第30話:王宮の激動
玉座の間。
深夜だというのに、広間には煌々と灯りが灯されていた。国王――中身はアデル――は、玉座の上で、落ち着かない様子で身じろぎしていた。夜半に叩き起こされ、正装もそこそこに玉座へ座らされた格好で、頭には寝癖すら残っている。
遠くから響く剣戟の音は、先ほどから止む気配がない。それが、王としての矜持よりも先に、アデルの中の恐怖を刺激していた。
「何なのだ、この騒ぎは」
国王は、控えていた侍従を怒鳴りつけた。
「外が、やけに騒がしいではないか」
「そ、それが」
侍従は、青ざめた顔で答えた。
「近衛隊本部が、何者かに襲撃されたとの報せが。詳細は、まだ」
その時、玉座の間の大扉が、乱暴に開け放たれた。
現れたのは、鎧に身を包んだジュリアンだった。その背後には、私兵とガーディナー侯爵をはじめとする一派の兵たちが、隊列を組んで続いている。
広間の隅に控えていた数名の重臣たちが、息を呑んで後ずさった。誰も、この事態を止める術を持たなかった。
「ジュリアン、これは、どういうことだ」
国王は、玉座から腰を浮かせた。その声には、隠しきれない狼狽があった。
「父上」
ジュリアンは、静かに、しかしはっきりと言った。
「今宵をもって、その席を、お譲りいただきます」
「な……」
国王の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「謀反、だと。お前、正気か」
「正気です。むしろ、これまでの方が、どうかしていた」
ジュリアンは、玉座に向かって、一歩、また一歩と歩みを進めた。
「増税を重ね、国庫を私物化し、忠臣を次々と遠ざける。この国は、あなたの代で、確かに崩壊寸前まで追い込まれました」
「そ、それは」
国王は、しどろもどろに言葉を探した。
「税は、国のために必要だったのだ。国庫のことも、いずれ、きちんと返すつもりで」
「言い訳は、結構です」
ジュリアンは、切り捨てるように言った。
「民の声も、重臣たちの声も、とうに聞き届けております。あなたを支持する者は、もはやこの宮殿のどこにもいません」
「黙れ! 俺は、王だぞ!」
国王は、震える声で叫んだ。だが、その声には、かつての威圧感はどこにもなかった。
「衛兵! 衛兵はどこだ! こやつを取り押さえよ!」
誰も、動かなかった。
玉座の間に控えていたはずの近衛たちは、すでにジュリアンの兵に取り囲まれ、武器を取り上げられている。頼みの綱は、どこにも残されていなかった。
「無駄です」
ジュリアンは、冷たく言い放った。
「この宮殿は、すでに我らが押さえました。あなたに従う者は、もう誰もいません」
「そんな……そんな馬鹿な話があるか」
国王は、玉座の上で首を振った。
「俺は、王だぞ。この国の全ては、俺のものだ。誰も、俺に逆らえるはずが」
「その考え方こそが、あなたの敗因です」
ジュリアンは、静かに言った。
「王という座は、力ずくで振りかざすためのものではありません。父上は、最後までそれを、お分かりにならなかった」
国王は、玉座の上で、体を縮こまらせた。あれほど傲慢だった男が、今や、震える一匹の獣のようだった。
「ま、待て。話し合おう。何なりと、要求を聞くから」
「今更、遅い」
ジュリアンは、剣の柄に手をかけた。
国王は、玉座の肘掛けにしがみつくようにして、身を縮めた。かつて、宝物庫の目録を眺めては悦に入り、大祝宴を開いては散財を誇っていた男の姿は、もうどこにもなかった。ただ、死を恐れる一人の人間が、そこにいるだけだった。
まさにその時、玉座の間の別の扉が、勢いよく開いた。
「そこまでだ、ジュリアン」
アルベルトが、エレノアを伴い、広間に姿を現した。
ヴィクトリアには、あらかじめ離宮に残り、万一の際の退路と外部との連絡を確保しておくよう頼んであった。
「兄上……」
ジュリアンの目に、初めて動揺の色が浮かんだ。
「なぜ、ここに」
「お前が動くと分かっていたからだ」
アルベルトは、まっすぐにジュリアンを見据えながら、玉座の間の中央へと進み出た。
「父上を排するというなら、まずは、わしを通してもらおう」
二人の間に、張り詰めた沈黙が満ちた。
しばらく、誰も動かなかった。剣戟の音は、いつの間にか近衛隊本部の方角から、王宮の廊下へと移り変わっていた。この場に踏み込んでくるのは、時間の問題だろう。
「兄上まで、私の邪魔をなさるのですか」
ジュリアンは、剣の柄から手を離さないまま、低く問うた。
「邪魔ではない」
アルベルトは、静かに答えた。
「お前のやり方を、認めるわけにはいかぬ、というだけのことだ」
「認めるも、認めぬも」
ジュリアンは、口の端を歪めた。
「もはや、兄上に選ぶ権利などありません。この場は、すでに私が制しております」
私兵たちが、じりじりと包囲の輪を狭めていく。剣戟の余韻が、まだ遠くから響いていた。玉座の上では、国王がなおも震えながら、事の成り行きを見守っている。
エレノアは、アルベルトの傍らで、油断なく周囲を見渡していた。退路は、すでに塞がれている。だが、その表情に、諦めの色はなかった。
王宮の運命を分ける夜が、今、その頂点を迎えようとしていた。
(第31話へ続く)
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