第4話 付和雷同
「ソラ……! ソラ、目を開けて!」
遠くでルナの悲痛な叫びが聞こえるが、俺の身体は指一本動かせない。神話級の魔力を強引に引き出したツケは、想像以上に凄まじかった。
全身の血管が焼き切れるような痛みが走り、呼吸をするだけでも肺が痛む。
だが、そんな肉体の苦痛すら置き去りにするほどの異変が、迷宮の中で起きていた。
『――システム、第一調律フェーズへ移行します――』
『世界規律の崩壊度:0.03%。原因物質の強制デリートを開始』
頭の奥に響く冷徹な機械声と同時に、迷宮の「背景」が変わり始めた。
石造りだったはずの壁や床が、まるで古い絵の具が剥がれ落ちるようにノイズを上げ、その奥から無機質な、半透明の光のキューブで構成された『世界の骨組み』が剥き出しになっていく。
(世界が……壊れていってんのか……?)
いや、違う。俺の『有言実行』が無理やり因果をねじ曲げたせいで、この世界の修正プログラムのようなものが作動してしまったのだ。
ドスン。
迷宮の最深部、さらに奥の闇から、空間を震わせる足音が響いた。
それは先ほどの『虚空の捕食者』が放っていた禍々しい殺気とは、根本的に異なるものだった。
感情が一切ない。ただ「そこに在る異物を消す」という目的のためだけに動く、絶対的な防衛機構の気配。
闇を割って姿を現したのは、純白の甲冑に身を包んだ、顔のない巨兵だった。
その手には、大気をジリジリと灼く十字の光剣が握られている。
「な,にあれ……魔獣じゃない。この迷宮に、あんな守護者なんていないはずなのに……!」
ルナが俺を庇うように前に出るが、その背中は恐怖で小さく震えていた。彼女の魔力は先ほどの戦いで底をつきかけている。それに対して、現れた白銀の巨兵から溢れ出るプレッシャーは、先ほどの神話級魔獣すら子供騙しに見えるほど、底が知れなかった。
巨兵が、無機質に光剣を持ち上げる。
標的は――ルナではなく、その背後に倒れている俺だ。
(クソ、動け……動けよ……!)
必死に念じるが、限定解除が切れた俺の肉体は完全にロックされている。
今、あの光剣が振り下ろされれば、俺も、俺を庇っているルナもまとめて消し飛ばされる。
巨兵の剣が、容赦なく上段から振り下ろされようとした、その瞬間。
「――『バグの排除、ね。確かにそいつは規律違反だ。まったく同感だよ』」
迷宮の入り口の方から、ひどく緊張感のない、軽薄な男の声が響いた。
その瞬間、振り下ろされかけていた巨兵の光剣が、ピタリと空間で停止した。いや、停止したのではない。巨兵自身が、まるで「自分の意志で攻撃を中止した」かのように、滑らかに剣を引き戻したのだ。
「……え?」
ルナが目を見開く。
コツ、コツ、と静かな足音を立てて闇から歩み寄ってきたのは、黒い外套を羽織った、片目に眼帯をつけた見知らぬ男だった。
男は俺たちの前で足を止めると、顔のない巨兵を一瞥し、ふっと退屈そうに息を吐いた。
その男の胸元で明滅したステータスプレートには、彼が宿す『成句』が刻まれていた。
――『付和雷同』。
他人の意見にただ流されるだけ、主体性のない凡愚が持つとされる、絵に描いたようなハズレ成句。魔法の出力を決める「格」のシステムにおいても、最底辺に位置する雑魚能力のはずだった。
しかし、男――レイが、自身の成句を小さく口ずさむと、世界の空気が一変した。
「お前たちの言う通りだ、世界システム。この少年はバグだ。だから――今すぐそこで自壊するべきだよね?」
レイが巨兵に向かって、親しげに語りかける。
その瞬間、信じられないことが起きた。
世界が放った絶対の防衛機構であるはずの巨兵が、まるで親密な上司の命令を聞くかのように、深く頷いたのだ。そして、自身の持っていた十字の光剣を、迷わず己の胸へと突き立てた。
バキィィィィン! と、空間を揺るがすガラスの割れるような音が響き、巨兵の身体が内側から自壊し、光の粒子となって霧散していく。抵抗する素振りすらなく、ただ世界の「規律」そのものが反転して自滅したかのような、あまりにも静かで、圧倒的な光景だった。
「消え……た? 一言で、世界のシステムを書き換えたの……?」
ルナの細い肩が激しく震える。彼女の持つ『一騎当千』の破壊力とは全く質の違う、世界の理そのものを手玉に取るような不気味な力。
「書き換えてなんかいないさ。俺の成句は『付和雷同』――ただの腰抜けの言葉だ」
レイは外套のポケットに手を突っ込み、倒れている俺を見下ろした。その眼帯のない方の瞳には、俺の視界の端で明滅しているものと全く同じ【奇妙な光の文字列】が浮かんでいる。
「俺はただ、あの巨兵が持っていた『バグを排除する』という絶対のルールに、100%同意して同調しただけさ。世界規律の権限を右から左へ受け流し、その矛先を『巨兵自身』にちょっとずらしてやった。相手が完璧なルールであればあるほど、俺はそれに寄り添うだけで、どんな中身にも染まれる」
自分の軸を完全に無くすことで、世界のあらゆる最強のルールを内側から乗っ取る。
それこそが、最弱と蔑まれた成句の、スタイリッシュ極まる真の姿だった。
「さて」
レイは俺の目の前で片膝をつき、視線を合わせてくる。
「お前がソラだな。一応、初めましてと言っておこうか」
「あんた……一体……」
掠れた声でどうにかそれだけを絞り出す。レイは短く鼻で笑った。
「お前と同じ、世界に『バグ』と認定された成句の保持者さ。ソラ、お前は大きな勘違いをしている。自分の成句を『口にしたことを強制実行する呪い』だと思っているだろう? だが、それは違う」
レイの言葉が、霧がかっていく俺の意識に深く突き刺さる。
「お前が今までやってきた十万回の無茶は、能力による強制じゃない。お前自身の『絶対に約束を裏切らない』という狂気的な意志が、システムを騙し、実績を積み上げていただけだ。お前の『有言実行』の本質は、世界に対する【絶対命令権】。俺の『付和雷同』が世界に付き従う力なら、お前は世界を従える力だ」
対極にある、二つのバグ。
レイは満足そうに口元を歪め、俺の肩を軽く叩いた。
「だが、今のままじゃお前はその力に振り回されて、いずれ世界そのものに消される。……生き延びたいか?」
男の問いかけに、俺の答えは最初から決まっていた。
恐怖で震えたあの日から、俺の身体を縛る言葉の檻。それが俺に「生きろ」と、そして「ルナを守り抜け」と叫んでいる。
「生きる、さ……。俺は、あいつと約束したんだからな……」
「いい返事だ。なら、その言葉(有言)を実行するために、お前を俺たちの組織へ招待してやる。世界の理をひっくり返す、バグたちの集まりにな」
その言葉を最後に、俺の意識は完全に深い闇へと落ちていった。




