第18話:異端審問と乙女の絆
聖都の片隅、ノエルが案内した隠れ家である古い倉庫の二階。
外は激しい雨が石畳を叩き、遠くから軍靴の足音が不気味に近づいていた。
「……うっぁ……っ」
ベッドに横たわるエルの呼吸は浅く、その右腕は肩口まで黒い結晶に侵食されていた。禁書庫で知った残酷な真実と、セレスから見せられた未来の断片。その精神的な衝撃が、限界近かった彼の肉体を内側から崩壊させようとしていた。
「エル様……。なんてこと、こんなに熱い……」
エレナが濡れたタオルでエルの額を拭うが、エルの体から放たれるのは、命を削る『聖刻』の異常なまでの微熱だった。
「――屋根裏の鼠共! 大人しく出てきなさい!」
階下から、拡声魔法を通したテレーザの冷酷な声が響く。
「異端者エルを差し出せば、他の者の命は不問に処す。拒むというなら、この一帯を不浄の地として焼き払うまでよ!」
窓の外を見れば、松明を持った異端審問局の騎士団が、建物を完全に包囲していた。
「……っ、あいつら、本気だよ。ここには一般の住人もいるっていうのに!」
ノエルが窓の隙間から外を覗き、恐怖に顔を歪める。だが、彼女は震える手でエルの左手を握り締めた。
「あんた、逃げな。あたしが時間を稼いでやるから……」
「……いいえ。ノエルさん、あなたはエル様の側にいてあげてください」
エレナが静かに立ち上がった。彼女の瞳には、かつての未亡人の影はなく、一人の戦士としての鋭い光が宿っていた。
「ちょっと、エレナ。一人で行くつもり? 私を置いていくなんて、百万年早いわよ」
ルミナが実体化し、大剣の柄を強く握り締める。エルの魔力供給が途絶えかけているため、彼女の輪郭は僅かに揺らめいていたが、その意志に揺らぎはなかった。
「……私も、行く。……主様の眠りを、一秒も……邪魔させない」
ミスティもまた、白銀のバイザーをガシャンと閉じ、重厚な足音を立てて歩み出る。
「でも、お姉ちゃんたち! お兄ちゃんがいないと、ベルたちの魔力は……」
ベルが不安げにエルの裾を握る。呪具ヒロインにとって、エルは動力源そのもの。彼が眠っている今の状態での戦闘は、自らの存在を削る行為に等しい。
「ベル。……エルは、今まで何度も私たちを救ってくれたわ。自分の命を削ってまで、私たちの闇を抱きしめてくれた」
エレナがベルの頭を優しく撫でる。
「今度は、私たちが彼を守る番よ。道具として振るわれるのではなく、一人の女として、彼のために戦うの」
三人はノエルとベルを部屋に残し、一階の扉を開けて、雨の降りしきる屋外へと踏み出した。
「あら、主を差し出す気になったかしら?」
十字架メイスを肩に担いだテレーザが、嘲笑と共に迎え撃つ。
「残念ね。……私たちは、あなたたちに屈服するためにここへ来たのではないわ」
エレナが光の弓を引き絞る。魔力供給がないため、その矢はいつもより細く、儚い。だが、放たれた一本は、テレーザの頬を掠めて後方の騎士を地面に縫い付けた。
「生意気な……! 捕らえなさい! 呪具は無力化し、接収する!」
騎士団が一斉に襲いかかる。
ルミナが大剣を振るい、三人の騎士を装甲ごと吹き飛ばす。
「接収? 誰をよ! 私はエルの剣! 他の誰にも、指一本触れさせないんだから!」
『――いいわよ、ルミナ! もっと暴れなさい!』
大剣の中から自身の魂を鼓舞する声が響く。
「……重力、展開。……ここから先、通行禁止」
ミスティが地面を叩くと、周囲の騎士たちが目に見えない重圧に押し潰され、次々と膝をつく。
エルという支えがない中、彼女たちは自らの魂を燃やして戦っていた。
「……不愉快ね。ただの道具が、これほどまでの自我を持つとは」
テレーザが動き出した。巨大なメイスを軽々と振り回し、ミスティの重力結界を強引に打ち砕く。
「っ!? ……重力が、弾かれた……!?」
「神の加護を受けたこの武器に、異端の力は通じないわ。――砕け散りなさい!」
テレーザの一撃がミスティを襲う。ルミナが横から大剣で受け止めるが、凄まじい衝撃に二人は石畳を転がった。
「あ、う……っ。魔力が……足りない……」
実体化を維持する魔力が底を突きかけ、ルミナの腕が透け始める。
「さあ、終わりよ。その汚らわしい聖刻騎士と共に、神の炎に焼かれなさい」
テレーザがメイスを高く掲げる。
万事休す。そう思われた瞬間――。
隠れ家の二階から、一点の曇りもない黄金の光が溢れ出した。
「……あ」
ルミナが顔を上げる。
ミスティが、エレナが、そしてベルが。
彼女たちの体に、これまでにないほど温かく、力強い魔力が流れ込んできた。
『……みんな、ありがとうございます。……僕のために、戦ってくれて』
エルの声が、風に乗って戦場に響く。
倉庫の窓から飛び出してきたのは、右腕を白銀の結晶へと変え、背中に四枚の光翼を広げたエルの姿だった。
彼はまだ目を閉じたままだった。だが、その意識はヒロインたち全員と深く、強く同期していた。
「……お兄ちゃん! 起きたの!?」
「いいえ……。主様は、眠ったまま……。……でも、私たちの心と、繋がってる……!」
エルを中心に、五人の絆が一本の光の柱となって立ち上る。
それは教会の語る偽りの神罰ではなく、互いを想い合う者たちだけが放てる、真実の救済の光だった。
「……聖刻が、進化した……!? 馬鹿な、魂を燃やし尽くしているはずなのに、なぜ力が溢れるのよ!」
テレーザが驚愕に目を見開く中、エルを囲む乙女たちは、これまでにない最強の陣形を整えた。
「――行くわよ、みんな! エルが見せてくれたこの光で、あいつらをぶっ飛ばすわよ!」




