第31話:智将の立ち回り
沈黙を破ったのは、玉座の間の扉の外から響く、荒々しい足音だった。
「ジュリアン様!」
鎧姿の兵の一人が、血相を変えて駆け込んできた。片膝をつく間も惜しむように、荒い息のまま報告を続ける。
「近衛隊本部が、落とせません。それどころか、後詰めに回していたはずの兵が、次々と押し返されております」
ジュリアンは、初めて表情を曇らせた。
「馬鹿な。数では、こちらが上のはずだ」
「そのはずでした。ですが、近衛隊長ランバートが、こちらに寝返っていたはずの部隊だけでなく、市中に潜ませていた私兵まで動員して」
兵は、青ざめた顔で言葉を継いだ。
「表門も、裏門も、すでに固められております。ガーディナー侯爵の私兵の一部も、すでに投降したとの報せが」
玉座の間に、重い沈黙が落ちた。ジュリアンの兵たちの間に、動揺の色が広がっていく。武器を握る手元が、それとわかるほどに揺れ始めていた。
「……まさか」
ジュリアンは、低く呟いた。
「最初から、私を泳がせていたということか」
アルベルトは、静かにジュリアンを見据えた。
「お前が動くと分かっていたからこそ、あえて手を出させた。王宮の内から兵を挙げ、言い逃れのできぬ形で謀反の証を立てさせるために」
「重臣も、近衛も、民の声も、すでにこちらに傾いていると分かっていたはずだ」
アルベルトは、静かに続けた。
「それでもなお、力ずくで押し切ろうとするなら、その企てそのものを、誰の目にも明らかな謀反として仕留めるまでのこと」
ジュリアンは、剣の柄を強く握り込んだ。
「……最初から、詰みだったというわけか」
「詰みだ」
アルベルトは、短く答えた。
「お前がこの場に踏み込んだ時点で、な」
私兵たちの間に、明らかな動揺が走った。剣を構えたまま、互いに視線を交わす者が、何人も現れる。誰も、次にどう動くべきか分からずにいた。中には、じりじりと後ずさり、隊列の後方へ紛れようとする者すらいた。
「引くな!」
ジュリアンは、声を張り上げた。
「たかが退路を断たれた程度で、怖気づくな。この場を制しているのは、まだ我らだ」
だが、その言葉に、以前ほどの力はなかった。
私兵の一人が、剣を下げたまま、じりじりと後ずさった。それを咎める余裕は、ジュリアンにもなかった。玉座の間の外から、次第に近づいてくる足音の群れが、すでに聞こえ始めている。ひとり、またひとりと、剣を鞘に収める者が増えていった。
ジュリアンは、玉座に座ったまま震え続ける国王へ、一瞬だけ視線を向けた。それから、アルベルトへ向き直る。
「今日のところは、退かせてもらう」
「逃がすと思うか」
アルベルトの問いに、ジュリアンは、口の端をわずかに歪めた。
「思っていない。だが、退路のひとつやふたつ、この宮殿に潜ませていないとでも?」
その言葉と同時に、ジュリアンは踵を返した。私兵の半数を伴い、玉座の間の脇にある小さな扉へと駆け込んでいく。残された兵たちは、なおも武器を構えたまま立ち尽くしていた。もはや、逃げた主を追う気力すら残っていないようだった。
「追わなくてよろしいのですか」
エレノアが、アルベルトの傍らで問うた。
「追わせても、無駄だろう」
アルベルトは、静かに答えた。
「あの男のことだ。この宮殿の抜け道の一つや二つ、とうに調べ上げているはずだ。今はそれよりも、この場を収めることが先だ」
「武器を捨てよ!」
誰かが、広間に向かって叫んだ。近衛の兵たちが、次々と玉座の間へ雪崩れ込んでくる。残された私兵たちは、抗う気力もないまま、次々と武器を下ろしていった。剣が石畳に落ちる音が、幾重にも重なって響いた。
その光景を、国王は玉座の上から、ただ呆然と見つめていた。先ほどまでの狼狽すら、今は表す気力を失っているように見えた。肘掛けを握りしめたまま、身じろぎひとつしない。玉座に座っているというのに、今の国王ほど、その座から遠い人間もいなかった。
アルベルトは、その姿を一瞥した。かつて自分が担っていた重みに、今、形だけの息子が押し潰されようとしている。だが、それを憐れむ余裕は、まだこの身にはなかった。
「王宮は、ひとまず取り戻した」
アルベルトは、低く呟いた。
「だが、ジュリアンをこの場で仕留めなかった以上、まだ終わってはおらぬ」
剣戟の音は、いつの間にか止んでいた。代わりに、王宮のあちこちから、武器を捨てる金属音と、押し寄せる兵たちの足音が響いている。降伏した私兵たちは、次々と縄を打たれ、広間の隅へと座らされていった。
エレノアは、玉座の間の惨状を見渡しながら、静かに口を開いた。
「勝った、と言ってよろしいのでしょうか」
「まだだ」
アルベルトは、短く答えた。
「ジュリアンを野放しにしている限り、この夜が本当に終わったとは言えぬ。奴が牙を研ぎ直す前に、こちらも次の手を打たねばなるまい」
長い夜は、まだ明けそうになかった。
(第32話へ続く)
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