第四話 灯す(ともす)
アルケーの洞窟を後にしてから数日が過ぎた。
深い森を抜け、視界が開けた瞬間にアレクスとコハルが目にしたのは、雪に覆われたなだらかな大平原と、その中央に陣取る途方もない規模の都市だった。
「うわぁ……っ!」
アレクスは思わず声を漏らした。
宿場町『パラトゥス』。
そこは大陸を縦横に貫く巨大な街道が交差する、まさに交通と物流の心臓部だった。アレクスの知る村々とは比較にならない無数の石造りの建物がどこまでも立ち並び、四方から伸びる街道からは、絶え間なく荷馬車と人々が町へと吸い込まれていく。
町へ足を踏み入れると、そこは活気と喧騒の渦だった。
雪を跳ね飛ばす馬車の車輪の音。商人たちの威勢の良い掛け声。そして種々多様な建物に、至る所に掲げられた色鮮やかな看板の数々。
アレクスの胸は高鳴っていた。
辞書の中だけに閉じ込められていた言葉たちが、この町では生きて、確かに人々の生活に溶け込んでいる。
「アレクス、いろんなお店を回ってみようよ!」
「うん!楽しみだね!」
二人は意気揚々と駆け出した。
アレクスもコハルも、目を輝かせて店を回った。二人がこれまでに見たことのない大きな店と、様々な商品に興奮を隠せなかった。
ある程度店を回りおなかも空いてきたので、町の中心にある食堂に入って昼食を取ることにした。
――店に入ろうとしたまさにその時、その食堂から一人の男が乱暴に叩き出されてきた。
「とっとと失せな!いつもいつもツケで飲んだくれやがって……。いい加減ツケを払うまでは店に入れないからな!」
「おいおい、冷たいこと言うなよ……」
「大丈夫ですか?」
アレクスが駆け寄ると、雪の上に投げ出されたその男はアレクスを制し、面倒くさそうに頭を掻きながら、白い筒のようなものを銜えたままゆっくりと立ち上がった。
「ああ大丈夫だ。ありがとな坊主。」
「いえ。それより、どうされたんですか?」
「いやぁ、ここの店主が小さいやつでな。そのうち払うって言ってるのに追い出されちまった。」
男は長く黒いローブにダボダボのパンツを履いている。それほどみすぼらしい格好には見えなかった。
「えっ?食べ物を食べるのにお金払ってないの?おじさんの方が悪いじゃない。」
コハルの純粋な言葉に男は手酷いダメージを受けた。
「うっ……!そんなこと言うなよぉ。俺だってそのうち払うって言ってんだぜ?」
「いや、どう考えてもすぐ払わないとダメでしょ……。」
「世知辛いねぇ。」
男は体に着いた雪を払い終えると
「じゃ、またな。」
と言い、そのまま立ち去ってしまった。
「うーん、アイツかぁ。悪いやつには見えねぇよなぁ。どうしたもんかね。」
男は面倒くさそうに頭を掻いた。
二人が昼食を終え町を散策していると、とても興味深い情報が入ってきた。どうやらこの町に王立図書館があるようだ。
「コハル!王立図書館だって!きっと沢山本があるんだろうなぁ……。」
「はいはい。どうせ行くんでしょ。私も興味あるし。」
二人が図書館の前に立つと、今までに見たことのない大きさの建物に改めて驚愕した。
「うわぁ!近くで見ると本当に大きいね!早く入ろう!」
アレクスは小さい子供のようにはしゃぎ、今にも駆けだしそうに入っていった。
しかし、いざ図書館に入ってみると印象はガラッと変わり、二人とも何とも言えない表情になってしまった。
その理由は、
「おうお前たち。こんなところに何しに来たんだ?」
先ほど食堂を追い出されていた男が声をかけてきた。
「あっ、さっきの。えっと、僕は言葉に興味があって、こんなに大きな図書館があったので……。」
「へぇー、そっか。変わったやつだな。それで?入ってみた印象は?」
「えっ⁉えーっと……。」
アレクスが言い淀んでいると男は笑いながら答えを促してきた。
「まあだいたいわかるけどよ。たぶん来たやつら全員が思うだろうから、正直に言ってみな!」
