第21話:秘薬の製造
離宮、ヴィクトリアの私室。
卓上には、古びた革表紙の写本が広げられていた。
「書庫の奥、ようやく閲覧の許しが下りました」
ヴィクトリアは、疲れの滲む声で言った。
「思っていたより、時間がかかりましたね」
エレノアが、写本を覗き込みながら答えた。
「先代の頃の記録係が、すでに代替わりしていましたから。一から、王妃としての立場と、閲覧の資格を証明する羽目になりました」
ヴィクトリアは、扇の先で写本の一節を示した。
「これが、フィンレイの言っていた術の記述です」
アルベルトは、写本に目を落とした。
古い文字は判読しづらく、ところどころ虫食いで欠けている。
「銀朧草、月影蘭、そして涙露珠――この三種を、満月の光の下で調合したものが、術を解く鍵になる、とあります」
ヴィクトリアが、写本の文字をなぞりながら読み上げた。
「聞いたこともない名だ」
アルベルトは、眉を寄せた。
「私も同じです」
エレノアが、静かに首を振った。
「フィンレイに聞けば、何か分かるでしょうか」
「彼の専門は、毒と鑑定です。栽培や調合の細かな知識までは、期待できないでしょう」
ヴィクトリアが、扇を閉じた。
「宮廷薬師のオーウェンなら、あるいは」
「オーウェン殿ですか」
エレノアが、わずかに目を見開いた。
「王宮薬草園を長年預かる者です。堅物ですが、余計なことは決して口にしません」
ヴィクトリアは、静かに続けた。
「以前、私の実家との縁で、一度だけ助けたことがあります。恩を返すつもりで、動いてくれるかもしれません」
「頼めますか」
アルベルトの問いに、ヴィクトリアは頷いた。
「私から、話をつけましょう」
三日後、王宮薬草園の奥にある温室で、密やかな会合が持たれた。
昼間の作業員たちが引き上げたあとの温室は、しんと静まり返っている。ガラス越しの月明かりが、並んだ鉢植えを青白く照らし、湿った土と草の匂いが、狭い空間にこもっていた。見慣れぬ蔓草が、天井近くまで這い上っている一角もある。
オーウェンは、白髪交じりの眉を寄せ、ヴィクトリアから示された写本の写しを、食い入るように見つめていた。指先には、長年土に触れてきた者らしい、固く節くれ立った跡があった。
「銀朧草は、北の山地にしか自生しません。月影蘭は、さらに稀少で、国内にはほとんど出回っておりません」
オーウェンは、低い声で言った。
「涙露珠に至っては、私も名を聞いたことがある程度です」
「入手は可能ですか」
エレノアが、単刀直入に尋ねた。
「不可能ではありません。ですが」
オーウェンは、写本から顔を上げた。
「銀朧草だけでも、採取から数えて二十日はかかりましょう。月影蘭は、さらに時間を要します。涙露珠に至っては、どこに当たりをつければよいのかすら、今は分かりません」
「時間との勝負、か」
アルベルトは、低く呟いた。
「殿下」
オーウェンが、あらためてアルベルトへ向き直った。
「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「言え」
「これは、何のための調合にございますか」
部屋に、一瞬の沈黙が落ちた。
アルベルトは、ヴィクトリアと視線を交わした。
「詳しくは話せぬ」
やがて、静かに答える。
「だが、この国の行く末を左右する、それだけは確かだ」
オーウェンは、しばし黙り込んだ。
「王妃陛下からのお頼みです。詮索はいたしません」
やがて、深く頭を下げた。
「私にできる限りのことは、いたします」
「恩に着る」
アルベルトは、静かに頭を下げ返した。
「ただし」
オーウェンが、あらためて釘を刺すように言った。
「この件、私一人の裁量で動かせる話ではございません。薬草園の出入りは、記録が残ります。不審な動きがあれば、いずれ誰かの目に留まりましょう」
「気づかれる可能性がある、と」
エレノアが、表情を硬くした。
「絶対にないとは、申し上げられません」
オーウェンは、正直に答えた。
「ですが、記録を細工する程度のことは、私の裁量でできます。しばらくは、それで凌げるはずです」
その夜、王太子府に戻ったアルベルトは、エレノアと二人、執務室で向き合っていた。
「二十日、いや、もっとかかるかもしれん」
「その間、ジュリアンを抑え続けねばなりません」
エレノアの声には、隠しきれない緊張があった。
「あやつは、すでに秘蔵酒の正体に気づき始めている」
アルベルトは、窓の外へ目をやった。
「時間をかければかけるほど、勘づかれる危険が増す」
「それでも、急いては、術そのものが失敗しかねません」
エレノアは、静かに言った。
「オーウェン殿の言葉を信じるなら、材料は正しく揃えねば、意味がないのでしょう」
「分かっている」
アルベルトは、こめかみを押さえた。
「だが、悠長に構える余裕もない」
窓の外、月がわずかに欠け始めていた。
次の満月まで、まだ多くの時間が残されている。長いようで、あまりに短い時間だった。ジュリアンの動き、民の期待、そして日々崩れていく国王の威信。そのどれもが、待ってはくれない。
それが、希望なのか、それとも、破滅までの猶予に過ぎないのか。
今はまだ、誰にも分からなかった。
(第22話へ続く)
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