第41話:賢王の大ナタ
数日が過ぎた。執務室の窓から差し込む陽は、以前より幾分か力強さを取り戻している。喪失の重さは、まだ胸の底に沈んだままだ。それでも、傾いた国庫を立て直す務めは、悲しみが癒えるのを待ってはくれない。アルベルトは、机上に積まれた出納簿の写しへ目を通しながら、ランバートの報告に耳を傾けていた。
「例の老官吏、ドレイクの周辺を洗いました。単独ではございません。物資調達を担う書記官二名と結託し、軍資金で購う武具・食糧の契約額を、水増しして帳簿に記していたようです」
「差額の行方は」
「特定の御用商人へ流れております。その商人から、三名それぞれへ金子が渡っていた形跡も」
アルベルトは、指先で帳簿の縁を叩いた。
「いつから続いていた」
「少なくとも、五年は」
ランバートは、苦い顔で続けた。
「反乱の混乱に紛れ、この機に稼ぎを増やそうとしたのでしょう。目付役の目も、此度の騒動でどうしても手薄になっておりましたので」
「証は」
「商人側の帳簿と、書記官の私邸から押収した書付を突き合わせ、動かぬところまで固めてございます」
傍らに控えていたヴィクトリアが、静かに口を開いた。
「国庫が底を突きかけている最中に、こうも堂々と甘い汁を吸われていたとは」
「堂々と、というより」
アルベルトは、低く続けた。
「誰も見ておらぬと高を括っていたのだろう。玉座に主のない今このときこそ、綻びが生まれやすい」
翌日、財務会議の場に、ドレイクと二名の書記官が召集された。何も知らされぬまま並ばされた三人の顔には、隠しきれぬ動揺が浮かんでいる。
アルベルトは、押収した書付の束を、静かに机上へ置いた。
「見覚えがあろう」
ドレイクの視線が、束の表紙を掠める。だが、すぐに平静を装い直した。
「殿下、何のことやら。私は長年、忠実に務めを果たしてきたばかりでございます」
「そうか」
アルベルトは、静かに一枚目をめくった。
「では、これは何だ。物資調達の契約額と、御用商人ゲイルの帳簿に記された受取額――両者の間に、毎回一定の開きがある。この開きは、誰の懐に消えた」
「そ、それは……商人が値を誤魔化したのでしょう。私の与り知らぬことです」
「与り知らぬ、か」
アルベルトは、二枚目を机上へ滑らせた。ゲイル本人の署名入りの証文だった。
「ゲイルは、お前への分配を、自らの筆で書き残していた。忠実な商人ではなかったようだな」
ドレイクの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「こ、これは……」
「御用商人ゲイルとの取り決め、契約額の水増し、その差額の分配。すべて、そこに記されている通りだ」
書記官の一人が、崩れるように膝をついた。
「も、申し訳ございません……ですが、俸給だけでは、家族を養いきれず……」
「言い訳を並べる前に」
アルベルトの声が、部屋の空気を静かに押した。
「国庫が涸れかけた中で、民や兵の分を掠め取ったという事実は、揺るがぬ」
ドレイクは、なおも震える声で縋った。
「殿下、長年の忠勤に免じて、どうか……」
「その忠勤とやらの陰で、何年掠め取ってきた」
アルベルトの問いに、ドレイクは答えられなかった。俯いた首筋に、脂汗が浮いている。
並んだ官吏たちの間からは、誰一人として庇う声を上げなかった。むしろ、その静けさの中に、積年の不満がわずかに滲んでいるようにも見える。
「三名とも、役職を剥奪の上、財産を没収する。差額はすべて国庫へ戻させよ。裁きは追って沙汰する」
近衛が、三人を連れて退出していく。誰も、抗う声を上げなかった。
残された財務官たちの間に、重い沈黙が広がった。アルベルトは、その顔を一人一人見渡す。
「今日限りで、出納の仕組みを改める。すべての契約に、二重の照合を義務づけ、月ごとに帳簿を開示せよ。……疚しいところのない者にとっては、何ら煩わしいことではあるまい」
財務卿が、深く頭を下げた。
「御意にございます」
会議を終え、廊下に出たところで、ヴィクトリアが歩みを合わせてきた。
「思い切った差配でしたね」
「甘くすれば、また誰かが同じ真似をする」
アルベルトは、静かに答えた。
「一度で仕留めねば、意味がない」
ヴィクトリアは、わずかに口の端を緩めた。
「若い頃のあなたを思い出します。誰に対しても容赦のなかった、あの頃のあなたを」
「……皮肉か」
「いいえ」
ヴィクトリアは、まっすぐにアルベルトを見た。
「褒めているのです」
アルベルトは、束の間、言葉に詰まった。それから、小さく頷く。
「そう受け取っておこう」
その後の数日で、財務会議は目に見えて様変わりした。二重照合の仕組みが機能し始め、帳簿の数字にも、以前より張りが戻りつつある。財務卿の顔からも、慢性的な疲労の色が、わずかながら薄れていた。
窓の外、朝の光が回廊いっぱいに広がっていた。崩れかけていた国庫は、まだ完全には立て直っていない。だが、腐りかけていた根の一つを断ったことで、わずかながら、地に足のつく感覚が戻ってきていた。
悼むべきものを胸の奥に抱えたまま、アルベルトは、次に果たすべき務めへと、静かに視線を向けていった。玉座に主のない日々は、いつまでも続けられるものではない。その現実もまた、静かに、確実に近づいてきていた。
(第42話へ続く)




