第14話:夜会での伏線
離宮の大広間には、夜になってもシャンデリアの明かりが、着飾った招待客たちを照らしていた。
弦楽の調べとグラスの触れ合う音の中、諸侯や貴族たちが、あちこちで歓談している。
グラナダとの和平交渉が思いのほか進んでいるという噂も、招待客たちの間でひそかに囁かれていた。
表向きは、誰もが穏やかな夜を楽しんでいるだけに見える。
アルベルトは濃紺の礼装で広間の隅に立ち、隣にはエレノア、少し離れた場所にはヴィクトリアが控えていた。
王太子と婚約者、そして王妃が並んで出席することを、誰も不自然だとは思わなかった。
「変わった様子は」
アルベルトは、小声で尋ねた。
「今のところはありません」
エレノアは、広間を見渡しながら答えた。
「近衛は、給仕に紛れて三名。ヴィクトリア様が手配してくださいました」
「十分だ」
この十日、王太子府は表向きいつも通りに過ごし、増税の手続きを進め、政務をこなし、何も気づいていないふりを続けてきた。
その裏では、信頼できる近衛だけを選び、今夜のために密かに配置を固めていた。
やがて、エレノアは、給仕の列の中に見覚えのない顔をふと見つけた気がした。
だが、瞬きをする一瞬で、その人影は人混みへ紛れてしまう。
気のせいかもしれないと思いながらも、エレノアは油断なく周囲へ視線を配り続けた。
「王太子殿下」
声をかけてきたのは見覚えのない侍従で、銀の盆に一通の書状を乗せている。
「グラナダ大使館より、火急のご相談があるとのことです。中庭の東屋にて、お待ちしております」
アルベルトは、差出人の名のない書状を受け取った。
封蝋の意匠は、グラナダの紋章に似ているものの、細部がわずかに違っていた。
「分かった」
短く答え、侍従を下がらせる。
「陛下」
エレノアが、囁くように呼んだ。
「これは」
「罠だろうな」
アルベルトは、書状を折り畳んだ。
「グラナダが、こんな回りくどい真似をする理由がない」
「行かれるのですか」
「行く」
アルベルトはヴィクトリアへ目配せを送り、ヴィクトリアも小さく頷き返した。
「エレノア、共に来い」
「私が、ですか」
「婚約者が同席しても、誰も怪しまぬ」
エレノアは、一瞬だけ考え込んでから答えた。
「承知しました」
エレノアは、迷いのない表情をしているように見えた。
二人は人混みを縫って広間を出たが、中庭にはほとんど人がいなかった。
東屋は、庭の奥、木々に囲まれた場所にある。
案内に立った侍従が、先を歩いていく。
夜風が木立を揺らし、遠くの広間から漏れる灯りだけが、二人の足元をぼんやりと照らしていた。
「こちらでございます」
東屋の前で、侍従が足を止めた。
「大使館の方は」
アルベルトが問う。
「もう少々、お待ちを」
侍従は、不自然な間を置いて答えた。
アルベルトが足を止めたのと、ほぼ同時だった。
「エレノア、下がれ」
そう言うなり、侍従が懐から短刀を抜いた。
先ほどまでの慇懃な態度は、跡形もなく消えていた。
銀色の刃が、月明かりを弾く。
アルベルトは横へ跳んだが、鍛えていない身体は思うように動かず、間一髪でかわすのが精一杯だった。
刃は、アルベルトの袖をわずかに裂いただけだった。
「曲者!」
エレノアが声を張り上げると、侍従――否、刺客は舌打ちをした。
二撃目を放とうとした、その瞬間。
東屋の脇に置かれていた燭台を、エレノアが蹴り倒した。
炎が乾いた芝生へ広がり、刺客の足元で火の粉が舞う。
刺客が、一歩下がった。
「王太子殿下!」
物陰から、ヴィクトリアが手配していた近衛が三人、飛び出してきた。
刺客は周囲を見渡し、勝ち目がないと悟ったのだろう、塀のほうへ走り出す。
「追え!」
近衛のひとりが叫び、後を追った。
残る二人が、周囲を固めるように立つ。
エレノアが、アルベルトへ駆け寄った。
「陛下、お怪我は」
「かすり傷だ」
アルベルトは、裂けた袖を見た。
「エレノア、そなたのおかげで助かった」
「とっさに、身体が動いただけです」
エレノアは、まだ息を整えられずにいた。
「まさか、いきなり切りかかってくるとは」
アルベルトは近衛に命じて、燃え広がる火を踏み消させた。
「捕らえられるといいが」
その言葉通りにはいかなかった。
半刻後、追跡に出た近衛が、息を切らして戻ってきた。
「殿下、申し訳ございません」
「逃げられたか」
「離宮の外れで、姿を見失いました。訓練された動きでした」
アルベルトは頷いたが、驚きはなかった。
「素人の仕事ではないと、最初から分かっていた」
広間へ戻ると、何事もなかったかのように夜会は続いており、誰も中庭での出来事に気づいていない。
ヴィクトリアが、扇の陰で声を潜めた。
「無事で何よりです」
「ああ」
「これで、ジュリアンの狙いは確定しましたね」
「そうだな」
アルベルトは、談笑する招待客たちを見渡した。
何も知らない、いつも通りの夜会の裏側で、命のやり取りがあったことなど、誰も想像していない。
「次は、もっと巧妙な手を使ってくるだろう」
「備えは」
「今夜の分かったことを、活かすしかない」
アルベルトは、エレノアへ視線を向けた。
「よくやった」
「陛下こそ」
エレノアは、まだ震えの残る手を、そっと握りしめた。
「ご無事で、何よりです」
「もう一つ、考えねばならぬことがある」
アルベルトは、声を落とした。
「何でしょう」
「秘蔵酒の一件だ」
ヴィクトリアが、扇を握る手にわずかに力を込めた。
「ジュリアンが本気で牙を剥いてきたとなれば、あの酒の正体も、悠長に構えてはいられぬ」
「王宮薬師への探りは、続けています」
エレノアが、静かに答えた。
「近いうちに、何か分かるかもしれません」
「頼む」
三人はそれぞれの場所へ戻り、何事もなかったかのように夜会の続きを演じた。
だが、確かなことがひとつだけあった。
ジュリアンは、もう後戻りする気がない。
(第15話「解毒薬の捜索」へ続く)
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