第26話:暴君の自滅
謁見の間。
朝の議事が、いつもより張り詰めた空気の中で始まっていた。玉座には国王――中身はアデル――が座り、その傍らにアルベルトも控えている。差し込む朝日は明るいというのに、居並ぶ重臣たちは、一様に硬い面持ちを浮かべていた。
財務卿エドワードが、書類の束を抱えたまま、震える声で報告を始めた。
「陛下に申し上げます。今月分の国庫収支について」
国王は、玉座の上から、苛立たしげに言葉を返した。
「早く言え」
「はっ。……先の関税見直しにより歳入が減少し、加えて先月の増税分も、市中の景気低迷により見込みを大きく下回りました。宝物庫の備蓄も、すでに底をついております」
エドワードは、額に汗を浮かべながら続けた。
「つまり、当面の間、新たな支出は、極力お控えいただかねば」
「黙れ」
国王は、玉座の肘掛けを叩いた。乾いた音が、静まり返った広間に響く。
「新しい宝飾品の発注は、すでに命じたはずだ。金がないなど、財務卿の職務怠慢であろう」
「陛下、それは」
「言い訳は聞かぬ」
国王は、エドワードを睨みつけた。
「税を上げよ。それで足りぬなら、また上げればよい。民など、いくらでも搾れば済む話だ」
謁見の間に、重い沈黙が落ちた。
アルベルトは、居並ぶ重臣たちの顔を、それとなく窺った。誰もが目を伏せ、視線を合わせようとしない。中には、あからさまにため息をこらえているように見える者もいた。壁際に控える近衛の兵たちでさえ、心なしか、いつもより背筋が硬く強張っているように見えた。
「畏れながら」
年配の宰相が、おずおずと口を開いた。
「これ以上の増税は、民の反発を招きかねません。すでに各地で、不穏な噂も広がりつつあると聞き及びます」
「反発だと」
国王は、鼻で笑った。
「不満があるなら、抑え込めばよいだけの話だ。それが、お前たちの仕事であろう」
「陛下」
宰相は、それ以上何も言わず、深く頭を下げた。だが、その仕草には、諫言を諦めた者特有の乾いた諦観がにじんでいた。
アルベルトは、玉座の男を見つめながら、静かに息を吐いた。かつて自分が座っていたはずのその場所で、アデルの魂は、なりふり構わず国を食い潰していく。止める術は、まだ手の中にない。
謁見が終わり、重臣たちが次々と退出していく。
その足取りには、いつもと違う速さがあった。誰も、必要以上にこの場へ留まろうとしない。囁き合う声すら、ほとんど聞こえなかった。
「殿下」
退出の列の中から、一人の老臣が、アルベルトへ小さく声をかけた。
「王太子殿下におかれましては、どうか、お体をお大事に」
それだけ言い残し、足早に去っていった。名指しで陛下への言葉は、何もなかった。
アルベルトは、その背をしばらく見送った。誰も口には出さない。だが、この場にいる者たちの心が、すでにどちらへ傾いているか、痛いほど伝わってきた。
「陛下」
女官の一人が、遠慮がちに国王へ歩み寄った。
「マリア様が、本日はお加減が優れぬとのことで、お目通りを控えたいと」
「またか」
国王は、忌々しげに舌打ちした。
「このところ、あれもこれも理由をつけて避けおって。誰も彼も、わしを蔑ろにしおる」
女官は、目を伏せたまま何も答えなかった。国王は、苛立ちを隠さぬまま席を立ち、供も連れずに謁見の間を後にした。その背には、玉座に座る者にふさわしい威厳は、もはやどこにも見当たらなかった。足音だけが、やけに大きく広間に響いていた。
王太子府へ戻る道すがら、アルベルトはエレノアと落ち合った。
「先ほどの様子、聞き及びました」
エレノアは、静かに切り出した。
「国庫は、もう」
「限界だろう」
アルベルトは、低く答えた。
「関税を戻した分の穴を、増税で埋めようとしたが、民の懐が、すでにそれを支えきれぬところまで来ている。それでも、あやつは分かろうとせぬ」
「重臣たちの顔ぶれも、変わってきています」
エレノアは、少し声を落とした。
「表立って背くわけではありません。ですが、陛下への進言を、誰もが諦め始めています。今日の宰相殿のように」
「マリアも、離れつつあるようだ」
アルベルトは、静かに続けた。
「金も、人望も、女すらも、あやつの手からこぼれ落ちていく。自分の蒔いた種とはいえ、見ていて心地よいものではない」
「自ら招いたこと、とはいえ」
エレノアは、複雑そうに眉を寄せた。
「憐れみを覚えてしまう自分が、少し嫌になります」
「わしも同じだ」
アルベルトは、窓の外へ視線を移した。夕暮れの光が、次第に色を濃くしていく。
「だが、追い詰められた者ほど、何をしでかすか分からぬ。孤立は、時に牙を剥く。あやつが完全に居場所を失う前に、こちらの備えを固めておかねばなるまい」
エレノアは、静かに頷いた。
「重臣たちの心が離れつつある今こそ、好機かもしれません。あの方々を、こちらの味方に引き入れる余地が、まだ残っています」
「ああ」
アルベルトは、静かに頷き返した。
夕暮れの光が、王宮の尖塔を赤く染めていた。かつて自分が担っていたはずの重みを、今は形だけの息子が背負い、そして、その重みに押し潰されようとしている。
その果てに待つものが何なのか、今はまだ、誰にも分からなかった。
(第27話へ続く)
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