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【分割版】王女は二度と妹の身代わりにはならない  作者: あずきまんま


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第4話_嫌だと言われたら、やめる人

 冬が終わるころ、ティルシェは北方の復興計画を正式な王立事業にした。


 古代祭壇の調査結果をまとめ、他地域の結界にも応用できるよう王立魔術院と共同研究を始める。


 忙しかった。


 けれど以前とは違った。


 自分で選んだ仕事だった。


 誰かの代わりではない。


 春の初め、霜の谷で見つかった術式について西方のヴェルグラード公爵家から問い合わせが届いた。


 公爵領にも古い結界があり、ティルシェの研究を応用したいという。


 手紙には具体的な質問が十七項目も並んでいた。


 ティルシェは面白くなり、三日かけて返事を書いた。


 一か月後。


 王立魔術院で開かれた研究会に、ヴェルグラード公爵家の嫡男が参加した。


 そこでティルシェは、エルディナス・ヴェルグラードと初めて会った。


 二十五歳。


 黒に近い緑色の髪と灰青色の瞳を持つ、背の高い男性だった。父である公爵が病気になってから三年、領地の実務をほとんど任されているという。


 研究会が終わると、彼はティルシェへ近づいた。


「第一王女殿下。お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


「質問ですか?」


「はい」


「十七項目の続き?」


 エルディナスが少し驚いた。


「数えていらしたのですか」


「当然でしょう」


「申し訳ありません。多すぎました」


「いいえ。面白かったです」


 ティルシェが答えると、彼は初めて笑った。


「では、十八個目を聞いても?」


「どうぞ」


 二人はそのまま魔術院の応接室へ移った。


 質問は具体的だった。


 北方では四つ使った補助魔石を、西方では三つに減らせないか。


 結界維持のために必要な魔力量は。


 冬季に地脈が弱まる場合の対処は。


 ティルシェが答えると、エルディナスは必ず理由まで聞いた。


 分からないことは分からないと言った。


 知ったふりをしない。


「殿下の報告書を読みました」


 話の途中で彼が言った。


「三百八十二頁あるもの?」


「はい」


「全部?」


「全部です」


「珍しい人ね」


「必要な情報でしたから」


「王宮でも全部読んだ人は少ないわ」


「もったいない」


 エルディナスは本気でそう思っているようだった。


「現地の記録が細かい。特に避難所の魔力灯についての記述が参考になりました」


 ティルシェは少し驚いた。


 結界術そのものではない。


 避難所で、子どもや老人が夜に転ばないよう設置した簡易魔力灯の記録だった。


「そこまで読んだのね」


「現場で必要だったものが書かれているので」


 その言葉が嬉しかった。


 ティルシェは王女だから褒められることに慣れている。


 けれど、自分が実際にした仕事を読んだ上で評価されることは多くなかった。


 気づけば二時間近く話していた。


「申し訳ありません」


 エルディナスが時計を見る。


「長く引き止めました」


「私も話していたでしょう」


「それでも」


「嫌なら途中で終わらせています」


 ティルシェが言うと、彼は少し黙った。


「では、次も質問していいですか」


「もちろん」


「ありがとうございます」


 それが二人の最初の会話だった。


◇


 エルディナスは月に一度ほど王都へ来るようになった。


 共同研究のためだった。


 最初の数回は、本当に研究の話しかしなかった。


 五度目の訪問で、初めて食事に誘われた。


「会議のあと、お時間はありますか」


「あります」


「よければ夕食をご一緒しませんか」


 ティルシェは少し考えた。


 エルディナスは何も付け足さない。


 返事を待っている。


「二人で?」


「はい。嫌でしたら研究員たちも誘います」


「嫌ではないわ」


「では二人で?」


「ええ」


 食事中も、仕事の話が半分だった。


 残り半分は互いの領地や家族の話だった。


 エルディナスには十歳下の弟がいる。


 弟が幼いころ、何でも世話を焼こうとして嫌われた時期があったらしい。


「『自分でできる』と言われまして」


「それで?」


「やめました」


「すぐに?」


「嫌だと言われたので」


 ティルシェは手を止めた。


「それだけ?」


「それ以上、何が必要ですか」


「……そうね」


 簡単なことだった。


 嫌だと言われたらやめる。


 ティルシェが何年も求めて、得られなかったものだった。


 その日から、エルディナスを見る目が少し変わった。


◇


 夏。


 ティルシェは西方の結界を視察するため、ヴェルグラード公爵領へ向かった。


 エルディナスが同行した。


 彼は有能だった。


 宿泊地には先に必要な資料が届いている。


 移動時間に無理がない。


 現地の担当者は質問への答えを準備している。


 ティルシェが追加で見たいと言った村にも、その日のうちに連絡が入った。


「いつ準備したの?」


「殿下が来ると決まった日に」


「私が何を見たいか分からなかったでしょう」


「これまでの質問から予想しました」


「外れたら?」


「使わなければいいだけです」


 無駄になる可能性まで考えて準備していた。


 しかも、その準備を理由にティルシェの行動を制限しない。


「午後は予定が空いています」


 視察三日目、エルディナスが言った。


「休んでもいいですし、別の場所をご覧になっても構いません」


「あなたなら何を見る?」


「北の水門です」


