第32話:暴君の真実
国王の私室。
夜が明けきらぬ時刻だというのに、室内には煌々と灯りが灯されていた。国王――中身はアデル――は、寝台の端に腰掛けたまま、身じろぎもせずに床の一点を見つめている。
アルベルトは、供も連れずに、その扉を叩いた。
「入るぞ」
返事はなかった。それでも構わず、アルベルトは室内へ足を踏み入れる。
国王は、こちらを振り向きもしなかった。先ほどまでの狼狽も、玉座での傲慢さも、今はどこにも見当たらない。ただ、疲れきった一人の若者が、そこにいるだけだった。
「片付いた。ジュリアンは取り逃がしたが、王宮はひとまず、こちらの手に戻った」
アルベルトは、淡々と告げた。
「お前は、しばらくここで大人しくしていろ」
「……俺は」
国王は、掠れた声で呟いた。
「俺は、王になんて、なりたくなかった」
アルベルトは、何も言わずに続きを待った。
「入れ替わった時、正直、笑えると思った。国王の身体になって、好き放題やれると思った。誰にも文句を言わせず、金も、女も、思うがままだと」
国王の肩が、小さく震え始めた。
「でも、違った。玉座に座った瞬間から、何もかもが重かった。誰も、俺の話なんて聞いちゃいない。ただ、王としてどう振る舞うかだけを、求められる」
「それで、酒と女に逃げたか」
アルベルトは、静かに問うた。咎める響きはなかった。
「逃げるしかなかったんだよ」
国王は、顔を覆った。
「どうすればいいかなんて、わかるはずがない。あんたは、何十年も王をやってきたから、平然としていられるんだろうけど、俺は、いきなり放り込まれただけだ」
国王は、次第に涙声になっていった。
「今夜だって、そうだ。剣を持った男たちが押し入ってきて、玉座に座っていたのに、ただ怖くて、震えることしかできなかった」
「震えて当然だろう」
アルベルトは、低く言った。
「あの場を収めたのは、わしとエレノアだ。お前が震えていたことを、責めるつもりはない」
「慰めなんて、いらない」
国王は、声を荒げた。
「あんたの息子は、こんな体たらくだって、ちゃんとわかってる。玉座に座る資格なんて、最初からなかったんだ」
しばらく、沈黙が続いた。国王の肩は、なおも震え続けている。
アルベルトは、寝台の傍らに歩み寄り、その隣に腰を下ろした。
「資格の話なら、わしにも同じことが言える」
アルベルトは、静かに続けた。
「わしとて、若い頃から立派な王だったわけではない。お前と同じように、逃げたい夜も、投げ出したい日も、数え切れぬほどあった。それでも、玉座に座り続けねばならなかったというだけのことだ」
「……そんなの、慰めにならない」
「慰めるつもりはない」
アルベルトは、短く答えた。
「ただ、事実を言っているだけだ」
国王は、涙を拭うこともせず、ただ俯いていた。その姿は、傲慢な暴君でも、恐怖に駆られた愚か者でもなく、ただ、重荷に押し潰されかけた一人の若者だった。
「思えば、お前がここまで荒れたのも、わしに原因がないとは言えぬのだろうな」
アルベルトは、独り言のように呟いた。
「王としての務めばかりを口にして、お前という人間そのものを、まともに見てこなかった。今更、詫びたところでどうにもならぬだろうが」
「……今更すぎるんだよ、それは」
国王は、掠れた声で言った。それでも、その声に、先ほどまでの尖った棘はなかった。
「物心ついた頃から、ずっとそうだった。褒められるのは、王太子として振る舞えた時だけ。俺が何を望んでいるかなんて、誰も聞いてくれなかった」
国王は、膝の上で拳を握った。
「だから、いっそ全部投げ出してやろうと思った。真面目にやったところで、誰も見てくれないなら、好き放題やった方がマシだって」
「でも、あんたにそんなことを言われるとは、思わなかった」
「わしも、こんな夜が来るとは、思っていなかった」
アルベルトは、静かに答えた。
「入れ替わりのおかげで、と言うべきなのか、皮肉なものだが」
国王は、小さく鼻を鳴らした。笑ったのか、それとも別の何かだったのか、アルベルト自身にも判別がつかなかった。
「これから、どうすればいい」
国王は、掠れた声で問うた。
「今は、休め」
アルベルトは、静かに立ち上がった。
「考えるのは、それからでいい。ジュリアンの件も、国庫の件も、山積みだが、今夜ばかりは、お前を追い立てるつもりはない」
国王は、何も答えなかった。ただ、小さく頷いただけだった。
アルベルトは、その背を一瞥してから、静かに部屋を後にした。扉を閉めてもなお、すすり泣きは、いつまでも止まなかった。
(第33話へ続く)
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