第15話:解毒薬の捜索
王宮の外れ、薬草の匂いが染みついた小屋に、エレノアは供も連れずに訪れていた。
住人は、老薬師のフィンレイである。
白髪を無造作に束ね、指先はいつも何かの粉で汚れている、王宮に古くから仕える人物だった。
表向きは、毒物の鑑定を頼んでいることになっている。
棚には、乾いた薬草の束や、由来の知れない小瓶が所狭しと並んでいた。
卓の隅では、すり潰された粉末が小皿の上に山を作っている。
夕暮れの光が窓から差し込み、埃の舞う空気を淡く照らしていた。
「例の木片と、香りの成分について、何か分かりましたか」
エレノアは、単刀直入に尋ねた。
「分かった、というより」
フィンレイは、卓上に広げた古い書物を指し示した。
「思い出した、というほうが近いですな」
「思い出した?」
「白檀に似て非なる香り、木箱に刻まれた紋様の欠片、そして毒見を拒む酒」
フィンレイは、指を折りながら並べ立てた。
「これらは、若い頃に一度だけ読んだ禁書の記述と、あまりに一致しております」
エレノアは、思わず身を乗り出した。
「禁書とは」
「王家の書庫の奥、さらに封じられた一角にあるものです」
フィンレイは、書物のページを繰った。
「かつて、この国の建国以前に使われていたという、魂を移す秘術についての記録でしてな」
「魂を、移す」
エレノアは、声を掠れさせた。
「詳しいことは、私にも分かりません。読んだのは、若い頃にほんの数ページだけです」
フィンレイは、正直に答えた。
「ただ、術を解くには、特定の薬草と、満ちた月の光が必要だったという一文だけは、覚えております」
「薬草の名は」
「そこまでは。書庫の奥へ入る許しは、私にはございません」
「あの記述を読めたのは、若い頃、先代の陛下に特別のお許しをいただいたおかげでした」
フィンレイは、遠くを見るような目をした。
「今、この話をしているだけでも、本来は許されないことです」
フィンレイは、声を落とした。
エレノアは、しばし言葉を探した。
「それでも、お話しくださるのですね」
「長年、王家に仕えてまいりましたので」
フィンレイは、皺の刻まれた顔で、静かに笑った。
エレノアは、しばし考え込んだ。
「王妃陛下に、お願いするしかなさそうですね」
「そのほうがよろしいでしょう」
フィンレイは、静かに頷いた。
その夜、王太子府の執務室で、エレノアはアルベルトへ報告した。
「秘蔵酒の正体が、ようやく見えてきました」
「話してくれ」
アルベルトは、書類から顔を上げた。
エレノアは、フィンレイから聞いた内容を、順を追って話した。
禁書に記された、魂を移す秘術。
解除に必要な薬草と、満月の光。
アルベルトは、しばらく黙って聞いていた。
「にわかには信じがたい話だが」
やがて、低い声で言った。
「わし自身が、その術の結果を生きているのだからな」
「王家の書庫に、詳細な記録があるはずだと、フィンレイは言っていました」
「書庫の奥は、代々の国王にしか閲覧を許されていない」
アルベルトは、眉をひそめた。
「今のわしでは、入れぬ」
「ヴィクトリア様に、お願いしましょう」
エレノアの提案に、アルベルトは頷いた。
「あやつなら、閲覧の許しを得られるだろう」
「薬草の入手も、簡単ではないかもしれません」
「そうだろうな」
アルベルトは、窓の外へ目をやった。
「だが、手がかりが見えただけでも、前進だ」
「薬草は、どこで手に入るのだ」
アルベルトが問う。
「フィンレイも、詳しくは知らないそうです。おそらく、王家の書庫か、専門の薬師の手を借りねば」
エレノアが答えた。
「一朝一夕には、いかぬか」
「はい。相応の時間がかかるかと」
エレノアは、静かに頷き返した。
エレノアは、安堵と緊張の入り混じった表情を浮かべているように見えた。
同じ頃。
王宮、ジュリアンの私室では、灰衣の男が片膝をついていた。
「王家の書庫について、王妃陛下が異例の許可を申請されたとの報せが入りました」
「書庫? 何のためだ」
ジュリアンは、怪訝そうに問い返した。
「詳細は分かりません。ただ、封印区画への立ち入りを求めたとのことです」
「封印区画……」
ジュリアンは、しばらく考え込んだ。
やがて、記憶の底から、ある言葉を引き出した。
あの秘蔵酒を手配した仲介人が、かつて呟いていた言葉。
「『保証はできないが、人を愚かに変える効果がある』」
あの時は、性根を変える毒か何かだと思い込んでいた。
深く追及しなかったのは、効けばそれでいいと考えていたからだ。
ジュリアンは、仲介人の得体の知れない笑みを、今になって薄気味悪く思い出していた。
「まさか」
ジュリアンは、声に初めて動揺を滲ませた。
「あの酒は、単なる毒ではなかったのか」
灰衣の男は、答えを持たなかった。
「調べろ。急いでだ」
「かしこまりました」
灰衣の男が姿を消したあとも、ジュリアンはしばらく窓の外を見つめていた。
自分が仕込んだはずの一手が、自分の理解を超えた何かへ変わっている。
ジュリアンは、その事実だけを、はっきりと胸に刻んだ。
これまで積み上げてきた計画が、根底から揺らいでいる。
だが、退く道は、もう残っていなかった。
(第16話「近衛隊の抱き込み」へ続く)
お読みいただきありがとうございました!
面白かったらぜひ【ブックマーク】とページ下の【★★★★★評価】で応援よろしくお願いします。