「はい、なんというか、本が大分少ないと言いますか……。」
アレクスたちが肩透かしを食らった理由は、本棚のどこを見ても隙間があるほど、本の数が足りていなかったのだ。
男は質問を続けた。
「そうだよなぁ。せっかく元は王立だったんだから、もう少しまともに棚を埋めてくれねえと、そりゃガッカリするわな。それが、今となっちゃ職員すらいねぇ。ただ本がまばらにおいてあるだけのゴミ捨て場になっちまって。」
「えっ?元なんですか?」
「そりゃそうだろ。じゃあお前、王立ってどの王国が建てたっていうんだ?今じゃ王国なんてありゃしねえのに。」
たしかにそうだ。王国がなければ王立なんてありはしないはずだ。
アレクスが疑問を口にしようとしたところで男が先んじて聞いてくる。
「じゃあなんで王立なのか。んで、なんでこんなに本が少ないのか、わかるか?」
アレクスは本が少ない原因を聞いたことがある。
「世界的な焚書があって、その影響でここにあった本も減ってしまったのでしょうか。」
「そうそう!よく知ってるな坊主。」
「この図書館も戦前は沢山の本に埋め尽くされていたのさ。それが今じゃこのありさまだ。本は人生を豊かにしてくれるものなのになぁ。」
アレクスは男の言葉に心を打たれると同時に、心に暗雲も立ち込めてしまった。
アレクスが暗く俯いてしまったのを見て男は尋ねた。
「恨むか?」
「いえ、その王様も世界から戦争をなくそうとして、こんなことをしたんですよね。それに成功もしているじゃないですか。実際に僕たちは戦争を知りません。」
「……。」
「ですから、これはわがままなのかもしれませんが、だからってみんなが苦しむことはないじゃないですか!だから僕は、恨んだりするんじゃなくて、もっと良い解決策を探したいと思います。」
男は逡巡の後、苦笑いを浮かべながら答えた。
「みんながそうできたらよかったんだけどなぁ。戦争っつーもんは、それだけ人の心を殺しちまうってもんだ。お前も友達と喧嘩なんかしたときは、そりゃもうなんにも考えらんなくなるだろ?」
「はい……。」
「大人になっても同じってことだ。それが子供の喧嘩どころじゃなくて、国を、世界を壊しちまうかもしれねぇ大きさなんだ。そしたらよ、誰だってまともな判断ができなくなるのが当たり前ってこった。」
男は少し居心地が悪そうに、白い筒を懐から取り出して銜えた。
「さっきも気になっていたんですけど、それって何なんですか?」
「コイツか?なんだろうな。でも、たしかにコイツを吸ってたんだが、そうやって吸ってたんだかなぁ……。」
その筒には何やら茶色いもさもさがぎっしり詰まっている。男はそれを頻りに吸っているようだ。
「なんかこう、もっとあたたかみがあったと思うんだがなぁ……。」
あたたかみ?この筒が?それに吸っていたって……。
いくつもあるようだし、試してみてもいいかもしれない。
「あの……、もし一本台無しになってもよければなんですけど、やってみてもいいですか?」
「お、なんだ?何本かあるからいいぜ。」
アレクスは筒の先端から見える茶色いもさもさに火を灯した。
数秒の後、その筒の先端は灰になり、煙が出てきた。
男は少し驚いたが、躊躇いなくそれを吸ってみた。
「……っ!……あ゛~っ!これだよこれ!」
男は目に涙を浮かべて浸っていた。
(コイツ、こんな風に魔法を使えるのか……。)
男が筒を一服したその時だった。
「ジリリリリリリリリリリリリ!」
突然けたたましくベルが鳴り響いた。三人とも何事かとあたりを見回す。
すると、最奥の壁が引き戸のように開き中から巨大な影が姿を現した。
「おいおい、なんだありゃ⁉」
それは巨大な人のようだった。しかし、人というにはあまりに金属質であり、関節からはギシギシとひっかくような音が聞こえてくる。目の部分が鈍く光っている。
三人は見たこともない巨体に驚愕した。自分の背丈の五倍はあろうかというほどの巨体だ。
