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愚息と体が入れ替わった王ですが、どうやら我が国は崩壊寸前らしい  作者: あずきまんま
第3部:陰謀の解明と黒幕の追い詰め編

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第25話:解薬の完成と条件

 王宮薬草園、温室。


 夜も更け、庭園の木々は闇に沈んでいた。温室の中だけが、ランプの淡い光に浮かび上がっている。ガラス越しに見える空には、まだ欠けたままの月がかかっていた。


 銀朧草の採取に十二日、月影蘭の群生地を突き止めるのにさらに数日、そして涙露珠にいたっては、深夜の一刻にしか採れぬという条件のせいで、集めるだけで幾晩も費やした。オーウェンにとっては、休む間もない日々だった。


 その全てが、ようやく卓上に並んでいる。


「ようやく、材料が揃いました」


 オーウェンの声には、隠しきれない疲労と、それに勝る安堵とが同居していた。三つの小瓶を、壊れ物を扱うように、そっと並べ直す。


「これを、写本の記述通りに調合すれば」


 アルベルトは、卓上の小瓶を見つめた。細く伸びた指先が、瓶の縁をわずかになぞる。


「解薬になる、ということか」


「はい。ただし」


 オーウェンは、写本の写しを、あらためて開いた。羊皮紙は古く、端が擦り切れている。


「調合そのものは、満ちた月の光の下でなければ行えません。以前申し上げた通りです」


「満ちた月の光、だな」


 エレノアが、静かに言った。


「フィンレイから聞いた話と、一致します」


「その通りです」


 オーウェンは、頷いた。それから、わずかにためらうような間を置いてから続けた。


「ですが、写本には、まだ先があります」


 部屋の空気が、わずかに張り詰めた。


 オーウェンは、写本の一節を指でなぞりながら、慎重に読み上げた。


「写本には、こうあります。『入れ替わりし二人の魂は、満月の光の下、共に薬を口にすることで、正しき器へと還る。ただし、その間、二人の身体は、外なる意識を失い、無防備な眠りに落ちる』」


 アルベルトは、しばし言葉を失った。ランプの炎が、わずかに揺れる。


「無防備、とは」


「儀式の間、お二方は、恐らく数刻にわたり、意識を失った状態になるかと」


 オーウェンは、言葉を選びながら答えた。


「その間、身を守る術は、周囲に頼るしかないかと。写本にある限りでは、呼びかけても、揺すっても、目覚めることはない、とのことです」


 エレノアは、表情を目に見えて険しくさせた。


「つまり、儀式の最中は、完全に無防備になる、ということですね」


「その通りです」


 オーウェンが、静かに頷いた。


 エレノアは、低く呟いた。


「ジュリアンが、今のこの状況を知れば、これ以上ない好機と見るでしょう。刃を突きつけるだけで、全てが終わる」


 アルベルトは、深く息を吐いた。


「儀式そのものより、儀式を行える状況を作る方が、よほど難しいということか」


「次の満月は」


「十日後です」


 オーウェンが、静かに答えた。


「ですが、この状況で決行するのは、あまりに危険かと。私の口から申し上げるのも、僭越ではありますが」


「分かっている」


 アルベルトは、こめかみを押さえた。


「ジュリアンとの偽りの同盟、宮廷の目、そして私兵の存在。今すぐに動けば、命取りになりかねぬ。せっかく解薬が揃ったというのに、皮肉なものだ」


「では、どうなさいますか」


 エレノアの問いに、アルベルトは、しばし黙り込んだ。窓の外、欠けた月を見上げてから、やがて口を開く。


「解薬は、完成した。それだけで、大きな前進だ。だが、決行の時は、慎重に選ばねばならぬ。ジュリアンを抑え込み、周囲の守りを固めた上でなければ」


「次の満月とは、限らない、ということですね」


「ああ」


 アルベルトは、窓の外へ目をやった。


「月は、毎月満ちる。だが、命を懸けるに足る好機は、そう何度も巡ってこぬ。焦って動けば、全てを台無しにしかねぬ」


 エレノアは、しばらく黙り込んでいたが、やがて小さく息を吐いた。


「気が急く気持ちは、私にもあります。ですが、殿下の仰る通りです。ここで焦って、全てを失っては、元も子もありません」


「その通りだ」


 アルベルトは、静かに頷いた。


「あと少しの辛抱だ。ジュリアンの動きさえ制せれば、道は開ける」


 オーウェンは、三つの小瓶を、慎重に木箱へと収めた。蓋を閉じる手つきには、緊張がにじんでいた。


「この解薬は、私が責任を持って、王家の宝物庫に匹敵する厳重さで保管いたします。鍵は、私と殿下、お二人だけがお持ちください」


「頼む」


 アルベルトは、静かに頭を下げた。


「お前の働きは、決して忘れぬ。この国の行く末は、お前の手にかかっていたと言っても、過言ではない」


 オーウェンは、深く一礼した。


「もったいないお言葉です」


 そう言い残し、木箱を抱えて温室を後にした。その足取りには、長い任を終えた安堵と、これから始まる緊張とが、同時ににじんでいた。


 残されたアルベルトとエレノアは、しばし無言のまま、卓上に残された写本の写しを見つめていた。


「長かったですね、ここまで」


 エレノアが、静かに言った。


「ああ」


 アルベルトは、頷いた。


「だが、まだ終わってはおらぬ。むしろ、ここからが本番だ。解薬という武器を手にした今こそ、決して気を抜くわけにはいかぬ」


「肝に銘じます」


 エレノアは、そう言って、静かに目を伏せた。


 窓の外、雲の切れ間から、欠けた月がわずかに顔を覗かせていた。その光は、まだ満ちるには程遠い。だが、確かに、満ちる日は近づいていた。


 その光を、味方につけて迎えられる日が来るのか。それとも、無防備な数刻を狙われ、全てを失うことになるのか。


 答えは、まだどちらにも転びうる場所にあった。


(第26話へ続く)


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