「では行きたいわ」


「分かりました」


「最初から連れていくつもりだった?」


「いいえ。休みたいと言われれば宿へ戻るつもりでした」


「本当に?」


「殿下は私を何だと思っているのです」


「準備のいい人」


「否定できません」


 ティルシェは笑った。


 ローディンも、ティルシェができることをよく知っていた。


 だから任せた。


 エルディナスも、ティルシェができることを知っている。


 けれど彼は、できるかどうかと、やりたいかどうかを別に聞く。


 その違いは大きかった。


◇


 視察の最終日。


 山間部の結界塔で事故が起きた。


 古い術式の一部が破損し、魔力が漏れ始めた。


 ティルシェは現場へ向かった。


「私も行きます」


 エルディナスが言う。


「危険よ」


「知っています」


「あなたは魔術師ではないでしょう」


「現地の地形と避難路は私の方が知っています」


 確かにそうだった。


 二人は騎士と魔術師を連れ、塔へ向かった。


 内部では魔力の流れが乱れている。


 ティルシェが術式を調べる間、エルディナスは周辺住民の避難を指示した。


 誰をどの道へ動かすか。


 家畜をどこへ集めるか。


 怪我人をどこへ運ぶか。


 判断が早い。


 ティルシェが結界を一時停止させるころには、塔の周辺から住民は全員離れていた。


「補助陣を作ります」


 ティルシェは魔術師へ指示した。


 作業は夜まで続いた。


 最後の術式を固定したところで、足元が揺れた。


 壁の一部が崩れる。


「ティルシェ!」


 初めて名前で呼ばれた。


 エルディナスが腕を引き、落ちてきた石から庇う。


 二人とも床へ倒れた。


「怪我は?」


 彼は自分の腕から血を流していた。


「あなたの方が怪我しているじゃない!」


「これくらいは大丈夫です」


「その言葉、嫌い」


 ティルシェが言うと、エルディナスが動きを止めた。


「……すみません」


「大丈夫かどうかは私が見るわ」


 傷は深くなかった。


 布を巻き、止血する。


 エルディナスは黙って任せていた。


「痛い?」


「少し」


「最初からそう言えばいいの」


「はい」


 ティルシェは思わず笑った。


「素直ね」


「嫌だと言われたので」


 こんな状況なのに、胸が温かくなった。


 結界はその夜のうちに安定した。


 塔を出たときには夜が明け始めていた。


 エルディナスは疲れているはずなのに、ティルシェの歩調に合わせている。


「先に行っていいのよ」


「一緒に戻ります」


「私なら歩けるわ」


「知っています」


 彼はそこで一度言葉を切った。


「できることと、一人でやらせていいことは別でしょう」


 ティルシェは足を止めた。


「今、何て?」


「何か変でしたか」


「いいえ」


 ティルシェは首を振った。


「何でもないわ」


 けれど、その言葉を忘れなかった。


◇


 王都へ戻ってからも、エルディナスとの交流は続いた。


 手紙が増えた。


 研究の話だけではなくなった。


『領地で今年最初の葡萄が採れました。以前、酸味が強いものが好きだとおっしゃっていたので送ってもよろしいですか』


『よろしいです。ただし一箱で十分です』


 返事を書いた。


 届いたのは本当に一箱だけだった。


 以前のティルシェなら、それが普通だと思っただろう。


 今は、約束通り一箱しか送らなかったことが少し嬉しい。


 秋の終わり。


 エルディナスが王都へ来た。


 研究会のあと、王宮の庭を歩いた。


「一つ、お話があります」


 彼が言った。


「研究?」


「違います」


 いつもより緊張している。


「聞きます」


「私は、あなたを好いています」


 ティルシェは立ち止まった。


 エルディナスも止まる。


「いつから?」


「はっきり自覚したのは、西方へ来ていただいたころです」


「結界塔の前?」


「前です」


「では、どうして今まで言わなかったの?」


「あなたが自分の仕事と生活を立て直している最中に、私の気持ちまで背負わせたくなかったので」


「それだけ?」


「それに、急かしたくありませんでした」


 ティルシェは彼を見た。


「返事は?」


「今はいりません」


「またそれね」


「何がですか」


「私の返事を待つ」


 エルディナスは不思議そうだった。


「待つものでは?」


「そうね」


 ティルシェは笑った。


「でも、今回は今答えるわ」


 彼の表情が変わる。


「私も、あなたが好きです」


「……本当に?」


「なぜ疑うの?」


「予想より早かったので」


「有能なのに、そこは予想を外すのね」


 エルディナスが珍しく言葉を失った。


 ティルシェは楽しくなった。


「ただし、すぐ結婚の話はしないで」


「分かりました」


「もう考えていた?」


 沈黙。


「考えていたのね」


「少し」


「どのくらい?」


「公爵邸のどの部屋をあなたの執務室にするか」


「かなり先まで考えているじゃない!」


「口にしなかったので許してください」


「勝手に部屋を決めないで」


「決めていません。候補を三つ考えただけです」


「それも早いわ」


 ティルシェは笑った。


 エルディナスも笑う。


 恋愛とは、もっと苦しいものだと思っていた。


 相手に合わせるもの。


 我慢するもの。


 自分が強ければ、相手を支え続けるもの。


 違った。


 言っていい。


 嫌なら嫌だと。


 嬉しければ嬉しいと。


 まだ待ってほしいとも言える。


 それを聞いてくれる人もいる。


お読みいただきありがとうございました!


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