驚いているのもつかの間、その巨体はどんどん三人に距離を詰めてきた。
そして三人をめがけ手を伸ばす。
「避けろ!」
男が叫び、三人は一斉に飛び退く。
巨体がその手を強く握りしめたのだ。どうやら自分たちを捕まえようとしているらしい。
「えっ?ど、どうしたらいいんだろう……。」
アレクスが未だ戸惑いから抜け出せないでいる様子を見て、男は声をかけた。
「どうやら俺らを捕まえようとしてるらしい。ひとまず、コイツを黙らせる!」
「……!はい、わかりました!」
アレクスとコハルは息を合わせ、同時に魔法を放った
「烈火!」
「疾風!」
二人の魔法が同時に巨体を襲う。
しかし、巨体の体は風に傷つけられることはなく、炎にも怯むこともない様子でこちらに迫ってくる。
「なによコイツ⁉何でできてるのよ!」
「クソ、俺もやるしかねぇか……。氷結!」
男の放った氷結で巨体の手足が凍り付いた。巨体の動きが少し鈍ったが、すぐに氷の呪縛を解き、また暴れだした。
が、首のあたりからわずかに煙が上がったのを男は見逃さなかった。
「効いているのか……?氷礫!」
氷の礫をぶつけるが、巨体の体には傷を付けることすらできない。
(こっちはダメか……。)
「氷結!」
男が巨体の動きを止め、二人が猛攻を仕掛ける。
すると、先ほどよりも明確に首元から煙が上がり、ギシギシギシッ!と金属の歪むような異音が響いた。
「おい!どうやら効いてはいるみたいだぜ。このまま打ち込み続けるぞ!」
「坊主!とにかくコイツに攻撃し続けろ!ぶつけるんじゃなくて、コイツを呑み込むようにしろ!」
「わかりました!火焔!」
「氷結!」
三人は休むことなく魔法を放ち続けた。
そして
ボフッ!
首元から大量の黒い煙を上げ、巨体はそれきり動かなくなった。もう目元の光もなくなっている。
「ふぅー……。」
三人はドサッとその場に座り込んだ。
――しばらくした後、男が立ち上がりアレクスとコハルに尋ねた。
「お前たち、見たことない魔法を使うよな。そんなもん、どこで知った?」
二人は顔を見合わせた。
コハルが口を開く。
「私の風は、村の伝承に残っていたものよ。ただ、村では呪いの力だと思われていて、誰も使おうとはしなかったけど。」
アレクスはしばらく俯いて考えていた。
(炎の存在を、簡単に教えてよいものなのだろうか。だけど、この人は僕たちを助けてくれた。僕たちを置いて逃げることもできたはずだ。きっと大丈夫……。)
「僕も村に昔から伝わる祠に辞書があったので、それで知りました。」
男は少し考えた後、アレクスに尋ねた。
「お前はその力をどう使うんだ?その力は先の戦争で使われてたものなんじゃねぇか?」
アレクスは真っ直ぐに男の目を見つめ、答えた。
「ある人に教えてもらいました。たしかにこの魔法は戦争で使われていたものだそうです。ですが、炎や風が世界からなくなって、一面凍り付いてしまった今では、何の罪もない人まで苦しんでいます。そんなのおかしいと思うんです。」
アレクスの目に一層力が増した。
「だから!僕はみんなにこのあたたかさを知ってもらいたいんです!世界を救うなんてできないかもしれないけど、みんなに教えることならできると思うんです!」
男はしばらく黙っていた。
それからふと、懐に手を入れ、白い筒を取り出した。
「悪い。また点けてくれるか?」
「えっ?あ、はい。」
「……ふぅー。わかった……。」
「若いやつらだけじゃ何かと大変だろ。特に坊主の方は、集中すると周りが見えなくなるみたいだしな。」
アレクスは申し訳なさそうに顔を赤らめた。
「ついて行ってやるよ。俺はヴィード。お前たちは?」
「僕はアレクスです。」
「コハルよ。よろしくね、おじさん。」
「おいおい、おじさんはねぇだろ!助けてもらっておいて!」
「はいはい。行くわよ、おじさん。」
「おい!」




