第20話:(前編)三相の聖刻騎士と、呪われし乙女たち
聖都の夜が、物理的な「闇」に塗り潰されていく。
アリアという名の蓋を失った大聖堂の地下深く――そこには、数千年にわたって教会が浄化を装い蓄積し続けてきた、世界中の『呪具』の澱みが、黒い太陽となって顕現していた。
「……ア、アアア……ッ!!」
聖都の門を抜けたばかりのテレーザが、馬から転げ落ち、狂乱の叫びを上げる。
彼女の信じていた「神の光」は、その実、溜まりすぎた呪いの残滓を燃料にした偽りの輝きに過ぎなかった。聖杯を失った今、その光は一転して、触れるものすべてを腐らせる死の泥となって溢れ出していたのだ。
「……マスター。……嫌な予感がします。世界が、泣き声を上げているわ……♡」
エルの結晶化した右腕に頬を寄せ、うっとりと目を細めていたアリアが、急に表情を引き締める。彼女の抱えていた空虚な聖杯の残影が、遠く聖都の中心で渦巻く「深淵の呪い」に共鳴していた。
「エル、見て! 聖都が……街が飲み込まれていく!」
エレナが指差した先。白亜の城壁が内側から崩壊し、黒い霧が生き物のように地を這って、逃げ惑う民衆を飲み込んでいく。
「……行かなければなりません。僕が始めたことです。僕の光で、あの闇を止めないと」
エルはふらつく足取りで、再び聖都の方角へと向き直った。
右腕はもはや肘の上まで白銀の結晶と化し、その亀裂からは絶えず命の残滓が火花となって散っている。もはや、次の浄化が最後になることは誰の目にも明らかだった。
「お兄ちゃん! だめだよ、行ったら本当にお兄ちゃんが消えちゃうですぅ!」
ベルがエルの裾を掴んで泣きじゃくる。
「……主様。……私は、壁。……でも、主様の命を守れない壁なんて……ただのガラクタ。……行かせたくない……」
ミスティもまた、バイザーを下ろしたまま、その場に立ち尽くしていた。
「……みんな、聞いて。僕はこの腕が動かなくなっても、魂が砕けても、君たちと出会えたことを後悔していません。君たちが『道具』ではなく、笑い、怒り、恋をできる『人間』に戻れた。それだけで、僕の旅には意味があったんです」
エルは結晶の指先で、ルミナの頬に触れた。
「ルミナさん。……最後にもう一度だけ、僕の剣になってくれますか?」
ルミナは唇を噛み締め、溢れそうになる涙を乱暴に拭った。
「……当たり前でしょ! アンタが死ぬまで、私はアンタの剣よ! でもね、勝手に燃え尽きるのは許さないんだから! 私たちを置いていくなんて、絶対に、絶対に許さないんだからね!」
その時、エルの『聖刻』が、これまでにない異質な共鳴を始めた。
エルの背後から、無数の「光の糸」が虚空へと伸びていく。
それはかつてエルが浄化しようとしたが、まだ出会えていなかった世界中の『呪具』たちの呼び声。エルの覚悟に応えるように、伝説の武具たちが、所有者を失ったまま、あるいは持ち主を振り切って、星の瞬きとなってエルの元へ集結し始めたのだ。
「これは……!? 世界中の呪具が、エルに集まっていく……!?」
ピコが驚愕に目を見開く。
大剣、全身鎧、首飾り、聖杯。
四人のヒロインたちの力が、エルの結晶化した右腕を核として、一つの巨大な「光の理」へと収束していく。
「――【三相の救済者】。……我が命を薪にするのではなく、君たちの『愛』を楔として、宿命を書き換える!」
エルの全身が、まばゆい黄金の光に包まれた。
結晶化していた右腕は、砕け散るのではなく、神々しい白銀の義手のような「光の腕」へと進化する。背中からは六枚の光翼が広がり、エルの瞳は、この世のすべてを慈しむ神のような金色の輝きを宿した。
「……お待たせしました。……最後の、浄化を始めましょう」
エルが地を蹴った。
もはや重力さえも彼を縛ることはできない。
光の軌跡を空に刻みながら、エルは闇の奔流に包まれた聖都へと突っ込んでいく。
その背後を、実体化した乙女たちが追う。
「エル! 離れないわよ、地獄の果てまで!」
「……主様。……私が、あなたの皮膚。……傷一つ、つけさせない……」
「お兄ちゃん、ベルが道を照らすですよ!」
「マスター、貴方の行く先に、死の静寂を捧げましょう……♡」
絶望に染まった聖都の空に、一筋の、けれど決して消えることのない「光の楔」が打ち込まれた。
大聖堂の天辺。闇の核の中で、テレーザが血を吐きながら空を仰いでいた。
「……ああ。……あれが、本物の……神の使い……」
エルの光の腕が、巨大な闇の心臓へと届こうとした、その時。
空を切り裂いて、セレスが現れた。彼女の目には、初めて熱い涙が浮かんでいた。
「……物語の頁が、今、破り取られる。……エル。運命を、奪い返しなさい!」




