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バルガク。  作者: ホワイト大河
第一章 踏み出したから、始まった
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追憶の彼方に(8)

 11月11日(日) 16:18


 屋上に出た。遠くの空は赤みがかってきて、徐々に青を奪われていく。ずっと人ごみの中に居たため、さすがに疲れ切っていた俺とテルは、人気の少ないところを求めて屋上へと上がってきたが、どうやらここにもポツポツと人は居るらしい。


「どっか他を探そうか?」

「……ここで良いよ。多分ここが一番人が少ないから」


 今日一日で、随分とテルの表情が変わってきた気がする。ここしばらく当たり前になっていた、不自然な作り笑顔はあまり見られなくなった。代わりに疲れがどっと出たらしくあまり笑うこともなくなったが、ただ俺が何か言ってやると、昔のように純粋に笑っていた。


 こういう笑顔のテルを見て痛感する。元の関係に戻りたい。出来れば恋人として、でも高望みだと分かっているから、友達で良い。屈託のなく澄み切った空のような笑顔を、ずっと見ていたい。俺は今日一日の行動を通して結論を見出していた。


「文化祭、あっという間だったね」


 テルはフェンスに腕をかけてつぶやいた。彼の髪が風になびいて、ふんわりと俺のもとに独特な甘い香りを運んでくる。この匂いを強くかぐ度に、どうしようもなく俺の性欲が昂ってくるのが常だった。だが今は、あまりそんな気持ちは無かった。


「今日一日、楽しかったか?」

「……うん、ありがとう」


 テルの言葉が本心からである事を願いたい。俺はテルの横に立って、同じようにフェンスに腕をかけ、空を見上げた。先ほどよりずっと赤かった。……俺は勇気を振り絞って、息を大きく吸い込んだ。



「ごめんな」



 俺は言った。どうにか言おうと思っていた事を、ずっと思っていた事を、言えた。テルに貸したノートの端にも、どうにもいたたまれなくなって、書いた言葉だった。でもそれを、今日は口で言えた。

 「ごめんな」と言ってしまえば、自分の罪を認めたことになる。だが、ごめんを言わずに喧嘩を終えていいのは小学生までだ。いつまでも、謝ることから逃げちゃいけない。俺自身が、傷つくことを恐れて、謝れなかったんだ。テルの気持ちなんて、考えてはいなかった。でも、今日特に感じた。やっぱり、謝ろうと思った。二人一緒の時間を、あの追憶の彼方から、取り返したい。


「……え、何が?」


 テルはこちらを見て、不思議がった。確かに脈絡の無い謝罪の言葉ではあった。ちゃんと説明しなければ、伝わらない。自らの罪を声に出して言うのは怖かった。それこそが、本当の罰のような気がした。


「……いや……」


 なかなか言い出せなかった。どこからどこまでを謝ればいいか分からなかったのもある。時間が許すならば、一年前の夏のあの日からの事を、何から何まで全部謝りたい。

 屋上にポツポツと集まっていた人は、よく見るとどれも二人組で、いずれもカップルのようだった。もちろん学校柄、男子同士のカップルの方が多かったが、中には夕陽をバックにキスするカップルもあった。宙に浮いた俺の視線は、思わずそっちの方を見てしまっていて、あとから俺の視線を追ったテルも、それを見てわずかに頬を赤らめた。

 しかしそれと同時に、俺が「何を」謝ったのか、どうやらテルに伝わったようだった。俺はテルの目を見れなかった。テルは、どう思っただろう。俺の口が、言い訳がましく動いた。


「……あの時から、ずっと後悔してた。俺自身の欲望のために、お前を傷つけたこと……」


 テルは無言のままだったし、俺は未だにそちらを見る事が出来ない。あの時を思い出した。カナにフラれて、俺は世界に取り残された。いつも通りめぐる世界の中で、沈んでいく俺の感情は、当時の俺には全く制御が効かなかった。自分が壊れてしまったからとはいえ、他の誰かを壊してしまって良いはずがない。そんな事も分からなかった俺は、笑顔で寄り添ってくれたテルを、壊したくなったのかもしれない。


「抵抗しなかったお前を、利用した。本当に悪かった」


 テルの横顔を見た。茶髪が夕陽に映え、色素の薄い目から、ゆっくりと雫がこぼれた。



「怖かったんだ」



 その一言は、俺の胸を締め付ける。俺の守りたかったテルを、俺は苦しめていた。そんな事、分かっていたはずなのに。改めて俺は、犯した罪の重さを、受けねばならぬ罰の重さを、思い知らされていた。テルから次の一言は出てこない。俺がもう一度謝ろうと、今度は頭も下げて謝ろうと、柵を離れて体をテルに向けた時、右手でその涙を拭ったテルが口を開いてくれた。


「洋次が僕に求めているものが何か…… 考えればすぐ分かったけど、分かったからこそ怖くて」


 ……逆に俺は、その言葉の正確な意味が分からなかった。俺はテルに何を求めていたのだろうか。

 その時テルが、ようやくこちらを向いた。


「代わりでしょ?」


 涙が次々とこぼれ落ちる。もう拭う事もしなかった。彼の微笑みは、いつも以上に儚く、そして美しかった。ありとあらゆる感情を、持っていきそうになった。

 ……違う。代わりなんかじゃない。すぐにそう言い返したかったが、そう言い切れない自分が居る事に、俺はすぐ気付いた。あの時、カナにフラれて、その愛情の矛先を失って…… カナとテルが似てる、と思ったことなんて一度もない。しっかりしていて動くカナ、ボーッとしていて動かないテル、真反対と言っても良かった。でもあの時は、いつの間にか重ねていたのかもしれない。盲目な俺は、現実から目をそらしていたのだから。


 だが…… 今の俺は違う。少なくともあれから、それでもテルと一緒にいた俺は、カナの面影を探してテルと付き合っていたわけではない。失ってしまったお前との思い出を求めて、俺はお前とともに居たし、お前のその優しさにすぐ飲み込まれてしまった。俺はテルが好きだ。その気持ちに偽りはないし、笑顔のお前を、だれよりも求めている。

 求めていながら犯し続けた罪は重く、だからこそ今、この溢れるばかりの思いを伝える事は、俺には出来なかった。そんな都合の良い男でありたくなかった。どんなに汚れても、どんなに蔑まれても、今ここですべき事は、俺の犯した罪への反省だ。俺は少し体の震えを感じながらも、頭を下げた。


「どう思われたって当然だ…… すまなかった」


 それから、頭を上げるタイミングを見失った。いつ上げるべきか分からないし、今テルがどんな表情をしているのかも分からない。しかし、テルが目の前から左の方へ、つまり屋上の出口の方へ歩き出したとき、俺は顔を上げた。テルはゆっくりと歩いていた。

 そうか、俺は――許されなかった。追憶の彼方に、テルが消えてしまうんだ。


 しかし、テルは立ち止まった。俺はその後ろ姿を見る。いつの間にか視界から他人の姿は消え、世界にまるで俺とテルだけしか居ないかのように感じた。


「……何で、しばらくの間、抵抗できなかったのか…… ようやく気付いたんだ。良助のアドバイスのおかげなんだけどね」

「……え?」


 あまり大きな声ではなかったが、確かにそう聞こえたと思う。テルの言葉が何を意味するのか、また分からなかった。そしてテルは、こちらを振り返った。


 その瞳は、今までで一番綺麗だった――。



「好きだよ、洋次」


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