第22話:第2王子の謀叛計画
王宮、ジュリアンの私室。
夜更け、燭台の炎だけが、静かに揺れていた。卓上には手つかずの書類が積み上がり、窓の外では虫の声さえ絶えている。誰もが寝静まった刻限、この部屋だけが、まだ起きていた。
灰衣の男が、一通の書状を捧げ持って現れた。
「ガーディナー侯爵の使いより、これを」
ジュリアンは、無言で受け取り、封を切った。
目を通すごとに、口元の笑みが、少しずつ深くなっていく。
「ほう」
書状には、丁重な言葉が連ねられていた。
国王の乱脈な散財、行き過ぎた増税、そして先だっての調印式での失態。侯爵をはじめとする一部の重臣たちが、王家への不信を募らせているという内容だった。
「もし殿下がお望みとあらば、我らは殿下を支持する用意がございます、か」
ジュリアンは、書状を卓上に置いた。
「随分と、都合のいい話だ」
ジュリアンは、書状を指先で弄びながら呟いた。
ガーディナー侯爵といえば、以前から国庫の浪費に苦言を呈してきた口うるさい老臣だ。頑固で融通が利かず、これまでは目の上のこぶ以外の何者でもなかった。その男が、今や自分から膝を折ろうとしている。
「お断りになりますか」
灰衣の男が、静かに問う。
「まさか」
ジュリアンは、椅子の背にもたれた。
「向こうから頭を下げてくるとはな。手間が省けた」
窓の外、庭園は闇に沈んでいる。
ジュリアンは、しばらく黙って天井を見上げていた。
(父上と、兄上――か)
二人とも、もはや邪魔でしかなかった。
父は、国を傾けるだけの愚か者に成り果てている。だが、それだけならば、まだよかった。あの父の下でなら、いずれ自分に機会が巡ってくるはずだった。
厄介なのは、兄の方だ。
以前の兄は、脅威になり得なかった。政務には興味を示さず、口を開けば説教ばかりの、退屈な男だった。だからこそ、油断していた。
だが、今は違う。国庫を守り、和平を進め、民の信を集めている。まるで、生まれ変わったかのように。あのまま放っておけば、次代の王として担がれるのは、自分ではなく兄になる。
あの一件以来、何かが狂い始めている。ジュリアンは、その正体をまだ掴めずにいた。だが、正体が分からずとも、対処すべきことに変わりはない。
「二人まとめて、始末する」
ジュリアンは、独り言のように呟いた。
「片方だけでは、意味がない」
「畏れながら」
灰衣の男が、あえて口を挟んだ。
「国王陛下を弑するとなれば、いかに理由を整えようと、殿下ご自身の立場も危うくなります」
「分かっている」
ジュリアンは、目を細めた。
「だからこそ、我が手を汚す必要はない」
「と、申しますと」
「父上には、父上らしい死に方をしていただく」
ジュリアンの声に、初めて昏い響きが混じった。
「暴君の末路として、誰もが納得するような形でな」
「兄君は」
「兄上には、もう少し繊細な筋書きが要る」
ジュリアンは、卓上の書状を、指先で軽く叩いた。
「あれほど評判のいい男を、あからさまに消せば、かえって民の反発を招く。事故か、病か……いずれにせよ、疑われぬ形でなければならん」
「時期は」
「急ぐ必要はない。だが、機を逃す気もない」
ジュリアンは、静かに立ち上がった。
「ガーディナー侯爵には、色よい返事をしておけ。ただし、こちらの手の内までは見せるな」
「かしこまりました」
「もう一つ」
ジュリアンは、書状を炎に近づけた。
紙が黒く縮れ、灰へと変わっていく。
「この書状の写しを、必ず一部残しておけ。裏切られた時のための、保険だ」
灰衣の男は、一瞬だけ眉を動かした。
「侯爵の弱みを、握っておかれるのですね」
「持ちつ持たれつ、というやつだ」
ジュリアンは、灰になった書状を見つめながら、微笑んだ。
「誰も、信用してはおらぬ。侯爵とてな」
灰衣の男が、音もなく退室していく。
一人残されたジュリアンは、窓辺に立ち、暗い王都を見下ろした。
王宮の灯りが、遠くにいくつも瞬いている。
あのどれか一つの下で、父が、兄が、それぞれの夜を過ごしているはずだった。
「もう少しだ」
ジュリアンは、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「もう少しで、すべてが、俺のものになる」
月のない夜だった。
闇の中で、彼の企みだけが、静かに形を成しつつあった。それはまだ、誰にも気づかれていない。父も、兄も、そして自らを支持すると申し出てきたガーディナー侯爵でさえも、この夜の呟きを知る由はなかった。
やがて、王都のどこかで鐘が鳴った。夜半を告げる、いつも通りの音だった。だが、その音は、ジュリアンの耳には、これから始まる何かの合図のように聞こえていた。
(第23話へ続く)
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