第24話:偽りの同盟
王太子府、執務室。
エレノアは、焦りを滲ませた声で言った。
「このままでは、後手に回るばかりです。ジュリアン殿下の動きが読めない限り、こちらは守るだけで手一杯になります」
「探りを入れるにも、灰衣の男とやらが、あまりに巧妙すぎる」
アルベルトは、こめかみを押さえた。
「外から探れぬなら、内から探るしかあるまい」
「内から、とは」
エレノアが、怪訝そうに眉を寄せた。
「わし自身が、ジュリアンに近づく」
アルベルトは、静かに続けた。
「あやつは、国王への不満を持て余している。そこに付け入る」
「危険すぎます」
エレノアが、即座に反対した。
「あちらから探りを入れられているだけでも綱渡りなのに、自ら懐に飛び込むなど」
「だからこそ、意味がある」
アルベルトは、窓の外へ目をやった。
「あやつが最も欲しがっているのは、味方だ。わしがその役を演じれば、向こうから手の内を見せてくる可能性がある」
エレノアは、しばらく黙り込んだ後、深く息を吐いた。
「……分かりました。ですが、決して深入りなさらないでください」
「約束する」
それから三日間、アルベルトは、政務の合間を縫って、ジュリアンとの対話を幾度も頭の中で組み立て直した。
どこまで踏み込み、どこで止めるか。
どの言葉なら信じさせられ、どの言葉なら見抜かれるか。
二日目の夜、エレノアが、書き付けた紙片を手に執務室を訪れた。
「想定される問いを、書き出してみました」
紙には、几帳面な字で、いくつもの問いが並んでいた。次の玉座は誰が座るのか、味方はどれだけいるのか、いつ動くつもりか――ジュリアンなら必ず突いてくるであろう急所ばかりだった。
「よく調べた」
アルベルトは、紙片に目を通しながら、感心したように言った。
「殿下のお命がかかっています。抜かりがあってはなりません」
エレノアは、硬い声でそう答えたが、その手には、わずかな震えが残っていた。
「案ずるな」
アルベルトは、彼女の手にそっと触れた。
「わしとて、修羅場は初めてではない」
エレノアは、しばし黙り込んだあと、小さく頷いた。
そうして迎えた三日目。
ジュリアンの私室に、アルベルトの訪いを告げる声が響いた。
室内は、いつも通り整然としていた。壁際の書棚には隙間なく書物が並び、卓上の書類も几帳面に整えられている。ジュリアンという男の几帳面さと油断のなさが、そのまま部屋の空気に表れていた。
ジュリアンは、書類から顔を上げ、わずかに目を細めた。
「珍しいこともあるものですね。兄上が、私を訪ねてくるとは」
「話がある」
アルベルトは、椅子を勧められぬまま、静かに切り出した。
「一人で聞いてほしい」
ジュリアンは、灰衣の男へ目配せをした。男は音もなく退室していく。
「して、御用件は」
「父上のことだ」
アルベルトは、あえて声を低くした。
「このままでは、国が保たぬ」
ジュリアンの表情には、変化がなかった。だが、目の奥に、興味の色が滲んだように見えた。
「兄上らしくもない物言いですね。以前は、父上を諫めることはあっても、見限るようなことは仰らなかった」
「諫めるだけでは、もう足りぬ段階だ」
アルベルトは、静かに続けた。
「税は上げるだけ上げ、国庫を私物化し、外交では民の血を流しかねぬ真似までした。このままでは、遠からず、この国そのものが立ち行かなくなる」
「それで」
ジュリアンは、机に肘をついた。
「兄上は、何をお望みですか」
「父上に、玉座を退いていただく」
アルベルトは、まっすぐにジュリアンを見据えた。
「表向きは穏便に、療養か何かを理由にな。だが、それには、お前の力が要る」
部屋に、しばしの沈黙が落ちた。
ジュリアンは、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「面白い話です。ですが、俄かには信じがたい」
「疑うのは当然だ」
「これまでの兄上は、私を警戒していた。それが、急にこのような話を持ちかけてくる。裏があると考えるのが、普通でしょう」
ジュリアンは、静かに続けた。
「兄上こそ、私を利用するおつもりでは?」
「利用も何も」
アルベルトは、あえて苦い笑みを浮かべた。
「一人でできることなら、お前に頭を下げてなどおらぬ」
ジュリアンは、しばし考え込むように黙った。
「一つ、伺います」
「言え」
「もし父上を退かせたとして、次の玉座には、誰が座るおつもりですか」
核心を突く問いだった。
アルベルトは、わずかに間を置いてから答えた。
「今は、それを決める段階ではない。まず、父上をどうにかせねば、その先の話もできぬ」
「随分と、都合のいい先延ばしですね」
ジュリアンは、目を細めた。
「ですが、悪くない話です。少なくとも、今すぐ拒む理由はない」
「では」
「協力しましょう。ただし」
ジュリアンは、口の端を上げた。
「私からも、いくつか調べさせていただきます。兄上が、本当に本気かどうか」
「好きにしろ」
アルベルトは、静かに頷いた。
「わしに、疚しいことは何もない」
その言葉に、ジュリアンは小さく笑った。
王太子府に戻ると、エレノアが、待ちきれない様子で駆け寄ってきた。
「いかがでしたか」
「まずは、話だけは聞いてもらえた」
アルベルトは、椅子に腰を下ろしながら、順を追って語った。父上を諫めるだけでは足りぬと切り出したこと。玉座を退かせたいと明言したこと。そして、ジュリアンが「私を利用するおつもりでは」と鋭く切り返してきたこと。
エレノアは、時折、息を詰めながら聞いていた。
「次の玉座には誰が座るのか、とも聞かれた」
アルベルトは、報告を続けた。
「なんとお答えに」
エレノアが、身を乗り出すように尋ねた。
「今は決める段階ではない、とだけ」
アルベルトは、苦い顔をした。
「誤魔化しきれたとは思えぬ。あやつは、鋭い」
「信じたのでしょうか」
「半信半疑、というところだろう」
アルベルトは、椅子に深く座り直した。
「だが、探りを入れる糸口にはなった。あやつが、こちらを調べるために動けば、その動き自体が手がかりになる」
「諸刃の剣です」
エレノアは、表情を硬くしていた。
「あちらも、同じことを考えているはずですから」
「承知の上だ」
アルベルトは、低く呟いた。
「これは、化かし合いだ。先に尻尾を出した方が負ける」
窓の外、夕暮れの光が、二つの陣営の間に横たわる、見えない境界線を静かに照らしていた。エレノアは、その光を見つめながら、静かに息を吐いた。表向きの和解と、水面下の探り合い。どちらが先に相手の底を見抜くか、その一点に、これからの全てがかかっている。
(第25話へ続く)
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