第38話:逆賊の処断
執務室に差し込む朝日は、まだ弱々しかった。西門での騒乱を鎮めてから、ろくに眠る間もないまま、次から次へと報告が舞い込んでくる。悼む時間はまだ遠い。アルベルトは、机に広げられた報告書へ目を落としながら、ランバートの言葉に耳を傾けていた。
「オルグレン子爵をはじめ、西門で投降した者どもの取り調べが進んでおります。とはいえ、大半は噂に踊らされただけの小者ばかりで、ジュリアン様の潜伏先まで知る者は見当たりません」
「オルグレンは」
「己の保身のためか、知る限りのことは吐いております。ですが、肝心の居所については、伝聞の域を出ぬようです」
アルベルトは、指先で額を押さえた。手掛かりは、まだ足りない。
そこへ、エレノアが足早に入ってきた。
「殿下。療養所から報せが届きました。バルトの意識が、戻ったそうです」
その名を聞いた瞬間、アルベルトの脳裏に、遠い記憶が呼び起こされた。秘蔵酒の一件で、何者かに襲われたまま、長い間意識を失っていた酒蔵番だった。あまりに長く放置されていた伏線に、エレノア自身も忸怩たる思いがあるのだろう。その声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
「案内せよ」
療養所の一室、褪せた陽光の下で、バルトは寝台に横たわったままだった。長らく寝たきりだった体は、自力で半身を起こすことすらままならない。傍らに控える医師が、二人へ小声で告げた。
「まだ、お声を出すのもやっとの状態です。どうか、手短に願います」
エレノアが、寝台の傍らに膝をつく。かつて秘蔵酒の足跡を追い、行き詰まったまま棚上げにせざるを得なかった調査を、ようやく再開できる。そんな感慨が、その横顔にはあった。
「バルト。あなたを襲った者について、覚えていること……少しだけでいいの。聞かせてもらえる?」
バルトは、かすれた声で、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「……灰色の、外套……でした。顔は……見ておりません。ただ……」
言葉を継ぐたび、浅い呼吸が乱れる。医師が、そっとその肩に手を添えて制したが、バルトは小さく首を振り、続けた。
「足音が……まるで、無いに等しかった。振り向いた時には、もう……目の前に」
エレノアとアルベルトは、思わず顔を見合わせた。地下牢の見張りが、争った形跡もなく昏倒させられていたという、あの一件と重なる。
「なぜ、その男に襲われた」
アルベルトが問うと、バルトは、途切れがちに言葉を継いだ。
「あの夜……王太子殿下へ、あの酒をお渡ししていたのが……あの男でした。それを、見てしまったのです」
つまり、アデルへ酒を渡した張本人を、バルトは目撃していたことになる。
「その翌晩……不意に、あの男が現れて……掴みかかられました。見られていたと、気づかれていたのでしょう」
バルトは、震える手をわずかに持ち上げ、自らの手首に触れた。
「その時……手に、指輪を見ました。黒い石に……蛇が絡んだような、紋章が」
アルベルトは、目を鋭くした。
「その紋章、確かか」
バルトが弱々しく頷くのを見届けると、アルベルトは低く唸った。
「……見覚えがある。表向きは、とうに解散したはずの、闇の始末屋の一党の印だ。旧市街の外れに、根城を持っていたと聞いたことがある」
そこで、バルトの言葉が途切れた。医師が、静かに首を横に振る。今日はここまで、という合図だった。
「十分だ」
アルベルトは、静かに言った。
「よく話してくれた。あとは、ゆっくり休め」
その日の夕刻、バルトの証言が示した紋章の手がかりと、オルグレンの証言にあった隠れ家の噂とが一致し、ランバートの手勢は、旧市街の外れにある廃教会にジュリアンの潜伏先を突き止めた。
踏み込んだ先、蝋燭の灯る薄暗い堂内で、ジュリアンは静かに椅子へ腰掛けていた。逃げる素振りも、抗う気配もない。
「随分と早かったですね」
ジュリアンは、口の端に薄い笑みを浮かべた。牢を脱してからのこの数日、追い詰められた者とは思えぬほど、その佇まいは落ち着き払っていた。
「灰衣の男はどこにいる」
アルベルトが問うと、ジュリアンは肩をすくめた。
「さあ。あの者は、初めから私の駒ではありませんでしたので」
その言葉の真偽を確かめる術はなかった。ランバートの兵が、ジュリアンの両腕に縄を打つ。
「……つくづく、敵わない人だ。愚かなままでいてくれたら良かったのに……」
ジュリアンは、そう吐き捨てるように呟いた。恨みとも羨望とも取れる響きだった。
アルベルトは、かつての息子の姿を、しばし見下ろした。返す言葉は、見つからなかった。
「連れて行け」
短くそれだけを命じる。ジュリアンは、抵抗する素振りも見せず、ただ静かに連行されていった。
数日後、アルベルトが陛下の名代として招集した重臣会議の場で、ジュリアンの処断が正式に言い渡された。王位継承権の剥奪、爵位の廃止、そして生涯にわたる幽閉。並み居る貴族たちの間から、安堵とも重苦しさともつかぬどよめきが漏れた。オルグレン子爵をはじめとする加担者たちにも、それぞれの罪状に応じた沙汰が下された。脅されるまま従っただけの者には、幾分かの温情が加えられている。
全ての報告を終えたランバートが、深く頭を下げる。
「これにて、逆賊の一件は、ひとまずの決着を見ました」
「ひとまず、か」
アルベルトは、静かに繰り返した。灰衣の男の行方は、依然として闇の中にある。だが今は、それ以上を望める状況でもなかった。
人払いを終えた執務室に、静けさが戻ってくる。積み上げられた書類の山へ目を戻しかけて、アルベルトは、ふと、その手を止めた。
崩壊寸前だった王宮は、ひとまずの平静を取り戻した。だが、その代償に失ったものの重さは、いまだこの身から抜けきってはいない。
ようやく、悼む時間が許されるのかもしれない。窓の外に広がる、傾きかけた陽の色を眺めながら、アルベルトは、そう思った。
(第39話へ続く)
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