辺に置かれた籠から実物の穂を回し見た貴族たちは、次々と感嘆の声を漏らした。茶器に注がれた紅茶の湯気に混じって、乾いた籾殻の匂いがほのかに漂っていた。


「まさか、あの痩せた東部の土地から、これほどの実りが」


 これまで財政改革に難色を示していた老貴族の一人が、穂を指先でつまみながら呟いた。かつて宴の縮小に不満を漏らしていた男だった。


「これで文句を申す気も失せましたな。倹約の先に、これだけの実が結ぶというのなら」


 隣に座っていた別の貴族が、苦笑交じりに相槌を打つ。


「エレノア嬢のお手並み、見事という他ありませんな」


 その言葉に、周囲の貴族たちも次々と頷いた。ヴィクトリアが、扇を口元に添えながら口を開く。


「殿下からの信任も篤いのですよ。この改革を軌道に乗せるにあたり、公爵家の後ろ盾と、殿下の明確な委任のもと、エレノア嬢に農政の差配一切を任せることになりました」


 室内に、静かなどよめきが広がった。誰も、異を唱える者はいない。


 茶会がお開きになった後、廊下の隅でエレノアがそっと歩み寄ってきた。人の目のない一角で、アルベルトは声を落とす。


「大層な役目を、また一つ背負わせてしまったな」


「望むところです」


 エレノアは、まっすぐにアルベルトを見上げた。


「殿下のお役に立てることが、私にとって何よりの励みですから」


 その眼差しに、飾らない実直さが宿っていた。アルベルトは、しばらくその顔を見つめてから、静かに頷く。


「よくやった」


 それだけの一言に、エレノアは頬をわずかに緩めた。喪の重さも、財政の重荷も消えてはいないが、その一瞬だけは、確かに穏やかな空気が二人の間に流れていた。


 窓から差し込む午後の光に、埃っぽい旅装のままのエレノアの輪郭が、淡く縁取られている。数日にわたる野歩きの疲れは、まだ抜けきっていないはずだった。


「顔色が優れぬな。無理を重ねたのではないか」


「殿下ほどではございません」


 エレノアは、そう言って小さく笑った。それでも、まぶたの下にうっすらと浮いた隈までは隠しきれていない。


「今日のところは、早く休め。麦の話は、明日また聞こう」


「……はい。お言葉に甘えます」


 エレノアが一礼して去っていく後ろ姿を、アルベルトはしばらく見送っていた。旅装の裾に残った土埃が、廊下の光の中で、かすかに白く舞っている。


 その夜遅く、ランバートが再び執務室を訪れた。灯りを落とした室内に、蝋燭の炎だけが揺れている。


「殿下、遅くに失礼いたします。国境の関所より、急ぎの報せが」


「何事だ」


「グラナダの使節を名乗る一団が、麦の栽培法について、正式に話を聞きたいと申し出ているとのことです。此度の収穫の噂は、早くも国境の向こうまで届いているようで」


 アルベルトは、机上に残された麦の穂へ目をやった。乾いた籾殻の匂いが、まだかすかに漂っている。


 ランバートは、報告書を机上に置きながら、なおも続けた。


「和平協定を結んで以来、グラナダとは表向き穏やかな行き来が続いておりますが……今回は、いささか急な話です。使節を名乗る一団の中に、商人にしては身のこなしの軽い者が数名混じっているとの由。単なる技術交換の申し出とは、言い切れぬかもしれません」


「隣国が、興味を示してきたか」


「いかが取り計らいましょう」


 アルベルトは、しばし黙り込んだ。窓の外、月明かりに照らされた王都の屋根並みが、静かに広がっている。あの平和協定の調印式で交わした約束が、まだ生きているのか、それとも形を変えつつあるのか。今はまだ判じかねた。


「会おう。ただし、こちらの手の内を安売りする気はない。まずは人となりを見極めることだ」


「承知いたしました。日取りを整え次第、改めてお伺いいたします」


 ランバートが一礼して下がった後も、アルベルトは机上の麦の穂をしばらく見つめ続けていた。国境の向こうから伸びてきた細い糸が、この国の行く末に何をもたらすのか。今はまだ、誰にも分からなかった。


(第44話へ続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。