愛する君の夢を守る為なら、俺はどれだけ壊れても構わない 後編
「私はミュエル・ユピテルと申します」
「‥‥‥‥なんでこのタイミングで自己紹介を?」
「さっきの悪魔とは違うという事を示す為に礼儀を持って接しようと思いまして」
「礼儀って‥‥‥不意打ちしておいてよく言うな」
「勘違いしている様なので一つ言っておきますが、私の最終目標はあなた方を矯正し、今後の人生を幸せにすることです」
不意打ちをしたのも、今こうやって話しているのも、今後起こる全ての行動も、あくまで貴方達を助けるためなんですよとアピールしながら彼女は歩く。
テーブルを挟んで向かい側の席に座った彼女は可哀想なものを見る目で俺とファナエルを見ていた。
「貴方が悪魔を殺したあの瞬間、貴方の心は悲鳴を上げていました」
「悲鳴‥‥‥?」
「もうとっくの前に気づいて居るんでしょう?貴方が罪を犯すたび、貴方の精神は酷く摩耗しているんです」
力では敵わない、天使の力は相殺された、だから言葉で俺の事を説得しようって魂胆か。
「貴方は道を間違えてしまっているんです。心の奥底から愛した女性が罪人だった事は不運と言う名の試練だったのだと思います。貴方が真に彼女を愛しているのならちゃんと彼女を罪人として裁くべきだった。本来選ぶべきだった選択肢を無視したからこそ愛と言う名の呪いが体中を蝕んだ。だから貴方は今苦しんでいるんです」
天使は諭す。
神話や伝承などで作られたイメージと遜色ない顔と声で、俺の罪を憐れんでいる。
『皆の言葉の裏に隠れていた壁は、無自覚の内に出て来ていた優しい拒絶だったんだ』
その傲慢な立ち振る舞いを見れば見るほどに、|ファナエルが堕天使になった時の話《ファナエルが抱えるトラウマ》が頭をよぎる。
「でも大丈夫です、貴方はまだやり直せます。貴方の人生を狂わせたその恋心を跡形もなく消し去れば、また普通の人間としての生活に戻れます。もう罪を背負う必要は無くなるのです。これから訪れる罰を怯える必要は無いのです。もう苦しむ必要はないんですよ」
「……それじゃぁ一つ聞くけど、あんたは何で俺が今苦しんでるのか具体的に分かるのか?」
「貴方は元々普通の人間です。今まで築き上げた貴方の価値観が今の貴方を否定しているのでしょう?『お前には必ず罰が下るぞ』とその価値観が囁きかけているのでしょう?」
さぞ当たり前の事の様に彼女は言い放った。
その顔には、なぜ今になってこんな質問を投げかけるのか分からないという文字が浮かび上がっている。
「あんたの答え、半分正解で半分間違いだ」
「何が違うというのですか?」
「確かに俺は自分に降りかかる罰を恐れてる……その罰がファナエルを守るために犯した罪の代償として俺からファナエルを奪う何かだったらどうしようって恐怖が止まらないんだ」
もし、俺が寝ている間にファナエルが死んでしまっていたら。
もし、ファナエルの中から俺と過ごした記憶が消えたら。
もうこの顔が二度と見れなくなってしまったら。
その時には俺はきっと耐えられない。
「ファナエルと一緒に旅を始めて苦しい事は沢山あったさ。沢山天使を殺したし、沢山悪魔を殺したし、殺す感覚には慣れないし、おまけに夢にまで死体が出て来て俺に呪詛を吐いて来る。世界の全てが敵になるって事がどれだけ怖くて苦しい物なのか思い知らされたよ」
俺の膝の上で眠っているファナエルに視線を向ける。
彼女が起きない様にそっと手で彼女の頭を撫でる。
「でも、苦しい思いをする度に俺は思うんだ。ファナエルはずっと一人でこんな地獄を生きてきたんだなって。誰も受け入れてくれなくて、誰からも恐れられてのけ者にされて、それでも自分を愛してくれる人を探す為に生きて……そんな彼女が俺を信用してこんな安らかな顔でぐっすり寝てるんだ」
そんな彼女を尊いと思ってしまうのは当然で必然だった。
そんな彼女の願いを叶えてあげたいと思うのも当然で必然だった。
「これだけ説明すればあんたもファナエルが俺に向けてくれた愛情がどれだけ大きいか分かるだろう?そんな愛を毎日隣で浴びれる生活は素晴らしいものだと思わないか?」
「だから罪を犯し続けるのですか?邪魔者を殺していくのですか?貴方自身の精神はこの先もずっと罪の意識に耐えられないと自覚しながら、その愛情に人生を捧げるというのですか?」
「ああ、もちろん」
「ッ‥‥‥それは間違っています。何度も言っているじゃないですか、今の貴方を苦しみから開放するためにはその歪な恋心を消滅させる他ないんです」
「あんた、自分がどれだけ極端な事言ってるか自覚してる?地球温暖化を解決させるために人間皆殺しにしますって言ってる様なもんだぞ」
天使達と言葉をかわす度、羽を失ったファナエルがどれだけ生きづらかったのかを実感する。
こいつらは善意で大切な思いを消していく。
現状を変えるための努力も、大切な人を守りたいと思う愛情も、理想の生活を夢見る心でさえも苦痛の原因であると判断したならこいつらは情け容赦なく消去する。
ある意味では、悪魔よりタチが悪い。
「そもそも、何かを手に入れるためにはどっかで苦しまなきゃだめなんだよ。俺がファナエルと目指す幸せは、楽しいことだけやって達成出来る様な簡単なものじゃない」
もう、これ以上こいつと話す必要も無いだろう。
俺は背中の上で蠢いていた6本の触手を動かして、目の前の天使を串刺しにした。
「ガッ……ァ」
「まぁあんたとの会話も無駄じゃなかった。俺の作った結界が今もちゃんと役割を果たしてくれてる事が分かったからな」
「結‥‥‥界?」
「ああ、俺の中に宿った堕天使の力を応用した結界だ。結界内で俺かファナエルを視認し、敵意を持った対象の心に特定の行動を妨げるノイズを自動でかけることが出来るんだ」
俺の心を読んだのか、それとも俺の言葉からなんとなく察してしまったのか、彼女は次第に顔を歪め始める。
「その特定の行動というのはもしかして‥‥‥貴方とファナエル・ユピテルに関する情報を外部に連絡する事」
「正解。だからアルゴスが死んだことも、俺が堕天使の力を持った災厄になったことも、俺達に関わる全ての情報が天界に出回らない仕組みになってる」
後悔、悲哀、絶望。
それらの感情をかき混ぜた表情を彼女は作り上げていた。
この表情を見て心の底から笑える悪趣味な感性を持っていればこんなに苦しむ事は無いのだろうか?
いや‥‥‥‥そんな俺をファナエルは見たくないだろう。
「それじゃぁ、ここでお別れだ」
ブレるな。
俺が今からこいつを殺すのはファナエルを守る為だ。
『#########################################################』
ミュエル・ユピテルと名乗った天使の体がノイズに飲まれて崩れ落ちる。
舞い散る血、生気を失った眼球、生物から物に成り下がった肉片。
それら一つ一つが俺の正気を削り取ってゆく。
「大丈夫、大丈夫だ。アルゴスを殺したあの日にこうなる事は覚悟してただろ」
誰も居なくなった静かな公園ではそんな弱音も闇の中へと消えてゆく。
日が昇るまでのうだるような時間の中、俺の耳に響いたのは死体から聞こえる幻聴とファナエルの安らかな寝息だけだった。




