第三話(上) 業(わざ)
シジマ村を出発してから数日。二人の旅路は、これまでになく穏やかなものだった。
コハルが時折、春を呼ぶ童唄を口ずさむ。すると、凍てつく雪道にふわりとあたたかな『恵風』が吹き抜け、二人の体を優しく包み込んだ。
「アレクスの言う通りね。私の風、本当にあたたかいわ。」
「うん。コハルの風は本当にあたたかいね。僕も助かるよ。」
アレクスは笑顔で頷き、地図を開いた。
「ええと、このまま北東へ進めば、今日中には『パラトゥス』っていう大きな宿場町に着くはずだ。そこなら、きっと僕の知らない言葉や本が――」
アレクスが顔を上げた、その時だった。
ピキッ……、ピキキキキッ!!
「えっ……?」
コハルが息を呑んだ。
先ほどまであたたかな風が吹いていたはずの地面が、一瞬にして白く染まり、凄まじい速度で凍りついていく。
異常な冷気に、二人の吐く息が白く濁った。
「見つけたぞ。お前だな。」
冷たい声が、どこからともなく聞こえてきた。
あたりを見回すと、雪に覆われた木々の中に、黒く長いローブを深々と被った人影が立っていた。アルバス村を襲撃した、あのローブの男と同じ装束だった。
「アレクス、誰なのあいつら⁉」
「僕にもわからないけど、僕の村を襲ってきたやつと同じ格好だよ!」
アレクス達が身構えているとローブの男たちは短く
「氷礫」
「氷霰」
と唱えると、まるで石礫のような氷の塊がアレクス達に降り注いだ。
「暴風!」
「火柱!」
アレクス達も応戦するが、すべてを防ぎきることはできない。アレクスはよけようとするが、氷の塊が頭を掠めた。
「つっ……!」
掠っただけでも頭にズキズキと痛みが走った。
(あの短さでこの威力……⁉)
アレクスは戸惑っていた。詠唱しようとするも、矢継ぎ早に次の魔法が飛んでくるのだ。
村のみんなも確かにこのくらいの詠唱速さだったが、それとはあまりにも桁違いの威力だった。なんとかあの氷の礫を防がないと!
なんとかすきを見てアレクスが詠唱する。
「くっ……。触れたものを糧として燃え上がり、入るものを飲み込め!火焔!」
炎に触れた氷が瞬時に溶ける。
しかし、
「凍雨」
と男が一言放つと、雨が降ってきた。
アレクスの炎が消えてしまう。いや、それだけではない。アレクス達に降り注いだ雨は、体に当たると凍り付いたのだ。
「……っ!溶解!」
アレクスがすぐに氷を溶かし、コハルが風で雨雲を追い払った。
それもつかの間、ローブの男が
「濃霧」
と言い放つとあたりを濃い霧が包んだ。あっという間に水蒸気に囚われ、視界は真っ白に染まり、息苦しさすら感じる。
コハルが再び風を起こそうとした、その時。
霧の向こうから別の男の声が聞こえた。
「氷結」
――ピキっ!
固い異音が響いたが、一瞬何が起こったかわからなかった。
体勢を整えようとした時
「えっ?」
アレクスの手足が凍り付いてしまって動かせなくなっていた。
先ほどの『濃霧』によって服や肌に付着していた大量の水滴が、一瞬にして分厚い氷の鎧へと変貌し、アレクスの手足を完全に拘束していたのだ。
「うぁ……!」
体に張り付いた氷が、容赦なく体温を奪っていく。指先の感覚が消え、焼けるような痛みまで襲ってきた。もはや、指一本動かすことも難しい。
動きを封じられてしまったアレクスを見て、コハルが悲痛な叫びを上げた。
「砂塵を纏って視界を塞げ!黒風!」
木の葉や砂埃を巻き上げるほど激しい黒い暴風が渦巻き、ローブの男たちを取り巻いた。
視界を完全に奪われた男たちが、舌打ちをして風を抑え込む。
やがて黒い風が晴れ、あたりを見渡すも――すでに、少年少女の姿はどこにもなかった。
――コハルはまともに動けなくなったアレクスの肩を担いで、森の中を進んでいた。何とかして休める場所が必要だ。このままでは凍傷になってしまう。今すぐ温めないと!
森の中を進んでいくと洞窟を見つけた。
「あそこよ!アレクス。もうだから少し頑張って!」
二人は洞窟の中へ入った。
その洞窟はどうやら誰かが使っている形跡がある。奥には机に書物が並んでおり、老人が座っていた。
「誰だ⁉お前たちは。」
「ごめんなさい。人がいるとは思っていなくて。この子が凍傷になりそうなの!ここで休ませてください。」
老人は少年の鞄に目をやり、一瞬はっとしたような表情を見せたが、二人は気付かなかった。
「それはいかん。早く火を熾さんと!」
老人は急いで火を熾し、二人は息をついた。
老人は背丈ほどもある、長く白いローブを纏っていた。ローブはかなり古く、所々ボロボロになって解れている部分もある。
「あなたも炎を知っているんですね。なぜですか?」
「なぜとは?」
「ご存じかと思いますが、世界中から炎や風は存在を消されていました。僕たちはそれを取り戻すために旅をしているんです。だから、炎や風を知っている人がいるとは思わなかったんです。あなたが炎魔法を使える理由を教えてください。」
「そうだな。だが……、」
老人は静かに言う。
「お前さんも、自分がそんなことを聞かれたら困るのではないか?」
たしかに。どんな理由であれ、今あったばかりの人間に秘密は、しかも普通でないことは教えないものだろう。
「すみませんでした。正体のわからない人たちに追われたりして、少しピリピリしていたのかもしれません……。」
「いや、いい。お前さんたちが不埒な輩でないことはわかっている。」
老人は少しの間考え、そして切り出した。
「私が世界に存在しないはずのものを知っている理由は教えられんが、そのかわり、私の知っている魔法の性質を教えてやろう。質問の答えにはなっていないが、それでよいか?」
「いいんですか⁉お願いします!僕はアレクスと言います。」
「私はコハルです。」
「私はアルケーだ。よろしくな。」
こうして二人は、しばらくアルケーに魔法を教わることになった。




