第3話 軽薄音乾
俺の踏み込みと同時に、迷宮の床がクレーター状に爆ぜ、吹き飛んだ。
「――が、ああああああッ!!」
凄まじい風圧が全身を襲う。だが、肉体の限界をとうに超えているはずの俺の身体は、白銀の炎に護られ、寸分のブレもなく加速し続けていた。
一瞬。たった一瞬で、俺と『虚空の捕食者』の距離がゼロになる。
魔獣は、すでに自身の絶対防御が紙切れのように引き裂かれたことを理解していた。
漆黒の巨躯が、焦燥に駆られたように激しく波打つ。実体を持たないはずの影の身体が、俺の放つ白銀の魔力に触れただけで、ジリジリと灼かれ、煙を上げて消滅し始めていた。
『――対象の回避行動を検知。因果の再固定を執行します――』
脳内に響く世界の声。
魔獣は空間を転移し、俺の死角へと逃れようとした。だが、空間が歪むより早く、世界そのものが魔獣の身体を「その場所」へ縫い付ける。
逃がさない。
外さない。
なぜなら、俺が「一振りの一撃でブチ抜く」と言葉(有言)にしたからだ。
世界は俺にそれを実行させる義務があり、この空間にいるすべての理は、俺の言葉を達成するためだけに強制駆動している。
「ギ、ギギ、ギィィィィィィィッ!!」
逃亡を封じられた魔獣が、死に物狂いでその巨大な顎を突き出してきた。
空間ごと俺を噛み砕き、因果の書き換えごと無に帰そうという、神話級の意地。
「ルナの前に、その汚ぇ口を突き出してんじゃねぇ……ッ!!」
咆哮とともに、俺はなまくら刀を振り下ろした。
ただの、叩きつけるような真っ直ぐな一太刀。
そこに剣技の極意も、洗練された魔術の術式もない。あるのはただ、10年間バカにされながらも、一日も欠かさず繰り返してきた十万回の『有言実行』の重みだけだ。
キィィィィィィィン――ッ!!
極限まで圧縮された白銀の刃が、魔獣の暗黒の顎と衝突した瞬間、耳を聾するような高音が迷宮を満たした。
一瞬の拮抗。いや、それは拮抗すらしていなかった。
パリ、とひび割れる音がした。
次の瞬間、魔獣の顎が、その漆黒の体躯が、空間ごと真っ二つに両断された。
「え……?」
後ろで、ルナの呆然とした呟きが聞こえた。
天才魔術師の彼女だからこそ、今、目の前で起きたことの異常性が理解できたのだろう。
魔法の威力は成句の格に比例する。その世界の絶対ルールを、魔法すら使えないはずのFランクが、一振りの刀で、それも世界最高峰の災厄を相手にひっくり返したのだ。
両断された『虚空の捕食者』の身体が、白銀の炎に包まれ、内側から消滅していく。
塵一つ残さない。俺が口にした通りの結末が、完璧に実行されていく。
『――対象の完全消滅を確認。宣言【次の、たった一振りの一撃で、あの化け物を塵一つ残さずブチ抜く】の実行を完了しました――』
『実績達成にともない、一時的な成句ランクの仮託を終了します。限定解除、解除』
カチリ、と頭の中でスイッチが切れるような音がした。
「が、は……っ!?」
同時に、全身を包んでいた白銀の炎が霧散し、猛烈な負荷が俺の肉体を襲った。
神話級の出力を引き出した代償だ。全身の筋肉が悲鳴を上げ、視界が急激に暗くなっていく。なまくら刀が手からこぼれ落ち、床に甲高い音を立てて転がった。
膝から崩れ落ちそうになる俺の身体を、誰かが必死に抱きとめる。
「ソラ! ソラ、しっかりして……っ!!」
ルナの声だ。彼女の手が、ガタガタと震えながら俺の肩を掴んでいる。その顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
いつも遠い場所にいた天才が、今は俺を必死に見つめている。
「……悪い、ルナ。ちょっと、疲れちまった……」
「馬鹿! 馬鹿ソラ! なに、今の……なんなのよ、あなたのその力は……っ!」
泣きじゃくるルナを見て、俺は意識が遠のく中で、心の底から安堵していた。
守れた。あの日交わした約束を、俺は確かに実行したんだ。
だが、安堵したのも束の間。
俺の霞む視界の端に、再び『世界の声』の文字列が不穏に明滅し始めた。
『――警告。固有成句『有言実行』の真の機能が世界システムに開示されました――』
『これより、世界規律による当該個体の【調律・及び排除シークエンス】が起動します――』
(排除、だと……?)
世界をハックする圧倒的な力。
しかしそれは、この世界の法則を維持する『何か』にとって、決して許されないバグの発生を意味していた。
意識が完全に闇に落ちる直前、俺の耳に、迷宮のさらに深い場所から、地響きのような不気味な足音が響いてくるのが聞こえた。




